ルドルフ・シュタイナーそしてゲーテアヌムという建築について
昔、先生(私の元指導教官)に尋ねたことがあった。自分は、ルドルフ・シュタイナーで論文を書いてみたいのだと。先生は、やめておけと言った。
それには色々な理由があったし今ではよく理解ができる。確かに、シュタイナーについて語ることはなかなかにハードルが高い。膨大な著作や作品、活動。またその性質ゆえに、理解に至るには生涯をかけるほどの内容ではある。しかし、いまだに私はシュタイナーに興味があることには変わらない。
孤高の天才 ルドルフ・シュタイナー
ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner:1861-1925) はWikipedia的なところで言えば、オーストリアの神秘思想家、哲学者、教育者、ということになっている。哲学については学位を受けており多くの著作からもそうであるとしか言いようがないが、彼はそれ以外にも、自然科学、数学、文献学にも通じており芸術家や作家としても活躍した。日本でおそらく最も知られているのは、シュタイナー教育であり、実際にその教育方法を実践している教育機関が各地にある。例えば、俳優の斎藤工さんもシュタイナー学校を卒業しているという報道もあった。シュタイナーの多数の著作は日本語でも出ているが、難解ではある。彼は人智学(アントロポゾフィー)という自身が提唱した説に基づいて様々な著作や講演などの活動を行った。
建築家としてのシュタイナー
彼はまさに天才というべき人だったと思うが、同時に彼は建築の文脈でも語られる。建築史上では、ヴォルフガング・ペーントの著作『表現主義の建築(下)』(長谷川章訳, SD選書, 鹿島出版会206, 1988年) にまとめられているように、表現主義にシュタイナー建築は系統づけられている。
シュタイナーは建築家であったのか。実は彼は、建築に関しては、最初門外漢であった。しかし、建築(空間)が人智学において非常に重要な意味を持つが故に、ゲーテアヌムをはじめとして多くの建築物を設計することに深く関わったことは事実だ。実際には、シュタイナー設計とされているものも、そのほとんどは単独の設計ではなく、他の建築家や設計事務所との連携の中で生み出されたものである。
私は、なぜかわからないが、数あるシュタイナーの遺された写真の中で上記の写真が好きである。1900年ごろの写真とされていて39歳?には見えない何か青年の真っ直ぐさや真面目さなどが、きちんとした身なりや目つきから感じられる。
第二ゲーテアヌム
彼の建築は、スイスのバーゼルの近郊ドルナッハという街の丘の上に建つ、ゲーテアヌムという作品でよく知られている。バーゼルという街はスイス、フランス、ドイツの接する国境付近にあり、一度私もゲーテアヌムを見たいと思い、訪ねたことがある。
ドイツから列車で入国したのだが、入国した途端、物々しい機関銃を持った迷彩服の兵士達が電車の中を点検し、一人一人パスポートをチェックしていた。それが入国審査の代わりだった。我々東の辺境の国の民である日本人にとってはチーズやアルプスなどの綺麗な風景、そしてなんと言っても”永世中立国”としていかにも平和な国のイメージだが、スイスは、ヨーロッパのど真ん中にあって、完全な武装により中立が成り立っているということを実感させられる象徴的な体験だったように思う。そんな感じでドイツから物々しく入国し時間的には遠くないスイスに着いてすぐの街がバーゼルであり、そこからすぐ隣町といった感じでバスで行けるのが、ドルナッハである。
ゲーテアヌムの第一印象は、一言で言えば、衝撃的な建物だった。簡単に表現主義などというにはなかなかに単純化していると思う。ただ、おどろおどろしい印象はなく、今でも活気ある信者や観光客で賑わっている明るい雰囲気の場所だった。
その時の写真がすぐに出せないので手抜きをして、wikipediaから紹介を。
この建築物はスイスの国定史跡にも指定されており、表現主義建築の傑作とも言われる。
先に紹介したW.ペーントの著作中の表現を借りれば、シュタイナーは「白魔術」という善に満ちた魔法を提唱したとされる。現にシュタイナーはその著作の中でも度々、超人的な能力や知識に基づいて教えを説いている。著作そのものは、むしろ厳密で学術的な説明によって超感覚的世界について緻密に書かれており、シュタイナーを熱狂的に慕う信者は当時非常に多く、そのカリスマ性から、俗に言えば教祖のような存在となっていた。
建築の門外漢だったとはいえ、彼はやはり歴史に残る建築物を創造した一人の建築家であり、建築に関する五つの講義が本としてまとめられ出版されている。
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シュタイナーの造形理念に深く関わるゲーテの植物理論
ゲーテアヌムとは、想像の通り、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe: 1749-1832)から来ている。
シュタイナーは、本の最後の説明書きににこのように始めている。
ゲーテの植物に関する理論が、シュタイナーの建築造形に深く関わったことはよく知られている。
それは、理念的な植物の原型とされる 原植物"Urpflanze" が、無限で多様な外的フォルムを持つ植物となり、この多様なフォルムの中には原植物の理念像というものが具現化されている、というものであり、シュタイナーによればその理念は建築思想、ひいては建築形態の中へと応用される、という。また、「有機体の多様性の中には人間の思考力の内的な躍動によって巡ることのできるある造形原理が支配している(ゲーテ)」(前出書249頁)とされている。
シュタイナーにとって建築形態はそのように、確固とした理由から決まってくるものなのであるから、ゲーテアヌムに顕著にみられるダイナミックな彫塑的造形は決して他からやってきたものや、芸術家の感覚的で気まぐれなスケッチから生まれるのではなく、人間の思考力の内なる躍動と、確固たる理念によって生み出されたもの、ということになる。
と言ってしまえば非常にわかったような、わからないような、へえ、そういうものなんだ、ということで理解したつもりになるのではあるが、そうは言っても、建築というものはやはり、誰かが図面を引き、地球上の物理的法則に則って、人々が手と機械によって一つ一つ、作っていく人工物である。ゲーテアヌムも突如として神の啓示とともにこの世に現れたものではなく、もちろん他の建築物と同じく、多くのアイデア、スケッチ、そして試行錯誤を繰り返し、徐々に人の手によって作り上げられていったものなのだ。
第一ゲーテアヌム
さて、実はこのゲーテアヌム、現存しているものは、「第二」番目のものである。これに先駆けて、原初のゲーテアヌム:第一ゲーテアヌム というものが存在した。実はこちらこそが、シュタイナーと設計者、そして彫刻家などの手と時間を費やして作り上げた労作であったのだが、1922年の大晦日の夜、何物かの手によって放火され焼失した。未完成とは言われたものの、1913年に竣工した第一ゲーテアヌムは、10年未満で失われた。
ちなみに、不確かでしかないことだが、シュタイナーは、アドルフ・ヒトラーからユダヤ人と言われ敵視されていたことは知られていて、実はこの放火事件も、ヒトラーの関係ではないかと言われている記述があったように記憶している。放火当時、シュタイナーはその予知能力?からそのことを悟っており、あらかじめて避難していたという記憶があるのだが、その記述を探す手間と労力が今回なく、まあ四方山話ということで書き留めておいたが、この話は事実かどうかわからないことを今はここに書いておく。
今はミュンヘンに模型のみが残っている第一ゲーテアヌム。この原初のゲーテアヌムに対して、第二ゲーテアヌムについて、前出のW.ペーントに言わせればこうである:
シュタイナー自身が設計に携わったとはいえ、シュタイナーの死後3 年で竣工したこの巨大な第二ゲーテアヌムについて、彼が”単なる大学用の実習施設である”と考えたことの根拠はこの本には記されていないのだが、もしそれが本当だとすれば(確認できていなくて書くのは申し訳ないが)、この第二ゲーテアヌムが現在でもスイスだけでなく世界でも重要な建築物の一つともなり、また、表現主義の代表的な建築物として、また固有の建築物としての造形的な完成度など価値の高いものと評されることは皮肉なことではないだろうか。
アーリマン的世界とルシファー的世界
さて、肝心のゲーテアヌムそのものについては詳細に触れることのない記事になってきているが、一つ、この記事を書こうと思ったきっかけでもあることについてだらだらと書いておこうと思う。
シュタイナーが、『悪の秘儀』の中で少し触れているのだが、これからの世界はアーリマン的な世界になると予言している。アーリマンとは、機械や技術といったいわゆる現代的な意味での科学が万能となる唯物の世界の神である。対してルシファー的世界があり、これは、美的感動や感覚による唯心的な世界を代表するものとしている。そしてこの二つの世界の均衡としてのキリスト像 というものをシュタイナーは説くのである。
このアーリマンは、ゾロアスター教における闇の神を語源とし、ルシファーは、いわゆる堕天使として知られる悪魔の王の原理である。(ちなみにシュタイナーの別の著作『天使と人間』には天使の階級や存在の意味をかなり詳細に解説している。)
このアーリマン的な世界というものはまさに近代という認識そのものと重なる。非常に荒々しい重ね合わせではあれど、このアーリマン的な世界の見方としてのサイエンス、技術、AIなどがますます台頭している今現在、本来宗教というものと切り離すことのできなかった”建築”も、科学や技術などの唯物的観点から語られることが圧倒的なものとなった。ゆえにシュタイナー建築や表現主義についても語ることがより困難となってきている側面があると思う。そんな中、論文というさらに狭義の世界において、ましてや日本では大部分が工学部に属する建築という分野においてシュタイナー建築を語ることはもはやかなりの”テクニック”を必要とする。
本来、語ることは自由だ。想うことも。表現主義という括りで大まかに学術的な流れに乗せられている多くの建築家や建築物、それぞれに、背景がありストーリーがある。しかし、そのような建築物も建築史的、美術史的な評価を超えて、今の時代にも残り、人々に日々啓示を与えているのもまた事実である。
たくさんの、科学や言葉で説明のできない、現象としての建築やその思想について想いを巡らせるうち、このゲーテアヌムを思い出したのであった。