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【ショートショート】私の記憶


私は、全てを覚えている。

雨が私に降り注ぐ。
音もなく、そっと、傷ついた草木を癒す。
乾いてひび割れた土に、染み入る。
またある時は、天の奥から並んでやってくる。
大粒のガラスのような大驟雨が注がれる。

岩の隙間からも、染み出した水が流れ込む。
谷底からも、コンコンと湧き出てくる。

その日は、霧が重たく閉ざしていた。
一人の少年が、缶ビールのようなルアーを私に向かって投げた。
静寂の中、カションカションと缶ビールが泳ぐ。
彼は無邪気にルアーを投げ、満足そうに帰っていった。

その日は、風が強く吹いていた。
ニキビを作った少年が、立っていた。

美術品のようなルアーを軽快に操っていた。
ルアーを再び投げるとき、糸が切れた。
美術品は風を切り裂き、彼方へ消えた。

少年は、深くうなだれていた。

水たちは、集まり群れを成す。
水溜まりに、川になる。
川になって、私を目指す。

その日は、春の光がまぶしく溢れていた。
梅にウグイスが止まり、さえずっていた。
髪を染めた少年が私を訪れた。
日が当たる岩肌へと魚を模したルアーを投げた。
暖をとっていたブラックバスが、そのルアーを襲っていた。

少年は、しばらく来なくなった。
ある日、私は強い雨風にさらされた。
集まった水たちは、猛り狂っていた。

押し流された木や岩、淀んだ水。

その時、私は、それらを抱えきれなかった。

私は干上がっていた。

少年がやってきた。
彼は中古の車でやって来た。
少年は竿を持っていなかった。
私を、物憂く、眺めていた。

私を旅立った水は、川になり海へと下る。
そこで淀み、光を浴び、空へと上る。
再び、空から下りてくる。
雨や川になり、私を訪ねてくる。

永遠に繰り返される輪廻、水の命。
私はその、居場所の1つ。

やがて水は戻り、色濃く冴えてきた。
私はまた、水と水辺の命を抱えられるようになった。

水底に横たわった木や、岩たち。
猛り狂った水が押し流し、折り重なったあの時の彼らには、魚たちが暮らしている。

水面には青々とした空が映っている。
水は、空に憧れている。
空を目指すために、海へと下る。

少年が戻ってきた。
少年はひげを蓄え、私の側で暮らすようになった。
ボート屋を営み、コーヒーを淹れて過ごしている。

彼は、私の近くに自分の居場所を作った。

ある日、少年は私を訪ねてきた若い釣り人と一緒に私の上に浮かんでいた。

私は、全てを覚えている。
彼は、私を訪れる水と似ている。

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