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そんなにすごいの、帰国子女って?!

帰国子女はとにかくすごい「帰国子女」と聞いて、みなさんはどのようなイメージを抱きますか?

「語学が堪能、イエス・ノーをはっきり言う、積極的」。このように、人間が持つべき望ましい特性のすべてを持ち合わせたかのように称賛されることが多いのではないかと思います。

しかし、帰国子女はそこまでもてはやされるべきでしょうか?

自己紹介します

こんにちは、コータローです。僕は生まれ育ちがドイツはフランクフルトの帰国子女です(0~2歳まで、8~20歳までの合計16年滞在)。

滞在中は、平日は現地の学校、そして土曜日に日本語補習授業校に通っていました。高校卒業後は、帰国子女枠で日本の大学に進学。大学卒業後、日本での会社勤務を経て、現在はフランクフルトでコンサルティング会社を経営しています。

福岡とニューヨーク、どっちがより魅力的か

「コータローはいいよなぁ、海外生活が長くて」

日本に住んでいた頃、そう言われたことが何度もあります。僕はその都度、違和感を覚えるのでした。なぜならば、僕は「海外生活はすごい」とか「帰国子女は特別」などとは思わないからです。

ニューヨーク在住のAと、福岡在住のBがいるとしましょう。福岡での生活を通じてBが得た経験を、Aは積むことはできません。なぜならば、Bが福岡にいたとき、AはNYにいたからです。同様に、NY在住のAが得た経験を、福岡在住のBがリアルタイムで積むことも物理的に不可能。

要するに、AもBも、それぞれの経験を積んでいるだけという、当たり前すぎる話です。

仮に、AのNY生活をBが羨ましがるとしたら、それはBが、自分とAを比較する際に、「良い・悪い」という基準を設けてしまっているからではないでしょうか。でも、客観的に「福岡生活よりNY生活のほうがいい」ことを証明する根拠などないのです。

不要な比較が原因で、自分の人生に価値を見出せないのはもったいないと思いませんか?僕から見れば、NYのステーキも、福岡のラーメンも、どちらも魅力的です。

僕がノートを始める理由

僕は、「自分は帰国子女だから何か優れた面をもっている」とか、「帰国子女のほうが色々と苦労している」などとは思いません。しかし、帰国子女としての体験が、自分に何らかの影響を与えているのはたしかです。福岡在住のBが、福岡での生活から色々学んだのと同じように。

今の自分は、これまでの自分の積み重ね。嬉しい経験だけでなく、辛かった経験も、今の自分にとっては必要であった試練。つくづくそう思う僕は、「自分の『何』が、今の自分を形成しているのだろう」と考えることがあります。僕の場合、そこで避けては通れないのが、自分の帰国子女としての体験です。

ノートでは、帰国子女のいわゆる「すごいところ」に焦点を当てるのではなく、あくまで通過点としての帰国子女体験記を綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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