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令和五年 十月

喜多流能楽師 人間国宝 友枝昭世先生のこと

野村萬先生の狂言に通うようになり
必然的に能を観るようになった。

ある時、友枝昭世先生の公演があり
是非拝見したく、当日券を買うため開演前の入り口で
延々と立っていた。

そこに、うつくしいスーツをお召しになった友枝昭世先生が、すーーーっと歩いて来られて
あまりの透明感に、驚いてサッと頭を深く下げた。

神社で神職の方というか
現人神が通られる時のそれである。

一方で、初めてみたお舞台は
橋がかりを出られる前から、謎の気配があり
多賀宮で感じたような、全身逆毛が立つような鳥肌があった。
驚いた私は、以降 野村萬先生とともに
友枝昭世先生の公演を追い続けることに。

厳島神社 観月能 鬼界島

これまで、何かの公演を観ると言っても
都内近県くらいであったのに
広島宮島で開催される、厳島神社観月能には行く以外ない。という強い気持ちだった。

毎年、決まって友枝昭世先生が演能されていて
厳島神社さんが潮見表をみて月と潮が満つる日が選ばれ
開催日が決定される。

チケットと宿をどうにか抑えた。

満潮の能舞台

三つの笠

観月能への旅を控えた頃
また、早朝夢をみた。

御簾の向こうにうつくしい長髪の女性の横顔。
キラキラして高貴な姫君にみえる。

「みっつのかさをかえしなさい。」

そのように仰り、ふっと目が覚めた👀

え。

三本の傘が咄嗟に浮かんだが
いや、誰にも傘は借りていない。
しかも三本も?
いや、一本だって借りていない。

奈良に行った時、志賀直哉邸で若草山の山焼が窓からみえる。あれが三笠山だ。ときいた。みかさ…。
三笠の山が何か関係あるのだろうか…💭

しかし、かえせと仰った。

色々思案し調べるうち、ひとつの仮説に辿り着く。

厳島神社の奥宮は弥山という山だが
その山頂近くに三鬼堂というお堂がある。

三鬼堂からの景色


その昔、瘡(かさ)病が流行っていた頃、三鬼堂で病の治癒を祈願し参拝者が笠(かさ)を借りてかえる。という慣習があったという記述をみつけた。

借りて帰った笠を高いところにお祀りし祈る。
笠は神の憑代であったため、そこに降りてきていただく。
ということだったのだろう。

病が治ったら、御礼にその笠を返しに行くのだと書いてあった。

もしかして、そのまま道半ばにして亡くなってしまって
不本意ながら返せなかった方がいるのではないか。
もしかして、ご先祖にいるやもしれぬ。

三鬼堂は、火事にあってしまったりで場所も少し変わっているようだった。

直感的に、宗像三女神さまにお返しするのではないか。
お一人一本ずつだろうか。
であれば、弥山の奥宮 御山神社では。と感じた。

問題は、笠。
さすがに、笠を3つ持って厳島神社までは困難。
まして登山はムリ。長傘もハードルが高い…。

一寸先は崖っぷち

折り畳み傘ならば行ける!
そう確信し、折り畳み傘を三本用意。
私は何をやっているのか…💭🫠という気もしたが
聞いてしまったからには、気になってしまう。

熨斗紙の代わりに熨斗袋にピカピカの五円玉を入れ
一本と一袋をセットにして三セットを用意し
一心不乱に弥山を登った…。

(山が、わりと私にはハードでした…)

たどり着いた先には、御烏🐦‍⬛がいた。
厳島神社では烏は神さまである。

御山神社

正解かは分からないが
夢で、みっつのかさをかえしなさい。と言われてここまで来たということ。
無念にも返せなかった人がいるやもしれぬので
私が代わりに、お返しすること。
笠はムリだったけれど、これが現代版の傘です…。
今後、必要な方がいたらご利用ください。
とご説明差し上げて、無事下山。

雨上がりで人もおらず
御烏🐦‍⬛さまとふたりきりの時間。
よいお祀りでした。

鶏鳴 暁を告げる白鷺

友枝昭世先生のすばらしい能をみた翌朝
夜明け前に厳島神社へ行った。

観月能後の厳島神社

夜明け前、波の満ち引きの音だけが聞こえる。
ベンチに座って、夜明けを待っていると
6時とともに、厳島神社から日供祭の鐘の音が鳴った。
まだ参拝はできない時間だけれど、朝御饌の時間。

その瞬間、湧き上がるように潮がザァーっと勢いよく押し寄せ、山々から鶏が鳴き、空が白んだかと思うと
海の鳥居からサーーっと二羽の白鷺が、本殿に向かってまっすぐに飛んでいった。

(夜明けの動画をインスタのハイライトに鷺というタイトルで残してあります。残念ながら全ては撮れずですが、雰囲気を是非。)

夜明け

暁の時間は、こんなにも尊いのか。ということと
夜の神さまの時間が終わりを告げる瞬間に立ち会えたような気持ちで、しばらく呆然😮

以来、夜明けの時間の虜になってしまった。

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