時間をかけるのが正義なのか?フジテレビ会見とJTCの会議に見る『誤解』
先日フジテレビが夕方の4時から翌日の未明の2時半まで10時間以上の会見をしていましたね。
内容としては結局新しい社長が身内にいた人間なこと、記者からの質問が酷すぎることにかなり突っ込まれているようです。
中でも個人的に一番引っかかったのは、時間を長くかければ頑張ってると思ってもらえるだろう・誠意が伝わるだろうという価値観が垣間見えたことですね。
なぜ私がそのように思うかというと、前々職におけるいわゆるJTCと呼ばれる企業でやたらと長い会議を日々経験していたところが大きいです。
現職と前職は人数が少ない、いわゆるベンチャーとされる企業なので、長時間にわたる会議はほぼほぼ無いです。
ただ、前々職、つまり私が新卒で入った企業に関しては、企業風土もあると思いますが、予定の時間よりも30分とか1時間とか会議の時間が超過することが常態化している組織でした。
今回のフジテレビの会見を見て、JTC時代の会議に蔓延していた価値観(時間をかけることが努力とか誠意という錯覚)を、久しぶりに思い出した次第です。
会見は結局10時間以上もの間続きましたがそのように時間をかけたことで本当に良い結果に繋がったかっていうのは疑問なところがあります。
木下斉さんがボイシーでおっしゃっていたスライドゥのなどを使えば、効率的に会議時間を圧縮することでフジテレビの経営層も記者もそこまで長時間拘束されずに済んだのではないでしょうか。
JTC時代の会議がデジャヴした1番の理由
やたらと長々と話す人の存在
一部の記者に対しては、まるでその人のリサイタルであるかのようにずっと話し続けているという批判が出ていました。
これと似た現象はJTC時代にもありました。当時の職場には2週間〜1ヶ月に一回、進捗報告会が実施され、その際はアジェンダが設定されて一人当たりの持ち時間が事前に共有されます。
にも関わらず、平気で持ち時間を10分、20分、30分、と超過してプレゼンしてる人ってのがいたんですね。
進捗報告会で『良い』内容を発表して、偉い人に認められたいみたいな思いが強いあまり、長時間話すことが目的化しているのでしょう。話が長い人にそのことやんわりと指摘したら、『短時間で生煮えな議論をするくらいなら時間をかけてしっかり議論したほうが良い』とのこと。ダラダラ話すのを正当化していてコリャダメだと思いました。
今回のフジテレビの会見も、本来はフジテレビが『何が起こったのか、それを踏まえて次はどうするのか』を説明することが本当の目的だと思うのですが、まるで記者自身が自分をアピールする場と勘違いしている様子が見受けられました。
フジテレビもフジテレビで、言われるがままに回答していました。
フジテレビがかわいそうという声もありますが、個人的にはコレにも違和感があります。そもそもフジテレビは各種不祥事を起こしたうえでの会見なので、記者がひどいからフジテレビをそれに免じて許してあげよう、というのは違いますよね。
やたらと長いことの弊害
JTCと今回の会見で共通していることとしてはその長時間やることっていうのが目的化してしまって本来の目的を見失っているそんな状況も共通してると思いました。
これの何が問題かというと、短時間でうまく要点をまとめる人よりも、だらだらと話を長くする人へ発言機会が多くなり、話の長い人に有利に働いてしまことです。
それだといつまでも会社に残れるジジイみたいな人が評価され、なかなか残業出来ない人は評価されない、そんな構図になってしまいます。
周囲の時間を堂々と無視してダラダラ頑張ったふりを見せる人間ではなく、短い時間でうまく表現できる人が評価されるべきです。
「時間をかけたから誠意がある」という勘違いを捨てないと、今回のフジテレビや質問のひどい記者たちも、なかなか改善は難しいのではないだろうか、と思った次第です。
JTC時代の時間の使われ方を思い出してアウトプットしてみました。
それではまた!
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