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小野フランキスカの断腸花
小学校にあがってまもない五月の連休ごろに種をまいた朝顔は、教員たちの目が行き届いているうちはだれの鉢だろうと問題なく育っていった。
夏至を過ぎるとつぼみをつけはじめる鉢がみられるようになり、いちはやく花を咲かせた鉢の所有者たちは遠慮なくドヤった。
小野フランキスカの鉢はまだひとつのつぼみもつけていなかったので、小野フランキスカは内心穏やかではなかったが、「ツルも葉もしっかりしてるからだいじょうぶ」という教員のことばに励まされて健気に待った。
けっきょく小野フランキスカを含めた何人かの鉢はつぼみをつけないまま夏休みを迎えた。「おうちにもってかえって、かんさつにっきをつけましょう」と言われたとき、小野フランキスカは(このまま花が咲かなかったらどうしよう)と不安になったが、「しっかりおひさまにあてて、お水をたくさんあげてくださいね」という教員のことばを鉢といっしょに胸にだいて帰った。
夏休みに入ってしばらく経ったある日、いっしょに遊ぼうと待ち合わせしていた公園に、「ナオ、どうしよう」といつになくあわてた様子の小野フランキスカがやってきた。
聞けば、朝顔の鉢が枯れてしまった、という。じぶんの鉢はなんの問題もなく育っていたので、なんで小野フランキスカの鉢がそんなことになったのかわからなかったが、「それならうちにくれば?」と小野フランキスカを誘った。
これまでなんども小野フランキスカをたすけてきたときとおなじように、小野フランキスカは干天の慈雨大海の浮木地獄に仏カンダタに蜘蛛の糸って感じの顔でわたしを見つめてくるので、そろそろ「小野フランキスカにわたし」ってことわざがあってもよさそうだと思えた。
「うちのひとがエンゲイ?してるから、言ったら朝顔もらえると思う」
「さすが、わたしにナオ、だね」
(こいつ言いやがった)って思いが顔に出たかもしれなくて、小野フランキスカは「ん、どうかした?」って首を傾げてくる。
わたしは「べつに」と言ったあと、胸の奥があたたかくなっているのを感じる。なんとなくそれを気づかれたくなくて「いこ」と声をかける。
小野フランキスカが「うん」と応える。
わたしたちがうちにつくと、ちょうど父親が庭で草木の世話をしているところだった。
父親は小野フランキスカをみとめると一瞬眉根をよせ渋い顔をつくったような気がしたが、ふだんから愛想のない人だからわたしの気にしすぎかもしれないと、そのときは深く考えなかった。
小野フランキスカは父親にあいさつをしようとしたみたいだったが、わたしたちを視界に入れまいとするかのように向けられた背中に気圧されて、ことばが出てこないようだった。
わたしが事情を話すと、父親はわたしたちに背中を向けたまま、「當眞に聞きなさい」とだけ言った。
「とうまさんはさ、わたしんちのお庭のせわをしてくれてるんだ にわし?ってやつ?」
わたしが紹介すると、小野フランキスカは元気よく、「小野フランキスカです、ナオのともだちです」と、さっき父親にしそびれたあいさつをする。「はじめまして、小野さま」と慇懃に言われてくすぐったそうにしている小野フランキスカをちょっとかわいいと思った。
當眞さんは小野フランキスカの話を聞いて、朝顔が枯れてしまったのは日に当てすぎたことと水をやりすぎてしまったせいだと診断した。
「小野さまの愛情が大きすぎたのですね」
「大きすぎると、ダメなの……?」
「ええ、そうです 相手のことを考えずに注ぎたいだけ愛を注いでしまうと、受けとめる方はあふれた愛に溺れてしまってうまく生きられなくなるのです」
當眞さんの口調はやんわりとしていたが、小野フランキスカには刺さったのだろう、咲き終えた朝顔の花みたいにしょんぼりしていた。
「こちらですよ」と當眞さんに案内された庭の一角には、朝顔の鉢がいっぱい並んでいた。
「すごい、これぜんぶあさがお?!」
どれも立派な花をつけているのをみて、小野フランキスカは興奮しているようだった。
「緑のカーテンをつくるのに毎年育てているのです 今年のぶんはもう終えましたから、どうぞどれでも好きなものをお持ちください」
そう言われて、小野フランキスカは真剣な眼差しで朝顔を選んでいたが、ふと鉢の向こうに植えられている植物が目にはいる。
「ねえナオ、これ、葉っぱがハートだ」
「ほんとだ ……あれ、でもかたほうだけ大きいね?」
って話していると、當眞さんが「それはシュウカイドウというんですよ」と教えてくれる。
「秋に花を咲かせるから、春夏秋冬のシュウでシュウカイドウ」「いまは少し早いですが、もうちょっとしたらかわいい花が見られますよ」「葉が左右非対称のハート型をしているのが特徴です」と説明してくれる。
たしかに葉っぱはぜんぶ片方だけが大きくて、朝顔に愛情を注ぎすぎて枯らしてしまった小野フランキスカみたいだなって思ったけれど、口にするときっと傷つくだろうから黙っておく。
そのとき當眞さんは、「別名、ダンチョウカとも言うんです」って教えてくれたけど、小学生だったわたしには意味のない音の連なりにしか聞き取れなくて、聞き流したまましばらく忘れていた。
――何も言わずにいなくなった小野フランキスカのあとを追い、断崖絶壁のへりから踏みだした小野フランキスカを掴んだあと、いまわたしたちは日本最西端の海洋島にいる。
「せっかくだからみてこ」って小野フランキスカが言って、わたしが賛成したのだ。
「ねえナオ、この葉っぱ」って、小野フランキスカが指さす先をのぞき込む。左右非対称のハート型だ。
「シュウカイドウ、かな?」
なつかしい名だ。
「似てるけどな、この島ならコウトウシュウカイドウかマルヤマシュウカイドウじゃないか」
「シュウカイドウじゃん」
「別種なんだよ」
「だいたいいっしょってことでしょ」
「まあな」
これ以上は不毛だと判断して、わたしが折れる。
その名をはじめて耳にしてからしばらく忘れていたシュウカイドウ――ダンチョウカと再会したのは何かの漢籍を引いていたときで、そのときはじめて「断腸花」という表記と、名の由来を知った。
来る日も来る日も訪れのない恋人を待ちつづけ、断腸の思いで流す涙が滲みたあとから生えてきたのがシュウカイドウ、ゆえに別名「断腸花」。
歪なハートは、かつては小野フランキスカの朝顔に向けられた愛情だった。
いまは、どうなんだろうな。
なあ、フランキスカ。
シュウカイドウの花言葉を知ってるか?
わたしは声に出さず、小野フランキスカに訊ねてみた。
とうぜん、返事はない。
「フランキスカ」
わたしは呼ぶ。
「ん」
小野フランキスカが答える。
わたしは、せいいっぱいのぬくもりをこめて、こう言う。
「ぬてぃぬあるあいや とぅやいしゃびら」
「え、ぬてぃ? え、なに?」
「この島のことばだそうだ」
わたしはその意味をおしえない。
いのちのあるあいだ、いっしょにいましょうね――
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