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デス・レター(→3rdアルバム制作)
表記の通り、俺たちは通算3枚目のアルバムを作ることにした。遅くとも年内の発売(おそらくもっと早くなるだろうが)を予定している。前作を上回る出来に、是非したい。
アルバム制作は、身を削る作業だ。
アマチュア時代の俺は、ある楽曲において、ひとつのパートを録ってはダメ→反省会→課題出し、それを踏まえてまた同じところを録ってはダメ…の繰り返しで、まあ、録音の作業時に長く身を削った。
2ndの時は、すでに溢れるように曲が出た。しかしそれらは、その間味わった痛恨事の数々の代償であった。むしろ曲のアイデアが生まれるまでに身を削ったと言って良い。
3年前、Kumeという優秀なドラマー兼共作者を得て、→はひとまず平和である。ならば俺は身を削らずしてより良いアルバムを作れる、というのは甘い考えである。
前作、前々作に共通するのは、楽曲の数々が、俺の心の空虚を埋めてくれたということである。俺が、失った心の円満に渇えたからこそ、切望したからこそ、俺は前2作に一定程度満足できた。その曲たちになんらかの狂気と希望が宿ったのだろう、聴いて賛辞をくださった方もいらっしゃった。
俺は今回、自らに暴風雨を起こしたい。そうして何かをドブに捨て、取り戻せないと知りつつ渇望する状況に陥りたい。依存的。その通りだ。だが、俺はこうでないと作れないとわかっている。まして過去2作と違い、今は連れがいる。彼女の顔に泥を塗るようなことがあってはならない。絶対に、過去を凌駕するものにならなければならぬ。
だが、バンドであることが、ある意味俺の桎梏にもなっている。バンドとは、一体感が命だ。嵐が起こればバンドは危機に晒される。その時「こいつがいるから大丈夫」で、良い音楽ができるわけがない。安心感のあるロックなぞ、芸歴ウン10年のベテランに任せればよい。どうなるかわからないからこそ、ロックは面白い。
バンド解体寸前まで、俺自身を落とし込んだ時に結実するもの、そのように身を削ってできた曲は前にも増して、愛おしいはずだ。即ち、バンドと個人の両立。バンドメンバーであってソロアーティストであること。そしてその双方に哀しみが胚胎していること。これができたら、多分今回はうまくゆくだろう。
だからと言って、今回のアルバムが、重厚感のある、暗い鬱々としたものになるはずがない。闇を知っているから、光の明るさ大切さがわかるだけの話で、曲の調子は全体的に、朗らかなものになるだろう。俺はその朗らかさに、スポイトで一滴、毒を垂らすつもりではあるが。
テーマは、「お土産のない旅」。「レッド・ゼッペリンⅢ」に、勝てたらいいな。