自分の力で立ち上がる②
20200620
高校生活は、カトリック系列女子校そして、寮生活が始まりました。
私の選んだ学科は大学進学目指す、少人数制、みんな優秀な子達ばかりでした。寮では縦ではなく、同学年で6人六畳、二段ベッド3台、朝は6時ベルがなり、布団の片付けから始まります。
後輩は先輩が来る前に食堂に行き、食事の準備。
先輩が揃って、一斉にいただきます。
朝、昼、夕、と三食寮の食堂で食べ、ご飯が終わったら順番にお風呂に入り(共同風呂)、2時間黙学室という学習室で決まった時間に行き、宿題や勉強。進学に向けて先輩たちは、受験勉強をしていました。
中学校までの生活と全く違い、洗濯を干してたたんで、掃除して、食事の準備、テレビはニュースのみ、新しい環境が初めは楽しすぎました。
なぜか親元を離れて自由を感じていたから、全然淋しくなかったんです。6人みんなでお菓子を食べる時間があり、食べ過ぎて10キロ太りましたけど。
同級生に恵まれ、後輩に恵まれ、2年目には、寮母にバレないように、寮母のいる部屋の前では見つからないように、こそこそ隠れて、食堂に向かい、炊飯器に入ってるご飯をおにぎりにして盗んで、持って帰って部屋でみんなで食べる、みたいな今となってはありえないことをしていました。
一つ上の先輩たちは、とても厳しく、夜な夜な呼び出しあり、正座して説教タイム。
その当時流行っていた、TAKE THATというイギリスの男性アイドルグループに先輩たちが夢中になっており、何故かTAKE THATのTシャツを着て、ライブのタオル首に巻いて、靴下までTAKE THAT!!っていう全身TAKE THATすぎて、それで私たちを正座させて説教って。。。
話が頭に入ってきませんでした。ロゴやTAKE THATのメンバーの顔しか頭に入ってなくて、この状況に笑いがこみ上げてきて、本当に真顔でいることが必死でした。
はい、なめてましたね。
説教が終わって部屋に戻ると、同級生と耐えていたものが一気に出て、大笑いしてました。反省ゼロの最低な後輩でした。
その後、反省することなく、あの時間何がツボで面白かったのかという話で盛り上がり、結局なぜ正座させられて説教されていたのか、今も覚えていません。
ただ、後輩にはイヤな先輩にはならないようにしたいから、私たちは積極的に先輩後輩というより、お互いそういうのはやめようと、友達感覚で過ごして生活していました。
高校生活も楽しかった、楽しい思い出しかなかったんですが、私は勉強時間が決められる、学習室で拘束されて勉強する、というのが段々辛くなっていきました。
学習机に向かっても結局宿題すらしなくなりました。受験勉強にむけての勉強も何をどうすればいいのか分からず、ただ時間だけが過ぎていき、この拘束された生活が私には苦痛の時間となっていきました。
特に具合も悪くないけど、微熱がずっと続き、気合で学校も行かなきゃという感じにはなりませんでした。
寮生活なのに、引きこもり状態。1ヶ月くらい学校にいけなくなってしまいました。
一緒に生活している同級生は、朝から学校へ行き、夕方帰ってくるまで1人。規則正しい生活なので、帰ってきたら食事をしに、お風呂に行き、学習室に行き、私は1人でベッドの上でずっと横になって、自由時間でみんなが集まる時間に話して笑って元気になるはずなのに、翌日には起きられない、その時は長引く風邪だと思っていたけど、精神的に疲れていたんだなと。
親が寮母に呼ばれ、リフレッシュしておいでと外泊許可が出て、好きなものを食べて親と一緒に過ごして、寮を出て、それだけで、治る、なんとも不思議でしたね。
リフレッシュした私は自由じゃなくなった生活が苦しく、小さい頃から自由を求めていた私が救ってくれたのは解放でした。
全てが拘束された生活は私にとっては苦しさしかありませんでした。
自分で選んだ道でしたが、その失敗で学んだことも大きかったなと。今はそう思っています。
六畳に二段ベッド3台、6人で生活。唯一の自分のスペースは二段ベッドのベッドの上とロッカー。ロッカーは自由に好きなものを置いたり、飾ったりできるので、唯一の自由なスペースでした。私は昔からある場所を居心地よくするのが好きなので、そこだけは、私のリラックススペースになっていたんです。
この空間は私に心地よさをもたらせてくれました。これがなければもしかしたら、私は1ヶ月どころか、学校を、寮を辞めていたかもしれません。
誰しもがリラックスできる場所は必要だと思っています。日々緊張している中、ホッとできる場所。
高校生活は楽しかったけど、苦しかったそんな3年間でした。
大学は関東へ進学。千葉の小さな大学でしたが、そこでも寮生活でしたが、トイレ風呂キッチン共同、でも1人部屋。
自由しかなかったですね。
またまた親から距離は離れたけど、寂しくなかったです。だって自由だから。
本当に好き勝手やらせてもらいました。
結局、勉強はこの人生やってきませんでした。勉強の仕方もわからなければ、昔学習したことも生活で役立つことなく生活できています。
大人になった今ようやく、自分に必要なことは自ら学び、自分に投資し、勉強が嫌いだった私が楽しいと思って学んでいます。
本当に必要なものだけを学ぶ、これで十分だと思いました。いえ、思っています。
私が過ごした時代というのは、いい学校に進学して、いい大学に行って、企業に就職して、という流れの教育でした。
私は大学卒業後、就職し、辞めるまで会社員として働いていました。そこそこ名のある企業でした。私は人に恵まれました、でも仕事を心から楽しいと思ったことなく、生活のためにこなしていたんですね。
後輩の出身大学がだんだん一流大学卒ばかりになっていきました。どこの大学出身?って聞く、聞かれることもあり、どうでもいい質問を普通にしていたなと。大学名がどう自分に関係するか分かりませんが、大学名だけで評価されていた?ような気がします。ここの大学出てるのに仕事できない、とか大学出てないけど出世している、とか。辞めた今、本当に学歴関係ないと実感しています。
脱サラしてから、起業家の方に何人もお会いしてきましたが、どこの大学出身ですか?なんて聞いたこともなければ、学歴気にしたこともなく、成功されてる方みんな、キラキラ輝いていて自信あって、自分を信じて、心から楽しんで仕事している姿がかっこよすぎます。
脱サラして私は自由になりました。新しい世界を見た気がしました。このまま会社員だったら感じることなかった想いや見る世界が広がりました。
私はまだ自分探し中だけど、昨日、自然と泣けてしまう出来事がありました。これを、魂が震えるというらしいです。なんで、泣いてるのか分からないから、言葉にできず、周りに伝えられない、でもそれでいいんだと。この感じ方を覚えていきながら、迷った時は、泣いた理由を思い出す。やりたいことを形にしていくと、自然と行動していくんだろうなと思っています。
今はお金を稼ぐ、焦る、が全くありません。先に大丈夫っていうのがあるから。形になってないだけで、でも大丈夫、大きな安心と自信があります。
私は現実的に目を向けて行動して進んでいきたいと思います。
話がたくさん逸れましたが、今この時代に必要なのは進学のための勉強ではなく、本当にワクワクすることを夢中になることをとことんやって、その力で自立してもらうことなのではないかと思っています。
そのためには、親が子供を心から信じること、私は子供達に自分のチカラで自立してもらいたいと思っているので、その応援をしたいと思っています。
まずは私が信じてあげる、子供の才能を潰さないようにする、子供が本当に楽しんで夢中になることをとことんやらせる、好きなことを見つける、進みたい道を阻むことなく、その手伝いができればいいなと思っています。
昨日ブログで書いた、約束のネバーランドの農園(プラント)施設は、広々として好奇心旺盛な場所だらけで、ちょっぴり理想的な学校だなと違う目線で見ていたのでした。遊びながら頭を使って戦略を考えたり、広い敷地で頭と体を使えるって最高です。
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