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遺跡ねつ造事件のFの筋書きが薄々インチキだと気付いていても身を投じてしまう確かさに触れたくなってしまった考古学の悲劇

 再び新天地イエス教に関する動画を見ていたら新免貢という宮城学院女子大学の教授の講義が出てきて気になる言葉があった。

 カルト宗教の信者は教義が薄々インチキだと気付いていても身を投じてしまう確かさに触れたくなる、という心情があるということを新免貢が主張しているが、まさにこの心情と同じ状況が遺跡ねつ造事件の現場にあったのではないか?と私は思うことがある。

 遺跡ねつ造事件の現場で岡村道雄もFのねつ造に気が付いた、と後から弁明のような発言をしているが、同じような心境ではなかったのか?

 もちろんFを称賛していた芹沢長介や梶原洋などの東北福祉大学の考古学者も同じようにFのねつ造はおかしなことではないか?と思っていたが、後には引けなくなり、統一教会の教義は間違ったでたらめであると思ってもやめられないようになっていったのではないか?と思う。

 芹沢長介にせよ、梶原洋にせよ、岡村道雄にしろ、大学で考古学を学び学位論文を書いて教授になっているならばもちろん人類の起源はアフリカのキリマンジャロ山からホモ・サピエンスから発生したことは知っていたはずだ。

 文化人類学や考古学を大学院で学位論文を書いて教授になるとなれば、人類発祥の地はアフリカであるというのは定説であるので日本に原人が存在して人類発祥の地は日本である、と考えるのはどう考えてもおかしいというのが普通である。

 普通の常識的な考古学者は人類発祥の地はアフリカと考えていて、Fのような日本原人説は学問の世界で破綻した古い時代の妄説であることを熟知している。

 実際、芹沢長介なんかも授業では戦前の明石原人が単に弥生人の骨でしかなく、日本原人説はあくまで戦前は通用したが、戦後になってからは破綻した学説であると力説もしていたというのだから初めはFの日本原人説には全く賛同していなかったという。

 頭の中でどう考えてもFが主張する日本に原人が存在し、その原人とやらが偉大な知識を有し、縄文文明を開化させて、日本人の優秀性を証明するという説は東北福祉大学の考古学教授もどこかおかしな妄説であって、こんな説は学問上にも容認できないと思ってはいたのだろう。

 しかし、Fの作り出すねつ造の影響で後には引けなくなると、さすがの考古学の教授たちもそれこそ統一教会や原理運動を辞められない信者のようになってしまい、Fをゴットハンドと称賛してしまったのではないか?と思う。

 統一教会の『原理講論』の創造論の創世記のアダムとエバの妄説とFの信じた日本原人説の大いなる間違いの類似性

 霊感商法で悪名高い統一教会なのだが聖書のはじまりの創世記を100パーセント歴史的事実であるとキリスト教原理主義者のように信者は信じている。

 統一教会の信者は100パーセント聖書の創世記を妄信し、エデンの園は実在し、実はエデンの園は韓国にあって統一教会の聖地が聖書に予言されていたと信じているという。

 統一教会の洗脳では絶対に聖書の『創世記』のアダムとエバの話が出てきて、エバを誘惑した蛇がサタンであり、実はエバは蛇とセックスしていて、サタンの血を有していて、人類は全部、サタンの血が流れていて原罪が消えないと思い込んでいる。

 統一教会の信者は本当に聖書の『創世記』が100パーセント正しく、考古学洋上でエデンの園が絶対に存在していて、人類の起源はアダムとエバから始まると考えているようである。

 普通のキリスト教徒ならば現在は聖書の創世記のアダムとエバは単なる当時の中東で民衆の中で広まっていた神話のようなものであって、その当時は人類の成り立ちを説明するためにアダムとイブの話が出てきたにすぎないことを冷静に判断している。

 普通のキリスト教徒ならば科学的な研究成果の集大成である人類発祥の地はアフリカのキリマンジャロのホモ・サピエンスが人類の起源という説を正しいと見なして、アダムとイブの創世記の話が人類誕生の真実で、アダムとイブが人類の始まりであって原人であるといったようなキリスト教原理主義者のように考える人はいないだろう。

 統一教会の信者は『原理講論』などのマインドコントロールでキリスト教の創世記が絶対に正しい歴史的な事実でアダムとイブのような原人が100パーセント実在し、挙句の果てにイブとサタンがエデンの園で密かにセックスで堕落していたという妄説を洗脳されているのだろうが、よく考えてみるとこの辺の妄説は遺跡ねつ造事件でFが日本に原人がいて、日本原人が世界の支配者であって、世界の中心は日本であると妄想して、考古学上のねつ造に邁進したことと同じではないか?と思う。

  統一教会は今も聖書の創世記をキリスト教原理主義者のように100パーセント正しいと絶対視するだけでなく、聖書の創世記にエバと蛇のサタンが密かにセックスをして人類の血統は原罪まみれの堕落に汚染された・・・などといっているが、この種の呆れた聖書の解釈はそれこそ自称・神の手を持つ考古学者が日本に旧石器時代に原人が存在し、日本原人が優秀だったので日本人は神の子であると思い込んで、土器や石器のねつ造に邁進したことと立とはいうものの同じことではないだろうか?

 新免貢教授だってもちろん遺跡ねつ造事件を覚えているわけで・・・

 オウム真理教や統一教会批判を繰返している新免貢だって宮城県の大学に在籍している以上、私のいた東北福祉大学のやらかした遺跡ねつ造事件に関しても克明に事件を覚えているに決まっている。

 彼の口からも遺跡ねつ造事件に関する話もFのやらかした考古学のねつ造事件はそれこそカルト宗教のような振る舞いであって、悪質な事件であるということで口を開けばFだって考古学会で霊感商法で悪名高い統一教会のっ大理石の壺や多宝塔や印鑑販売のようなことを彼は考古学の世界でやらかしたのではないか、と痛烈な批判が飛び出すこともあるだろう。

 未だに宮城県ではFのやらかした遺跡ねつ造事件に関してあの事件は考古学会の霊感商法のような事件でもしかしたらFは統一教会の『原理講論』のアダムとエバの創世記のねつ造話あたりからヒントを得ていたのではないか?という説もちらほらある。

 私自身、宮城学院女子大学の新免貢が考古学に関しては余り詳しくはないのかな?とは思う。

 とはいうもののFの20年以上継続した遺跡ねつ造事件に関してももちろん知っていて、Fの遺跡ねつ造に関してもあの事件は統一教会の霊感商法のような事件のようなもので勝手になかったことにしろは許されない、と考えているのではないだろうか?

 参考リンク:令和の時代でもカルトは存続している。(カルトの恐ろしさを知らない時代になった)


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