人生をクリエイトする
2021年8月21日
私は学校の勉強、宿題とか、すっごい苦手だった。
嫌いだった。
宿題を提出するなんてほんと意味が分からなかった(先生にビンタされてもほぼ出さなかった)
なぜ出す必要があるのか。
なぜやる必要があるのか。
この勉強は何に役立つのか。
これは、高校に入るための、大学に入るための勉強?
今やってるのは試験のための勉強?志望校に入るための勉強?
これは人生に必要な勉強なのか?
私の中の私は知っていた。
そこが重要じゃないってことを。
少なくとも私には重要ではなかった。
高校や大学に入るために必要な勉強は私には重要ではなかった。
全然勉強が出来ないわけでもなく、やらなくてもできちゃう。かといって超頭がいいわけでなく、進学校、日本のトップの大学に進学するレベルには程遠い。
当時は「高校進学して大学へ進学、就職」を幸せルートだと親に、学校の先生に、周りに教わる。会社に勤めること、公務員になることが安定で幸せなことなんだと。
母は、女性の社会進出には大学進学が必要だと言い、
父は、女性は高校卒業して、地元で働いて、子供を産んで暮らせばいいと言う。
うちの地元では、父のような考え方もたくさんあったなかで、母はもっと世の中を見てきなさいと私たちを逞しく育ててくれました。
うちは両親2人とも地方の公務員。ぶっちゃけお金はないけど、でも、行きたいところを自分で選びなさいと子供達に自由に選ばせてくれました。
私は海外に行きたい願望があったので、語学が学べて海外に行けるところで高校、大学を自分で選んだ。
その代わり、弱音を吐くと厳しかった。甘えるなと突き放される。
当時は弱音くらい吐いたっていいじゃないか、って思ってたけど、今ならわかる。
自分で選んだんだから、ちゃんと自分で責任持ちなさいよと母は言いたかったんだと思う。
今となっては、学歴なんて全然関係なかったんだなって(会社やどこかに所属すると今も必要だったりするかもだけど)そこは私の中でどうでもよかったかな。
学業を学び終わった後、どうするか。自ら学ぶか、学ばないか、人間的に成長したいか、維持か、視野が狭い中で住むか、視野を広げるか、「正解」、「不正解」のどっちかで判断する世界で住むか、それとも「それもありだよね」の世界で住むか、ありのままを認めるか、認めないか、
学ばないことがダメではなく、学ぶことがすごいことではなく、今の状態を自分がどうしたいと思っているか、どんな人生にしたいのかが重要で、自分の人生好きなように選べるよ、といいたい。
だから過去はどうでもよくって、学歴どうでもよくて、みんな平等に人生を与えられていて、自由にクリエイトできるってこと。
★子供中心の写真と共に私の呟き付きでInstagramにて日々更新中
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