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ヴァイオリン & Wie heißt du?

とにかくポツネン

そんなこんなで僕の現地校生活が始まったのですが、最初はドイツ語ができるわけがない。なんの予備知識もなく、いきなりドイツの小学校にポーンと放り込まれた僕は、授業についていける・いけない以前の問題で、授業中に何が起こっているのかさえもわからない状態。そもそも、アルファベットすら知らない!クラスのみんなが、今まで使っていた罫線ノートをしまって、かわりに方眼ノートを取り出したのを見て初めて、「あ、授業がドイツ語から算数に変わったんだ」とわかるという。授業中にみんなが笑っていても、先生が怒っていても、僕にとっては原因がまったく不明。かといって、会話のできない生徒をいちいちかまってくれるほど、同級生も大人じゃない(子どもなので当たり前です)。なので、最初の頃は授業のみならず、休み時間のときも一人ポツンとしていた記憶があります。

エポックメイカー

そうした中、自分にとってはエポックメイキングな出来事が起こったのです。編入して数ヶ月後のことだったでしょうか、覚えたての「Wie heißt du?(君の名前は?)」という質問を休み時間中、同級生に投げかけたら、「Ich heiße 〇〇(ボクの名前は〇〇だよ)」と、ちゃんと返事が戻ってきたのです。すごい!オレのドイツ語がちゃんと通じた!オレ、ドイツでも案外大丈夫かも?!と期待を抱けた瞬間でした。

今でこそ「それが?」という感じですが、ドイツ語がまったく話せなかった当時の僕にとって、初めて発したドイツ語がちゃんと理解されたことがとても嬉しかったのです。その後は、「なんだお前、ドイツ語話せるじゃん。しかも、家も近いじゃん」という感じに、友達の輪が広がっていきました。

小澤征爾さんも通った道

もう一つ、自分にとってプラスになったのは、習い事でした。習い事は、技を習得することを通じて、外国語も付随して学べるというメリットがあると思います。

僕の場合、ドイツに来て間もなくヴァイオリンを習い始めたのですが、そこには「ヴァイオリンが弾けるようになる」というゴールが設定されているわけです。そして、そのゴールを目指すべく、先生は僕に手ほどきをします。つまり、ドイツ語が完全に理解できなくても、自分が何をやっているのかのイメージが沸くため、ドイツ語を形として習得することが可能となったのです。「よくわかんないけど、要は『中指ではなくて薬指を使え』、『その箇所はまずは静かに引いて、音量を徐々に上げていけ』って言ってるんだな」という風に。

自分を小澤征爾さんと比較するのは何ともおこがましいのですが、小澤征爾さんが1959年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した際、言葉が通じないにもかかわらずオーケストラの団員とコミュニケーションがとれたのは、そこに『音楽』という共通語があったから、のようですね。

小さな喜びや習い事を通じて外国語を学ぶ・・・みなさん、そしてお子さんも似たような体験をしているのではないでしょうか?

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