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32.土御門教授語録 ≪感謝と幸せ感の関係≫

悠斗君は、今回、『感謝』という言葉について、気になることをあちこちで聞くため、土御門(つちみかど)先生に確かめたくて、またまた、質問に行きました。

それは、『感謝』の言葉をよく話す人は、幸せを感じて生活している人が多いという話で、『感謝』は『ありがとう』や『ありがとうございます』などという言葉で、表現されますが、単なるお礼の言葉ではないのか、と言うことでした。

 

例によって、先生は、ジーっと悠斗君を見詰めながら、しばらく頭を整理するように黙っていましたが、おもむろに口を開き、『まぁ、たまにはコーヒでもどうかね』と勧めてくれました。

そして、悠斗君は初めて出されたほんのり甘い香りのコーヒを啜りながら、再度質問をしました。

 

先生は、

まず、最初に言っておくが、感謝の言葉と幸せと言う抽象的な概念は、説明はなかなかしづらいと言うことは、理解して貰わんといかんのぉ。

それを前提に話をするとじゃ、

まず第一にじゃ、最近の科学では、感謝の言葉で幸せホルモンが分泌される、ということが明らかになっているということを知っているかね?

これは医学的に証明されとるようじゃが、感謝の言葉を発すると、ドーパミン(快楽ホルモン)、セロトニン(幸せホルモン)、オキシトシン(愛情ホルモン)、エンドルフィン(鎮痛ホルモン)などが分泌されるという話も有るんじゃ。特にオキシトシンは、人と人の間のストレスを軽減してくれるもので、『ありがとう』や感謝を思うだけでも、分泌されるんじゃ。

 

まぁ、こういう事実、データがあるというだけでも、感謝の言葉と人の幸せ感というのは繋がっていると考えられんかねぇ。

 

そこでじゃ、第二に、

『ありがとう』には、単なる言葉ではない、『思い』が詰まっていると思えんかのぉ。単なるお礼の言葉と考えれば、『こんにちは』とか『おやすみ』のような挨拶と同じなんじゃが。そうじゃない。この『思い』というのが曲者なんじゃなぁ。

 

つまりじゃ、『ありがとう』を発すると言うことは、相手に、感謝だけでなく、ねぎらい、思い遣り、慈しみ、労り、優しさ、心配りなどの、『思い』を伝えたく思っているはずなんじゃなぁ、そういう『思い』が凝縮された言葉『ありがとう』は、相手を幸せな気持ちにする、そして、相手が幸せな気分になる、まぁ、そういうことは至極当然と思えるんじゃがなぁ。

 

多分、君もどこかで経験していると思うが、相手だけでなく、発した自分自身も、プラスの気持ちにしてくれるんじゃよ。もっと言えば、第三者がそれを聞いていても、良い気分になって、幸せホルモンが分泌されるというデータもあるんじゃ。ちょっと眉唾じゃと思うかね。

 

そして、第三にじゃ、人間は『思い』の波動を発する動物と言われているんじゃが、『感謝』の波動は、人間の内面から放射され、人や自然に対して向けられる数少ないプラスエネルギの放射でもあるんじゃ。君も何となくじゃが『ありがとうございます』と言う時にはエネルギ放射してるという感じがするじゃろ。この辺になるとさすがに良く分かっていない。思いの世界と自然科学・物理学の世界は、どう繋がっているかまだ解明できていないんじゃよ。当然、エネルギ変換式もないんじゃがなぁ。ちょっと困っとるんじゃがのぉ、オーホッホッホ。

 

ついでに言うとじゃなぁ、

心からの『感謝の思い』の波動は、心の緊張の糸を解きほぐし、その『思い』が継続すれば、癒しの波長とも共鳴し、人の心が勝手に穏やかに、また身体が勝手に軽くなり、副交感神経が優位となって、呼吸や心臓を緩やかに穏やかにすると言われている。良いこと尽くめで、ハハーッ、いよいよ信じられんという顔をしとるな。

 

ちょっと話は逸れるが、第四番目じゃ、

『感謝』は人を相手に対してだけじゃなく、自分自身のことでも『有難い』と思うこともあるじゃろ。つまり、『感謝する』は自分自身にすでに与えられている幸、恵、福、運、慶、縁などを当たり前と思わずに、大自然からの、大地からの、或いは神様、仏様からの賜りものとして、心からのお礼の思いを奉ずることである場合も多いと言われとるんじゃ。

 

まぁ、極端に言えば、大自然に生きる心を持つ動物、つまり人間はじゃのぉ、自分自身の心に自然界に対する『感謝』と言うものが不可欠、そしてまた、それが生きる上での大自然との共存、若しくは一体化、ということと同義語という気もするんじゃがなぁ。さっきから胡散臭いって顔しとるなぁ。困ったのぉ。

まぁ、ゆっくり聞いてくれんか、折角じゃから。

人は、そうすることによって、大自然と呼吸を合わせ、健康に、幸せに、生きられるようになっている動物、まぁ、それが大自然の摂理の一部でもあると思えるんじゃがなぁ。実際、幸せに健康に天寿を全うした人たちは、自然と調和して生きていたように思われるし、自然と調和して生きたゆえ、健康で長生きできた人達だった、とも言える気もするがのぉー。ちょっと、話がズレてしまったかのぉ、オッホッホッホー。

 

まぁ、これら四つとも、『感謝』と『幸せ』が直接的に関係しているという確たる証明にはなっていないんじゃが、でもなぁ、本当はどこかで繋がっている、という気がせんかねぇ。

現状が良い状態だと自分の恵みや運に『感謝』する、すると、『幸せ』に感じるじゃろ、『幸せ』だからこそまた『感謝』したいと思うじゃろ。じゃから、普段から『感謝の思い』を抱いている人は、『自分は幸せだ』と感じている、ということも分かる気がしないか、そういう人は精神的なストレスにも強いと言われているんじゃがなぁ。

 

まぁ、この感謝の言葉、正確には『感謝の思い』は本当に不思議なんじゃ。この実態解明がもっと進むことを期待しているんじゃがね。誰も証明はしとらんのじゃ。

この不思議な『感謝の思い』が自然科学の世界との関連で解明できると、人間の生き方や、幸せ感は、随分と大きく変わってくる。というか、将来的に『自分はしあわせだ』と思う人々が随分増加すると思うんじゃがなぁ。

 

悠斗君、君がやってくれんかね。

で、コーヒの味はどうだったかね、世界でも最高級と言われるインドネシアのコピ・ルアクというジャコウネコのお腹を通った豆じゃ。古くからの知り合いの珈琲豆専門店の店主に頼んで特別に取り寄せて貰ったんじゃ。君の将来の研究の前祝じゃよ。

 

エーッ、

 

悠斗君はのけぞりました。このコーヒにはそんな意味が込められていたのか。香りがなんとなくイイとは思いましたが、コーヒの味は全く分かりませんでした。

先生の説明にも、戸惑って、うろたえて、言葉が返せない悠斗君でした。

 

『感謝』は、表面的には、単なる、お礼の言葉です、が、しかし、その実態は未だ不思議なんです。そして、多用すれば幸せに包まれる、そんな言葉なんです。

折角の二度と無い人生、仲良く楽しく幸せに生きましょう(H/P 書窓けやき通り)

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