近年のオタクの性質の変化をMBTIを用いて考察する

近年、性格を16タイプに分けるMBTIというものが流行っているのは明らかだろう。これを用いて1つの問題を考察をしてみた。また、筆者は若いため、最近の変化に限定する。


オタクの定義の変化

まず、少し前のオタクと今のオタク、なんだか少し違くないかという話だ。筆者は幼少?の頃から自他ともにというより他人からオタクといわれるタイプであり、自分でもそれを納得していた。しかし、今他人からオタクだといわれても少し違和感があるし、言われなくなった。私はどちらかというと考察などが好きなタイプであり、今でいうとおそらくオタクではなく考察マニアと呼ばれるくくりであろう。そう、私も無意識にこの定義の変化を受け入れている。私の考えだが、今オタクと呼ばれるのは、何かを小難しく議論したり、批評するのではなく、ある特定の対象に熱狂していて、その対象をあるがまま受け入れる人と言うことができると私は考えている。また、今のオタク界隈では、些細な意見だとしても、否定的または批評的なことを言うことはあまり肯定的にとらえられていないように感じる。また、ここが一番重要なポイントであると思うのだが、その対象に対して、知識として詳しくなかったとしても、好きがあればオタクを名乗れる、つまり、ある人がドラゴンボールのピッコロのファンだとして、このピッコロが好きだという気持ちがあれば、ピッコロがマジュニアという名前で天下一武道会に出場したという過去があるということを知らなくてもピッコロのオタクを名乗れるのが今だと感じる。すなわち、知識よりも気持ちなのだ。ほんの少し前の(筆者は1980年のオタクを知らないので2000年以降とする)オタクならば確実に知識不足は致命傷となる、また、その対象に対する独自解釈なども加点要素となる世界だったと感じ、さらに、批判や批評、ぶっとんだ解釈などに対しても少し前のほうが寛容であったように感じる。最後に決定的だと思ったのが、SNSなどで、オタクはまず自分磨きをなどの意見にかなりのいいね数がつくようになっていることだ。これが何を意味するのかというと、対象の世界と自分の世界に境界を置いてないということである。ひと昔前のオタクは対象と自分はあくまで別の世界であるという認識があったように感じる。たとえ二次創作などで表現するタイプのオタクであったとしてもこの境界はあったように感じる。また、昔の~ファンと呼ばれていたカテゴリの人が今はオタクと定義されるようになり、解釈や考察をする人はあまりオタクと呼ばれなくなったと私は思っている。

アニメオタクの変化

ここで、今も昔もオタクというくくりで語られる、アニメのオタクに関しての変化で思うことを話す。2chでもtwitterでもなんでもいいが、アニメオタクならばアニメに対して感想や考察を述べることも多いだろう、ここで思ったのだが、近年のアニメオタクは考察余地のあるストーリーや世界観より作画や声優などを重視する傾向にあるのではないかということだ。ひと昔前のようにわかりにくいストーリーも受けなくなってきたと感じる。

これらを16タイプで考察する

まず、結論から言うと私はオタク全体のタイプ割合が現実のタイプ割合に限りなく近づいたのが今と感じている。まず、どういうことかというと、N型というのはメインカルチャー以外のニッチなジャンルに進出することが好きであるという点である。アニメで説明すると、深夜アニメなどは今はネットフリックスなどで幅広い層に見られているが、ひと昔前までは、ニッチなサブカルチャーであったといえる、よって進出している人の多くがN型であったと考えられる。N型は小難しい考察が好きなため、小難しい考察が好きな人がオタクのジャンルである深夜アニメに多いということとなり、オタクが考察好きとみられていたともいえる。それがスマホの普及、ネットフリックス大衆化することで現実世界の割合に近づくことで相対的にN型が減り、考察を重視するタイプが減ったように感じたと考えられる。最初の段落で説明した、知識より好きが重視されるという点に関して考察すると、知識の重視はSiの働きとされているが、オタク的な知識に関係してくるのは私はNeではないかと考えていて、Si的な知識、好奇心景気な要素は帯びてないように感じ、また、オタク的な知識というのは好奇心をエンジンに幅広く様々な知識を得ていくイメージがあり、どちらかというとNe的ではないかと考えている。このことから、知識より好きが重視される変化は(Ne, Ti)→(Fi, Se)的変化ではないかと考える。Fiに関してだが、否定的で批評的なことを嫌うことから、自分自身の好きを重視するFiの傾向が強くなってきたと考えることもできるのではないかと考えたからだ。ここでどうしてSeかというと、最近のオタク界隈ではビジュアルなどSe的言及が多いように感じるからだ。また、作画の重視や声優の重視も五感的な要素の重視であり、Se的ではないかと思ったからだ。対象との境界線に関してだが、これは私も今考察中であり、よかったらコメントなどに自分の考察を書いてくれたらうれしいです。


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