デザイン史(概論)#08 産業革命による激変〜新しい建築タイプの出現とゴシック。
はじめに(毎度の挨拶)
大学での講義をまとめて不定期に少しずつ記事にしていっています。
専門的になりすぎず、なるべく平素にわかりやすくなるよう、努めていきます。
しかしボリュームがあるため、いつ終わるかわかりません。(汗)
書いているうちに、授業では言えなかかったことも盛り込めることに気づいたので、ゆるゆる進めていきます。
単独でも読めて、小分けにして、読みやすくなるようにしようかなと思います。
前回の記事
こちらの記事は、下の記事の続きになってますが単独で読んでもいただけます。
産業革命で世界が変わる→新しい建築タイプの出現
最初にイギリスで起こった産業革命は、これまでのお話と重なっている時代でもありますが、ジェームズ・ワットが蒸気機関を発明したのが、1765年。これが産業革命の始まりとされています。
電気の消費量を表す単位として日常的にも使用しますが、こんなお顔だったとは・・・さすが18世紀、古典的ですね!
とはいえ、この発明の前後には他にも色々発明されています。↓
18〜19世紀の初めにかけて、鉄・動力・輸送
が出現したのがわかりますね。
蒸気機関という人工の動力によって、石炭を発掘し、鉄鋼生産、などを可能にし、機械産業が発達して、重要になります。
それが、鉄道や蒸気船などの新しい交通手段により運ばれ、世界貿易が促進されてました。
ここに、それまで存在しなかった、新しい建築タイプ が生まれます。
それは、鉄道路線→駅舎、運河、ホテル、工場、官庁、アパートなど・・・・
世界で初めて、鉄道が通ったのは、1830年開業 イギリス マンチェスターとリバープール間でした。
新しい建築タイプをどうデザインするか?
さて、皆さんが、これまでに存在しなかった何か(ここでは建築物)を設計(デザイン)するように依頼されたとしたら、
(問い)どんな形にしますか?もしくは何をデザインの拠り所としますか?
産業革命がもたらした世界の変化の中で、19世紀を通じて、新しい建築タイプが出てきたと前節で言いました。上に挙げた他に、さらに出てきたのが、
裁判所、美術館、博物館、劇場、コンサートホール、銀行、取引所、病院、オフィスビル、デパート・・・などがあります。
どれも、現在の都市にあるものばかりですよね。これが近代になって初めて世界に出現したのです。
さっきの問いです。
それまで存在しなかったモノに形を与えなくてはならない。
建築においては、その時に用いられたのが 過去の様式 です。
単純に考えれば、それまでなかったモノをデザインする時、機能の外側、つまり建築物で言えば外皮、ファサード(外観)について、過去の様式を着せる、ということになります。
結果から言えば、19世紀は、新しく出現した建築タイプに対して、さまざまな過去の様式(スタイル)を使いました。
この、過去のスタイルの適用は、ランダムに気分のままに用いられたわけではなく、それなりにメソッドがあったと考えられます。
例えば、
銀行=永続性のイメージ → 古典系
劇場=華やかさ → バロック
クラブ建築=非日常性 → 異国スタイル(エジプトなど)
大学=ルーツが修道院、俗世からの隔離のイメージ → ゴシック
→ それらは部屋別にも使われ、ミックスされてもいた。
例えば先にあげた世界最古の駅舎は古典主義的なスタイルになっています。永続性のイメージかもしれません。
建築史を知らない人にはこのスタイル(様式)がわからないかもしれませんが、悪しからず・・・。
ここで、結果から言えば、と言ったのは、その裏には建築史的には重要な側面があるのです。
きっかけとしては、ゴシック・リヴァイヴァル(復興)というものがありました。
💦しかし、ここでそれらを説明するには、ちょっと基礎理解が色々と必要になってくるので、そのうちやろうと思っている建築史の記事の中でも触れていきたいと思っています(いつになるのやら。)が、これだとあまりに気持ち悪いと思うので、できるだけわかりやすくなるよう気にしつつ、書いてみます。意味がわからなかったらごめんなさい。
気になる人だけ続きを読んでくださいね。
19世紀に出現した建築様式(スタイル)の相対化
本節は、建築学入門シリーズ『西洋建築史』の吉田鋼市先生の記述を元に解説します。
とあります。
以後、スタイルを様式と記します。
そもそも、長い建築史の上で、様式というのは、その時代に必然的に出現し建築に適用されていたものでした。
ですので、例えば中世ゴシックの時代に全く別の様式が一緒に使われるということは基本的にありません。ゴシックの教会は、ゴシック様式でそれが徐々に変化していきその時代にあった様式で形が作られます。
19世紀になると、時代のスタイルを持つことがなく、過去の様式の価値が相対化しました。つまり、同じ時代にさまざまな様式が同時に出現したわけです。
先ほど言ったように、その発端となった様式は、ゴシックで、ゴシック・リヴァイヴァルというものが起きました。ゴシック復興 ということですね。
典型的なゴシックをひとつご紹介。
ところで、ゴシックってどんなもの?
ということなのですが、建築ではなくデザインを勉強されている人にはあまり馴染みのないスタイルかもしれませんので、一つ"旬な"ゴシック建築を紹介します。
パリオリンピックが終わったばかりですが、フランスを代表するゴシックが、パリのど真ん中にある、パリ・ノートルダム大聖堂です。一大観光地ですよね。世界遺産でもあります。しかし、2019年に火災があり屋根と尖塔を始め、多くの部分が焼け落ちて世界に衝撃を与えました。フランスはオリンピックまでに外観を修復することを宣言していましたが、開催時点では足場などまだあったようで、間に合わなかったと思われます。。。ちなみに修復は中世の技術や道具を復元して作られ、多くの若いアーティストも活躍しているようです。
火災前の姿:
この大聖堂は、古代ローマの時代から聖域だったところに、12世紀ごろからキリスト教のバシリカ(教会)が建てられたのが始まり。火災前の姿になったのは、19世紀に長い間放置されていてボロボロになっていたところを、ゴシック・リヴァイヴァルの動きの中で、修復されたものでした。修復したのが、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクという修復家でした。彼の修復には多分に彼自身のデザインが入っていたということでその後かなり酷評されてきた経緯もありましたが、今回の火災により、このヴィオレ・ル・デュクによる修復である火災前の姿に戻されることが決定されたようです。これが世界遺産として世界の人々が認知しているパリ・ノートルダム大聖堂ということなのでしょう。ちなみに、彼の当初の外観の計画案には、この四角い双塔の上には、尖塔が立つことになっています。
下図がその図面です。勝手に引用したので、怒られたら消します。
(ちなみに、授業では教育という観点から画像を自由に使えるので、記事では苦労しています・・。)この図面を、建築学科ではなく、デザイン学科の1年生にトレースさせたことがあったのですが、とっっても苦労していました。図面を書いたことがないので当たり前なんですが、それでも結構頑張って最後は仕上げてくれましたよ。完全に余談ですね。
ヴィオレ・ル・デュクは、実際には特段には合理的ではなかったゴシック建築について、合理的であるという観点から膨大な著書を書きました。これが後々に、フランス内外に大きな影響を及ぼします。
それが、デザインへと影響を及ぼしていくので、今回は特にゴシックに触れました。
ちょっと建築の様式について。めっちゃざっくりとね。
さらに深めたい人向けに。
もう本当に大きーくざっくりすぎるほどざっくり分けていくとですね。
「西洋建築」の範疇にある、近代より前のヨーロッパの建築物は、
古代 中世 近世
と大きく分けた時、
古代=古典主義
中世=ゴシック
近世=古典主義系(復興)
となっていたわけです。(他にもあるんですけどね=なので”系”とした)
だから、ここまではほぼ、古典とゴシックしかないわけですよ。誤解を恐れずさらにざっくり言えば、
古典は古代ローマ・ギリシア、ゴシックはゲルマン民族(今のフランス、ドイツ、イタリア北)が作ってきた様式です。
そして、ゴシック という言葉は ゲルマン人、つまりゴート族(蛮族)という語源であって、野蛮な民族という意味なのです。東からゲルマン人移動でやってきた人々、ということで、もとは差別的な意味もあります。
そのゲルマン(ジャーマンですよね)人が、たくさん移動してきて、色々あってキリスト教と融合し出来たキリスト世界の建築様式がゴシックなわけです。
これがキリスト教の興盛とともに、中世の建築を形作ってきた。
その中世を終わらせたのが、ルネサンスであり、ラファエッロが時の教皇に命じられてローマの遺跡を調査し、ローマ建築を絶賛した。(彼はゴシック建築をこき下ろしてます😅)この時代に、建築におけるルネサンス=古典復興 が出てきました。その辺りが近世の始まりだったので、19世紀ではそれが続いています。
つまり、19世紀の初めは、比較的 古典賞賛、ゴシック軽視 という状態です。(ここでバロックは置いといて)
ゴシック・リヴァイヴァル
しかし、ゴシックは単に軽視されてきたわけではなく、例えば、ロマン主義の中で、あるいは教会堂を破壊する行為(ヴァンダリズム)に対する反省などから、
歴史的・文化的な遺産としての中世ゴシック という見方が生まれました。
つまり、ここで、歴史保存の概念が生まれてきたのです。
また他方で、ゴシック建築の構造的な合理性、精神的な倫理性 というものを見出す考え方も出てきました。それはルネサンス以降の建築が、外壁を装飾するだけ、という建築だった反動でもありました。
それが、まずはヴィオレ・ル・デュクだったのですね。
いやー、デザイン史の授業ではここまで触れてません。結局、美術史、建築史、デザイン史は、切り離せないところが多分にあるので、脇道に逸れる逸れる・・・・。
産業革命だけを書くつもりが、ゴシックにまで及んでしまいました。
ともかく、この話はまだまだ続くのですが、今日はこの辺で・・・。