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自分の価値観が当たり前とは思わないこと

人の話を聞いたり、本を読んだり、さまざまな情報をインプットしていると、自分の価値観が当たり前じゃないと驚く瞬間が結構あります。

先日、私の知人と話していた時、知人の会社の中で在宅勤務で一人家にいるのが苦痛だからなるべく出社したいと言っている同僚がいるという話を聞きました。

それを聞いた時私は『えーっ!?』と衝撃を覚えてしまいました。というのも、私は一人でいるのが全く苦にならないですし、在宅勤務とは言えテキストで一日中やり取りをしているので、物理的に一人の空間にいても全く嫌でない、むしろ超快適だからです。

また私は昔から定期的に一人旅もしているので、在宅勤務は一人だから苦痛というのが理解できませんでした。

私は今でこそフルリモート勤務三年目になりましたが、新卒から九年間は出社前提の仕事をしていたので、コロナ禍で付け焼き刃的に在宅勤務が始まるまではずっと出社でした。

また研究職だったこともあり、コロナ禍も在宅勤務ができるのはせいぜい一ヶ月に1、 2回といったところで在宅勤務は憧れの象徴でした。

出社型の働き型で私が苦痛だった三大要素は、
①集中したいのに周囲のノイズ(くだらない誰かのうわさ話や悪口)が聞こえてくること
②台風など天候が急変すると次の日の出勤どうしようと考えるリソースを使うこと
③電車に乗る場合は満員電車

でした。

そのため、在宅勤務中は自分の周囲に人がいない云々の寂しさなどみじんも考えたことが無かったのですが、なるほど、世の中には私の三大要素の苦痛よりも、家で一人で在宅勤務している方が苦痛な人もいるのかと新鮮でした。

この話を聞いて思ったのは、自分の価値観が当然・普通だと思わないのが大事だということです。

何か自分の価値観と違うことをしている相手に対して、ネガティブな言葉を向けたくなることってあると思います。

ひどい例で言うと、
新人のくせに生意気だ
これもできないなんて女子力が低い
男らしくない
みたいなものです。

そういった発言に対して、『うるせーうるせー!』とかわすことが出来る人もいますが、人によってはそういった発言を真に受けてしまい、凹んでしまう人もいるのではないでしょうか。

考えてみると新人のくせに生意気だ、という発言が生まれる背景には、おそらく新人はこうあるべき、みたいな模範がきっと発言者の中にはあると推測できます。が、そんな模範は誰が決めたものなんでしょうか。世間でこれが良しされているものに勝手にとらわれているだけではないのでしょうか。

女子力や男らしくないについても同じです。勝手に誰かが考えた『こうあるべき』みたいな理想像にとらわれて、そこから外れてる人に攻撃の矢印を向けている大変残念な構図だなと思います。

今回聞いた在宅勤務のエピソードでも『えー!在宅勤務が苦痛とか、世間に遅れすぎだよー』などと、言ってしまいそうになる気持ちもわかりますが、人には向き不向きや特性があるので、在宅勤務が苦手なら仕方ありません。出社して頑張ってもらえばいいのです。

在宅勤務なら快適に楽しく働けるに違いない!なんてのも私の勝手な価値観ですからね。

一番よくないのは、『自分はこう思う、だから周りのお前らもそうするべき』みたいな思想です。そのため、在宅勤務好きな私としては、複数の日本企業の経営者が『アメリカの大手IT企業だって出社回帰なんだから弊社も(※)』などと言って在宅勤務を無くす風潮を大変残念に思っています。

(※)話はそれますが、人口が増えて世界の優秀な人がどんどん流入して来る米国と、そうでない日本とで比べて『じゃあ弊社も米国にならって出社回帰で』などと言う日本人経営者は、比較のロジックが不思議すぎて滑稽に思えます。

人にイラッとするときって、たいてい自分の『こうあるべき』『こうにしてくれるはず』といった勝手に期待したけど、それが果たされなかった時、ということがよくあります。

イラッとしたり、裏切られた!と感じたり、衝撃を受けた時は、自分の何らかの『〇〇とはこういうものである』という考え方に囚われすぎてないか、振り返るいいきっかけだなと思いました。

自分の価値観だけに凝り固まってしまうと、アップデート出来ない『オッサン』になってしまうので、(少なくともこちらを攻撃してこないなら)私とは違う価値観の方にも寛容でいたいものです。

それではまた!


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KASHIWA@マイノリティキャリア
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