私がこぼれ落ちていく果てに
危ない、危ない
私を形作る要素たちが網目からこぼれていく
両手で器を作っても、器の縁から、指の間の隙間から
こぼれていくものと残っているもの
どれが重要で、どれが必要ないかの判断がつかない
今目の前で落ちていくのを見送ったものや、
ついさきほど繋ぎ止め損ねたものは、
社会的存在であり続けるために必要だったかもしれない
そして今手元にあるものは、
私が持て余しているものだったりする
ただ日常に身を任せているなかで
私は知らぬ間に形を失っていく
昨日も少し崩れ、今日も少し取りこぼし、
きっと明日も何かを失うことを知っている
恐ろしいことに
こぼれていった私の一部たちのことを私は忘れてしまう
あんなに大事にしていたのに
一度手元から離れると、なぜ大事にしていたのかが分からなくなる
そして一言「まぁいっか。なくても死にはしないし、面倒だし。」
エネルギーの通り道はぷつりと途絶え、元には戻らない
とある私は、こんな現状に恐怖を感じている
もう一人の私は、私という総体が崩れていくことを気に留めない
別の私は、人の成熟過程なのだと割り切って前向きに捉えている
さらなる私は、抵抗すらできないことにいら立ち、怒りを覚えている
意見の相違する「私」たちが互いの主張に踊らされている結果、
私の脳内は、理由、主張、順接、逆説、比較により循環する言葉で溢れる
「私が崩れていくのが怖いが、恐怖に飲み込まれないように無視をする」
「いや、これは無視というより、成長プロセスへの納得故の落ち着きだ」
「とはいえ、人として大事なことまで手放してしまうなんてありえない」
「戦闘力のない私は非常に腹立たしく、また得体のしれない存在である」
始点と終点の分からない思考が結論をもとめて脳内をさまよっている
ここに、規範の論理と内発的な願望が加わることで、
思考はさらに複雑に絡み合っていく
「20代はこうあるべきだから、あれを手放すことにも抵抗すべきである」
「私は私らしくありたい。心地のよい方に進んでいるならいいのでは?」
「完璧な人柄でありたいから、私のシンプル化は後退を意味する」
いや、
そもそも私に備わっていなかった要素も数知れず
だから社会一般との間にギャップが生じている
開始点で生じていたギャップをこれ以上広げるわけにはいかない
果てにあるのは、
社会への、生きることへの責任を放棄し、
生きることへの執着とまで抜け落ちた抜け殻としての身体
唯一残る願望は「生きることをやめよう。面倒だし。」
この終止点に近づいていると感じることも多い。
知らぬ間にこぼれ落ちているのか
それとも、私の意思で自ら削ぎ落したのか
私は抵抗をすることのできない無力な存在か
それとも、自ら変化を生み出す存在か
茨木のり子は言った
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
さぁ、私は私に対して主体となれるだろうか