
【雑談】松浦優『アセクシュアル アロマンティック入門 性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち』集英社新書、2025年
松浦優『アセクシュアル アロマンティック入門 性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち』(集英社新書、2025年)
著者はセクシュアリティを研究する社会学者で、百合漫画『やがて君になる』を扱った論文が立教大学の入試に出題され、受験生が盛大なネタバレを食らったことで知られる。『やがて君になる』の七海燈子は「だって、今まで好きと言われて、ドキドキしたことないもの」と言う人物であるが、本書で扱うアセクシュアル(Ace)は性的な惹かれを、アロマンティック(Aro)は恋愛感情を持たない志向を指す。
本書の章立てと大まかな内容は著者のブログで紹介されている。
内容紹介はそちらを見る方が確実だが、以下、個人的な関心に引き付けて、ざっくりと雑談的に紹介しよう。(そしたら序盤が重くなった)
紹介
第1章 アセクシュアル/アロマンティックとは何か
ここではAro/Aceの基本的な用語が解説される。単なる用語解説ではなく、その用語の発想方法から、用語との付き合い方まで丁寧に叙述されている。
陳腐な恋愛相談で「友達としての好きか、恋愛としての好きか」という言い回しがあったり、性的マイノリティに関して「○性を好きになる」と説明されたりするが、そのような「好き」はさらに切り分けられる。恋人として交際したいの「好き」、セックスしたいの「好き」、一緒に暮らしたいの「好き」など、様々な分割が可能で、人によってはそれらが一体不可分であったり、そうでなかったり(交際したいがセックスはしたくない、あるいはその逆など)する。かくの如く、「好き」を細分化し、「○○ロマンティック、○○セクシュアル」と組み合わせる思考法をスプリット・アトラクション・モデルと言い、その定着に大きな影響を与えたのが英語圏のAceコミュニティだという。Aro/Ace当事者が自らの志向を言語化する実践の中で出てきた発想である。
「好き」を分割しても、「あなたは性的・恋愛的に惹かれるか」の問いに誰もが「はい」「いいえ」と完全な二者択一で答えられるわけではない。惹かれる・惹かれないにはグラデーションがある。つまり、分割した「好き」の中にも程度の差があるということだ。それも加味して、より詳細な用語(マイクロラベル)が作られる。デミセクシュアル・デミロマンティック(基本的に恋愛的・性的に惹かれることはないが、情緒的つながりができた相手のみに惹かれる)、リスセクシュアル・リスロマンティック(他者に恋愛的・性的に惹かれるが、相手からその感情を返してほしいとは思わない(極右にのみ伝わる言い方をすれば「拘幽操精神」であろうか))などがそれである。
このように新しい用語(ラベル)が作られることには、当事者の①自己理解、②経験の共有、③社会通念の問い直しの機能があり、その効用はある一方で、それとは上手に付き合う必要があると注意が促される。「自分はこれかも!」と思ったラベルに自分を当てはめてみようとしたものの、一致せずしっくりこず、無理やり自分をラベルに合わせに行く……となると本末転倒である。ラベルはあくまでも先述の3つの機能を果たす「道具」であり、ラベルを使ってみて自分にあわなければ変えたりしても全く問題がないという。
第2章 Aro/Aceの歴史
ここは著者のブログでの紹介「この章ではAro/Aceの歴史を、性科学や精神医学の歴史、フェミニズムやクィア運動のなかでの議論、そして現在のコミュニティに直接つながる流れ、という観点から解説しています」を引っ張ってくるのが一番早い。オンラインでコミュニティが形成されるあたりが個人的には面白かったので、以下はそこを紹介しよう。
Aro/Aceが性的機能不全などの身体的・精神的な「病気」――権威ある他者から下される診断――ではなく、当事者による性自認として登場する過程が詳しく描かれる。1997年に英語圏でAce自認者のコミュニティがネット上に登場し、そこからセクシュアリティの議論が深化、アロマンティックの語も現れて両者を分けて考える端緒も生まれる。日本でも草の根的に2000年代からオンラインのコミュニティが登場し、議論が深まっていく。
Aro/Aceは今でこそ言葉の意味にだいたいのコンセンサスができていると言えるが、議論が始まった頃には、同じ言葉でも指すものが錯綜していたり、日英語で違うものを指していたりして、混沌としている。そこからは様々な志向や経験を持つ各人が自分の自認を表明して、新しい言葉の生成と受容、改鋳を繰り返していく実践の足跡が窺われる。
……「議論が深まっている」と書くと上品だが、日本での定義論争ではアロマンティックを「セックス拒否症」「偽Aセク」とし、アセクシャルから隔離する動きが起こったりしていたという。当事者の苦しみも生みつつ、試行錯誤は行われていたのである。
第3章 Aro/Ace の実態調査
3章はAro/Aceの調査結果(地域、性別、自認の時期、性的なことへの欲望や嫌悪感など)が示される。Aro/Aceだからといって、性的な事柄や欲求とは無縁ではない(そもそも「性的」とは何か、ということも本書では問いかけられているので、そう単純な話でもない)。
第4章 差別や悩み
第4章ではAro/Aceが社会で実際にどのような困難に逢着したのかの実態が描かれる。英語圏の研究をもとに整理すると、それらは病理化(病気扱いされる)、性的/恋愛的衝突(志向が理解されずにパートナーとの関係の維持に困難を来す)、社会的孤立、認識的不正義(言うことが信用されない/言語化以前の状態にある)の4つに大別できるという。
第5章 強制的性愛とは何か
第6章 セクシュアリティの装置
第7章 結婚や親密性とセクシュアリティの結びつき
5~7章はセクシュアリティを規定する構造が論じられる。このあたりの議論のベースはAro/Aceに限らず、ジェンダーやセクシュアリティに関わる社会学的議論のド真ん中と思われるが、Aro/Aceからの問題提起(「強制的性愛」など)や、哲学者フーコーや社会学者ギデンズの有名な議論からAro/Aceを考えるヒントにも触れられる。
Aro/Aceは「いい人に出会っていないだけ」「嘘つくな」などと言われて「存在しないことにされる」ことに抵抗する(せざるを得ない?強いられる?)一方、「ならば恋愛やセックスをしてはいけないのではないか」とAro/Aceのラベルやアイデンティティに縛られかねない矛盾(主体化=従属化)にも逢着する。セクシュアリティの社会的構造に対抗しつつも、ラベルによる自縄自縛を避け、自らを保つためには、(1章でも出ていたように)ラベルと上手に付き合い、「うまく使いこなす」必要があるという。
第8章 Aro/Aceの周縁化を捉えるために
この章も著者の紹介「Aro/Aceに対する差別や周縁化をより精緻に理解するために、強制的性愛がいかにジェンダーや障害や人種などと交差しているかを解説しています」を引くのが確実である。
○性や○○人や健常者は恋愛的・性的に積極的で○性や○○人や障碍者は消極的、というような認識枠組みは「強制的性愛」によって提供され、それによって「周縁化」されるのAro/Aceのみではないとする。Aro/Aceを巡る議論は、強制的性愛の構造やそれによって周縁化を蒙る人々をも逆照射するのだ。(この紹介の仕方であっているだろうか……?)
第9章 Aro/Aceのレンズを通して見えてくるもの
Aro/Aceからの問題提起をガンガンやっていくのがこの章である。恋愛と友情を区別し序列化する親密性――ひいては性愛に基づく結合を特権化する婚姻――の問題といったハードなものから、二次元や批評に関するものまで、多岐にわたる。
雑談
本書は「入門」と銘打ちながらも、Aro/Aceの自己認知やラベルとの付き合い方といったミクロな事柄から、Aro/Aceの視点からセクシュアリティに関わる社会構造や社会的認識枠組みといったマクロなことまで、広い射程を持つ。
この記事では序盤のミクロな部分の紹介分量が増えたが、マクロなところを正確に理解したい方は原典に当たってほしい(ミクロの方に関心を抱いた方にも当然原典に当たってほしい)。
非当事者は、Aro/Aceが「存在する」ことを知るに越したことはないのはもちろんだが、Aro/Aceなどのラベルを固定的で普遍・不変のものと見なし、目の前にいる人を「こいつはAro/Aceだから」とその枠に当てはめて能事終われりとすることを慎む必要があろう。ラベルはあくまでも「道具」であり、便宜的なものである。Aro/Aceと思われる人と対峙する際には、セクシュアリティの知識を補助線として保持しつつ、相手に向き合って対話を重ねていくしかない。例えばアローセクシュアル(他者に性的惹かれをする人)兼アローロマンティック(他者に恋愛的惹かれをする人)の人が、たまたま好きになった人がAro/Aceであり、本意を遂げられない場合、相手がどう考えているか知った上で、自分が相手をどう関係を取り結びたいかを考え、自分と相手と向き合うより他はない。
余談:『やが君』をセクシュアリティで論じられるか
以前、私は『やがて君になる』(以下、『やが君』)を論じたことがあるが、そこではセクシュアリティ的な観点は一切取り入れなかった。『アセクシュアル アロマンティック入門』を得た今、その方面から論じることはできるのだろうか。少し試してみた。が、上手く論じられない事が分かった。それでも読んでみたいと言う方は、先に進んでいただきたい。
正直、そこに課金するなら、拙稿「『やがて君になる』における「好き」と固有名」(惟宗ユキ編『机上のユートピア 彰往テレスコープMUSEUM Vol.02』2021年2月所収)をまずは読んでほしい。(隙あらば宣伝)
そもそも原作を読みましょう。(布教)
以下、有料
七海燈子は「だって、今まで好きと言われて、ドキドキしたことないもの」と言い、小糸侑は「私も、付き合おうって答えられるようになりたかった。だけど、私には特別って気持ちが、分からないんです!」(男子に告白されたことについて)と言う。そんな2人の恋物語が『やがて君になる』である。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?