弱い自分を選択してきたのは自分。
メンタルが急降下する時があって。
それはじんわり始まって、3週間くらいは続く
あーまたかーという感じで、少なくとも1か月は無駄になる
たいていやらなきゃいけないことを抱えている時
心が弱っている時に
自分の嫌いなところやできないことばかりにフォーカスして、メンタルと突き落とし続けることを選択しているのは自分
できない、不安だ、動けないと弱い自分が自分を占領していくことを許しているのも自分
'立ち上がれない'という幻想にとらわれているのも自分
全部自分の責任だ
なんてアホらしいことを繰り返しているのだろうか
中高生の時から何度も何度も何度も、飽きもせずに
無駄だと分かっているのに、理性でコントロールするのが難しい
弱さを受け入れたところで、現実世界から期待される強さとのギャップに絶望するだけ
こんなことを繰り返していることが恥ずかしくて悔しい。
バカらしいと思いながらも抜け出せないから怖い
理想が高すぎるのかな
全てを諦めたほうがいいのかな
自分を過信しすぎなのかな
自分の弱さを受け入れることは、強さの求められない環境に身を置くことを意味するのだろうか
それとも頑張れば、この気質とうまく付き合えるようになって、社会で戦えるようになるのだろうか
それでも私は私を諦めたくない。
これは無意味なプライドではなく、前向きな意志だと思いたい。
挑戦することを諦めたくない。
だから毎回毎回悔しさがこみ上げる。
全然改善していないことに、PDCAを回せていないことに。
特に今回は、留学を経て少しは変われたという感覚があったのに、結局同じように弱さに飲み込まれていることが、ばからしい。
期待が大きかった分、ここ最近の絶望感が大きい。
自分を責めることは良い方策ではないのだろうが、でも、同じ状態を繰り返し招いているのは他の誰でもない自分のせいなのは事実。
希死念慮に飲み込まれなくなっただけ、ましなのかもしれない。23歳頃から、死にたいというのはやめた。生を継続することは前提として、その中で成長していない自分への諦観を毎回経験している感じ。
つまり、生き続けるために(外から見れば無駄な)葛藤を続けている。そこは褒めてあげたいと思う。
支えてくれる家族、会ってくれる友達、向き合ってくれる先生がいる。この素晴らしい環境にいてもなお変われない自分は一体何なんだろう。
そういう点で、逃げているだけだなと思うのである。
現に今も、やるべきことから逃げて、noteで同じような言葉を繰り返している。気持ちを整理して客観視するという側面と、できない自分の理由付けをして安心しているという側面の2つがあるから、なんともいえない。
これは逃げなのか、それとも必要な準備期間なのか。
私は選択することができる。
明日もこれを続けるのか、今ここで切り替えるのか。
これはコントロールが難しい部分もあるけど、それでも行動を変えることはできる。
ただ、人生ずっとこれが続くと思うと、楽しくないんだよね。
ぐるぐるぐるぐると今日もひたすらに。
諦め感とともに。