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「魂が望むこと」に専念したら〜変わりゆく意識
今週、年1回のAmazonプライムデー が終わりましたね。
私は何も買わずに終わりました。
2、3日前から「プライムデーが来るぞ」といろいろ物色していたものの、いつの間にか忘れてしまい、気づいたら開催期間が終了……。
ま、 大して欲しいものではなかったってことかな!
というか最近、購買欲が薄れているのです。
購買欲だけではなく、以前は血眼になってチケットを取っていたライブ関係も、さほど行きたいと思いません。スケジュールが合えば行きたいな…くらいの感じ。
かといって、人生がつまらなくなったわけでもなく、むしろやりたいことが多すぎて時間は恒常的に足りません。ホントに1日、36時間くらい欲しい。
どうも私の意識は今、大きく変わりつつあるようです。
自分の魂が本当に望んでいたことーーハイヤーセルフや宇宙とつながって、自由に豊かにごきげんに日々を過ごし、その楽しさや快適さを広めていくことーーをガッツリやるようになったら、他の瑣末な欲求が薄れてきて……。
自分の魂が本当に喜ぶこと、魂が「これをやろう」と決めてきたことをしていくと、人生、そして生活はシンプルになるんだってことを、いま日々実感しているんですよ。
何年か前、ハイヤーセルフから「将来のことが不安なのは、この人生でやろうと決めてきたことをしないまま死んでしまうかもしれないと感じているからだよ」と言われて驚愕しましたが、今はその言葉に100%、納得がいきます。
私は学生の頃から「日本は幸せの定義が狭すぎる。幸せの形は人それぞれで、人の数だけ幸せの形があっていいってことを広めたいぞ」と思っていました。
なぜ、多くの人は決められた「幸せの型」にむりやり自分を押し込めて生きているのか、ホント不思議だったのです、子供の頃から。
「お陰様で幸せです」とか口にする大人が、エネルギー的には全然幸せそうじゃないし、その当人が自分の本心に気づいていない。
なんかこの世界は複雑というか、重症……と思っていました。
そんな私の魂が望んでいたことは、やはり自分の魂の望むままに生きること。でも、御多分に洩れず、大人になると型にはまらなければ生きていけない現実を知ったりします。
そして、いったん型にはまってしまうと、そうすることによって得た安定を手放すのに、かなりの勇気と胆力を要します。
だから、私も長いこと、魂の喜びよりも、安定を重視していた一人です。人からは「好きなことをしている」と目されていましたし、実際そう言えなくもなかったですけど、最終的にやりたい「魂の望み」はまた別にありました。そして、なかなかそれに着手しなかったのです。
そんなわけで、魂的には不完全燃焼感が残り、その不満感、不足感を埋めるためのモノやアクティビティを欲しました。一気に血糖値を上げてくれる極甘ケーキのようなアクティビティがないと頑張れない、みたいな。
(しかしながら、推し活等は全然否定しません。推しにハマるのも大変結構。それによって広がる世界もあるし、つながる人もいるし、日々のモチベーションにもなるしね。でも、なーんか飽きた時には無理して続ける必要はないって話です)
私は「今やっていることを終了して、自分の魂の道に専念しなさい」というハイヤーセルフの導きを完全に受け入れるまでに、3年以上かかりました。魂の道に専念したいのはやまやまですけど、その先の人生の「安全度」はいかほどです?それを見せていただけないと決断できませーんと、ゴネ続けたのです。
しかし、ハイヤーセルフの声がどんどん、どんどん大きくなっていき……ついに従いました。
ところがですよ。
「魂が望むこと」に専念してみたら、人生はシンプルでごきげんになりました。魂が望むことをしていると、人間は簡単に満たされるようです。
人が何と言おうと、人からどう思われようと、自分が好きなこと、快適なこと、喜びを感じる方を選ぶことに躊躇がなくなりますし、魂の望むことをすること自体が喜びなので、他の些末なことがどうでもよい。
今までだったら、きっとイラッとしていた他人の言動が気にならないし、かと言って言うべきことは遠慮なく言えるので、人間関係やその他もろもろがこんがらがりません。
おそらく、いつも自分自身に意識が向いていて、一番期待している相手も自分だから、他人のことは「人は人」。やらなきゃいけないことは淡々と済ませちゃおうと、割り切れちゃってるのかもしれないな。この状態はとてもラクです。
また、モノとか情報、環境に関しても「私が魂の望むことをしているんだから、必要なものは当然、支給されるよね?」という根拠なき宇宙への信頼があって、いまのところ実際そうなってます。
この「当然、支給される」って感覚は、地の時代の「勝ち取る意識」とは真逆ですが、子供の頃に感じていた「宇宙は私の味方。太陽も自然もみんな私の仲間で味方」という根拠なき自信と似ています。
なんか、いろいろ変わってきていて面白いです。
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