
何度でも言う、「効率的な勉強」とは、「楽をすること」ではない
わたしが「フランス語の勉強法」などと発信すると、「効率よく楽してフランス語を伸ばせる方法がある」と誤解されることがあります。
これはわたしの反省点かもしれない。
意識的に「楽して勉強できる」といった表現は避けてきたつもりですが、それでも誤解を生むような書き方をしてしまっていることがあるのだと思います。
だからこそ、繰り返しになりますが、何度でも言います。
効率的な勉強とは
「効率的な勉強」とは、学習を最小限の努力で済ませることではありません。
無駄な時間を省き、「必要な努力を最大化すること」です。
時代がどう移ろうとも、どのような風潮が広がろうとも、わたしはあえて「努力」という言葉を使い続けます。
努力よりも、生まれ持った才能や遺伝のほうが影響が大きい
努力が報われるかどうかは、本人の資質よりも環境や運による
そもそも努力できること自体が才能の一種である
努力を続けることよりも、自然に熱中できるものを見つけるほうが大事
ここ数年で、こうした言葉を耳にすることが増えました。確かに、一理あるでしょう。
特に、コロナ禍のように、個人の努力ではどうにもならない状況が続いた中で、「すべては努力不足」と切り捨てるのは、あまりに乱暴です。
しかし、それでもわたしは、こうも思います。
「甘えるな」 と。
誰もが息をのむほどの努力を積み重ねた人が言うのなら、それは重みのある言葉です。しかし、現実から目を背け、行動もせずに語るのなら、それはただの寝言にすぎません。
もし、「効率的な勉強で楽をして成果を出したい」「質を重視したい」と本気で思うのであれば、試しにそうした方法を教えている人のもとで学んでみてください。
少なくとも、わたしは一緒に勉強する相手ではないでしょう。
あとはやるだけ
たくさん話した経験がないのに、どうして「効率の良い会話練習」ができるのでしょうか?
たくさん書いたことがないのに、どうして「質の高い作文」が書けるのでしょうか?
たくさん間違えたことがないのに、どうして「正しい知識」を習得できるのでしょうか?
当たり前のことを語る時代ではなくなったのかもしれません。
それでも、わたしはあえて言います。
「もっと努力しようよ」と。
なぜなら、それを否定することは、嘘になるからです。
確かに、外国語を学ぶ過程は楽しさがあります。
しかしそれは決して、楽しいこと「だけ」ではないのです。
しんどいこともあるし、辛い経験もする。
それでも、あなたはフランス語を自由に操る自分を諦められないから、今も勉強を続けているのではないでしょうか?
だったら、自分の心に素直に向き合ってください。
もう、言い訳を並べるのは終わりにしましょう。
あなたが目指す未来を手にするためのツールや教材は、すでに山のように揃っています。
あとは、やるだけです。