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ゆめとげんじつのあいだ ―作品案内のようなもの―

現実を夢のように生き、夢から現実への啓示を得る――
わたしにとっての夢と現実のあいだがらはそんなようなもので、よくまあこれまでふわふわと生きてこれたよな、と思う。

現実よりも夢のほうに現実味を感じる、とは言い過ぎだが、わたしの「創作」に関して言えば、苦しんで思考してひねり出したものよりも、夢にインスピレーションを得たもののほうに〈リアルさ〉を感じてしまう。
その〈リアルさ〉は、「夢のなかではどんなに不条理なことでも納得されている」という類いのものなので、むろん、容易に他人に理解されるものではない。また、かたちにしてしまうことで、うっすらと感じられていた〈リアルさ〉が消えてしまうこともよくある。

わたしにとっての〈リアルさ〉を損なうことなく、なおかつ、だれかの共感や理解を得られるものができていたらいいなと思いながら、今夜もまた、よい夢をみられることを願ってねむりにつく……


① 港町シリーズ

「港町シリーズ」と名づけた一連の夢日記は、古いものだと中学生だった頃に夢にみて、練っていたアイデアをかたちにしたもので、かっこつけた文章のわりには世間知らずな幼稚さ(←おとなとこども、男と女の対立を前提にしている点など)が漏れ出ていて、いまは読み返すに堪えない。

わたしの暮らした港町をモデルに架空の町を設定し、「兄」と「妹」ふたつの視点からひとつの物語を紡ごうとしている。

「妹」より早くなにごとかを知り、なにかを隠している「兄」。
「兄」の変異を知りながら、隠されたものを見たいとは願わない「妹」。

「妹」への歪んだ愛情を抱き、支配しようとする「兄」。
「兄」のたどった変異を忌避し、離れようと(留まろうと)する「妹」。

そこにあるのは、「おとなになることの拒絶」「こども時代への執着」だ。フォークナーや中上みたいな壮大なサーガにはとうぜんならず、ちいさくせせこましい物語たちの寄せ集めとなっている。

「こども」とよべる時代は日々遠ざかり、いやおうなく「おとな」の側に組み込まれてゆくにつれて、中学生の頃に抱いていたあの思いは薄れていく。この物語の続きをあの頃とおなじような熱量で紡ぐことは、たぶんもうできない。
ただ、「兄」も「妹」も、まだ物語を開始してすらいない地点に置き去りにされていてかわいそうなので、いずれなんらかのかたちにしてやりたいとは思い、いまここに晒している。


② ぼくが女装する夢

「ぼく」と言ってもぼくではなく、夢のなかの視点人物なんだよな。

三本しかないけど、Twitterの女装垢をはじめるまえにすでにみていた夢で、その頃からぼくに女装願望があったことの証明だ。

三人兄弟の年長だが、すぐ下に異性の従妹がいて、どちらかというと女の子と遊ぶことが多かったぼくは、なんで女の子のかっこうしちゃいけないんだろう?って思ってた。

だから、大学に進学してひとり暮らしを始めたとき、ネットで知り合ったふたりの女性の手ほどきを受けてじっさいに女装したりもしたのだが、思い描いていた理想の姿とはほど遠く失望のほうがおおきかった。

たぶんぼくは「女性を装う」のではなく、「女性そのものになる(あるいは、男性女性どちらでもないものになる)」ことを願っている。ひとつめの夢にでてくるGIDの少女、ふたつめの夢にでてくる女装した男子は、そういった願望が具象化したもの。完璧すぎる。

ぼく自身の限界を知って、ひととひとの欲望が絡み合っているさまに吐気をもよおすようになって、女装への熱意も冷めてしまったいまとなっては、もう見ることのない夢なんだろうな、とちょっとさみしく思っている。

(どちらでもないものになることは、まだやめてないよ!)


③ 夢のつづき(未分類)

雑多な夢の寄せ集めだが、いくつかのよくみるモチーフがあるっぽい。

  • 本来あるべき境界が消失し(もしくは薄れ)てしまってる夢

  • 知ってるようで知らない土地を訪れたり、はじめて歩く道で迷子になったりする夢

  • 〈すきなひと〉の夢

  • どこから出てきたのかわからない登場人物たちが出てくる物語っぽい夢

夢に出てくるひとや風景は、モデルはあっても、じっさいは存在したことないものだと思っている。

夢に見る人物のうち比較的モデルがはっきりしていると感じられるのは、中学・高校時代の友人たちで、短くない時間をいっしょに過ごしたのにもう二度と会えなくなってしまった後悔(のようなもの)が、いまだに彼らを夢にみさせているのかもしれない。

反対に、いちども会ったことのない存在を夢にみることもあって、こちらのほうが想像で創造している度合いがおおきい。創作上のキャラクターやインターネットの文字列としてだけ触れ合ったひとびとがそのモデルとなっていると思われる。

いちども会ったことのない〈すきなひと〉が夢に現れるとき、輪郭はぼんやりしていて、たぶん姿も一様ではない。それなのに、なんとなくその人だと感じられているのはふしぎだ。彼の言動やイメージを日々更新することをやめてしまったので、これからは夢にみることは減るんじゃないかと思われる。これもまたさみしいけど。


③ - ⅱ 特に気にいっている夢3選

⑴ 好きな子と回り道をして帰る夢(23.8.5)

ぼくの人生にはなかったシチュエーション。
「共通の友人氏」は思いあたるモデルがいないがいい味出してる。とてもいい。
「後輩」は〈すきなひと〉のイメージで、だんぜんかわいい。とてもいい。

⑵ 少女と夏祭り(24.4.20)

雰囲気や登場人物の言動がきわだってリアルだった。
夜、暗くなって照明が灯り、きらびやかだったイメージはまだ残ってる。
「背中の曲がった足の悪い男」はバグみたいなものだけど、こういうのもかえって「現実」っぽい。
ぼくは「なおちゃん」になりたいんだなー、って思った。

⑶ 幾何学模様の流れ星(Aztec Meteor Shower)(24.10.28)

これも現実にはなかったことだけど、「こいびと(?)」との関係ややりとりはあってもおかしくない感じがするからふしぎ。今日も仕事が終われば、あの(住んだこともない)アパートで、ねこみたいなこいびとがぼくの帰りを待ってるような気がする。
かれらのその他のおはなしをみせてほしい。ぜひとも。


④ 小野フランキスカの《断片》

さいしょはわたし自身の管理・記録のつもりで書いていたのだけど、ちょっとずつ創作が混ざりはじめている。楽しいからいいんだ。

各話のタイトルを「断」からはじまる言葉にしてるんだけど、それだとどうしても悲しい、厳しい話にしかならなくて、少しくらい前向きな話があってもよくないかと思って書いたのが「断么九」。

小野フランキスカとナオ(栖庫柾楠)はどちらもわたしで、ふたりでひとつ。
キャラとしてのふたりは、表面的な付き合いじゃなく、損得によるつながりでもなく、欲望による癒着でもなく、依存でもない、どこか深いところでむすばれていてほしい。
こういう「ふたり」にあこがれてるんだ、わたし。

斧と剣の今後をどうするか、わたしの状況を反映させるなら悲劇的結末しかなさそうな気がするけれど、そうじゃないところにふたりを導いてあげたい気もする(「断」しばりをのこしたまま、ハッピーな話にするのはむずかしそうだが)。

わたしのなかの「熱」が冷えるのにともなって、小野フランキスカのことを語る動機もなくなってしまうんじゃないかというのが、ちょっと心配かも。


⑤ 幻日日記

むかしのできごとは、隔たってしまえばそれがほんとうにあったかなかったかわからない夢みたいなものだ。
そういう意味ではこれもまた「夢日記」の類いなんだろう。

いちおうわたしの経験したことをもとに書いているけど、時を隔てて、「語る」行為に、作為が混ざらない保証はない。

それが証拠に、楽しい話ではなく、いかにわたしの過去がくだらなくダメであったかが強調されていて、悲劇のヒロインを気取っている。

楽しいことやよかったこともわたしの過去にはたくさんあるけど、通りすぎて見ないようにしてきたものたちとちゃんと向き合おうかなと思って書きはじめた感じ。

鼻につくから読まなくていいけど、うっかり読んで鼻白んでしまったらごめんなさい。現実によりかかった「おれ語り」の類いだと思って流してほしい。


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