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人生100年時代?そんなの知ったことではない!

目の腫れと痒みが止まらないのですが、どうせそんなことを言っていても仕方ないので、文章を書くことにしました!

24時間365日、万全の体調で生きていると、たった「目の違和感」ひとつで生活の質が大きく落ちてしまうことに驚きます。この違和感のせいで、ふと「こんなふうに過ごしていていいのか?」と考えました。その結果、逆に活動的になっています。

さて、本題です。

本題へ

結論から言うと、「人生100年時代の〇〇」 という言葉が、どうにも好きになれません。

もちろん、この言葉にはポジティブな側面もあります。
「何歳からでも挑戦できる」「学び続けることが大切だ」といったメッセージは、多くの人に希望を与えるでしょう。

しかし、一方でこの言葉には、「時間はたっぷりある」という錯覚 を生む危険性があるように思います。「長く生きられる」と思うことで、行動を先延ばしにすることにつながるのです。

その結果、
「いつでもできるから、今やらなくてもいい」
「焦らなくても大丈夫」
と考え、「時間は有限である」という根本的な事実への感覚が鈍くなる危険性があるのです。

生きているのは当たり前ではない

わたし自身、死と隣り合わせの瞬間を数多く経験してきました。

山道で熊に遭遇したり、雪に覆われた崖を頼りない木を支えに捕まりながら進んだり、凍った沢で水を得られず渇きに苦しんだり、氷点下での野宿がもたらす凍死や低体温症のリスクに幾度もさらされたり、こうした極限状況は、人生がいかに脆く、予測不能であるかを骨身に沁みて教えてくれました。

だからこそ、わたしは「生きる」という行為に真正面から向き合います。財布には延命治療や医療方針に関するメモを常に携帯し、山中での万が一に備えてヘリ救助を要請できるサービスも導入しています。それは単なる保険ではなく、「いまここに生きている」という現実を意識するための覚悟でもあるのです。

今のところ、健康な31歳ですが、明日何が起こるかなんて誰にもわかりません。

「生きる」に向き合うとは

わたしが信じるのは、どう生きるかという問いに対して、深く考え、決断し、行動すること。これをもう少し捉えやすく可視化するならば、「試行回数」なんじゃないかと思います。

わたしがフランス語を仕事にする過程でも、小器用にうまく軌道に乗せたと思われることがあるかもしれませんが、本当に何度も「思考」と「試行」を重ね続けました。

この時代に、フランス語の職を得ようと思ったら、かなり難しいことは明白です。でも、石に齧り付いてでも、やってやろうとわたしは思いました。(そう言って散った夢の数もまた膨大ですが)

今では、自分が「できること」と「できないこと」をはっきりさせ、市場のニーズに合わせてポジションを確立しています。
しかし、去年までは本当に何でもやっていました。

まず、SNSでの発信を強化し、そこで繋がった方々とLINEで直接やり取りをしました。実に100名以上の方の声を拾い、お悩みに真摯に向き合いました。

その中で、読解が苦手だと言われたら一緒にフランス語の文章を日本語訳し、文法がわからないと言われたら文法の解説をし、発音が苦手だと言われたら発音矯正の指導をし、試験が近いと言われたらその対策をし、さまざまな内容のレッスンをしました。

また、学習計画を一緒に立てたり、毎日取り組むべき課題を午前中に送ったり、週に1回のレッスンの後に問題を出して、日報を提出してもらったり、ボイスメッセージで添削したものを返却したり、本当に自分ができることはなんでも全力で試しました。

睡眠時間を削りながらレッスンの振り返りシートをバカ真面目に作ったりして、時給換算したら500円を切るような働き方もしました。

そうしてやっと、共通の反応に気付いたのです。

「DELF対策をこんなふうに分かりやすく教えてもらったのは初めてです」
「今までで一番モチベーション高く、フランス語を学べています」

このような感想だけ、突出して数が多いのです。

最初は初級文法を教えるのが一番取り組みやすいかなと考えていましたが、「DELFの対策教材が少ない」という市場のニーズや、「どのジャンルも情報過多でコーチの存在が求められている」という時代の流れを考えて、「あ、これならいけるかもしれない」と確信し、まだ未完成ですが今のスタイルが生まれています。

すべては、この膨大な試行錯誤の経験が生きているからです。

とにかく試そう

やってみないと、自分に合うかどうかなんてわからない。
フランス語の勉強法に正解はない。「ひたすら試して、ブラッシュアップして、自分に合うものを見つける」これ以外の道は存在しない。

単語を覚えられないなら、音で覚えるか、書いて覚えるか、何度も口に出すか。
文法が苦手なら、参考書を読むのか、ネイティブの文章を写すのか、ひたすら問題を解くのか。
リスニングができないなら、映画を観るのか、ポッドキャストを聞くのか、シャドーイングをするのか。

合わなかったら、また違う方法を試せばいい。
何もしないまま「合う方法が見つかりません」と言っている暇があれば、手を動かそう。口を動かそう。動きながら考えよう。

結論

結局のところ、「人生100年時代」という言葉がもたらすのは、希望ではなく油断かもしれません。無限に時間があるという誤解に陥れば、人は目の前の瞬間を軽視し、未来に向けた行動を先送りにするでしょう。しかし、人生が有限であることを深く理解したとき、時間の重みが際立ちます。

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