見ている私の前提は
春休みの気づきです。
春休みの朝ごはんは各自でした。
ゆっくり動き出す次女。
「そうだ!今日は何か作って食べるぞー」とゴソゴソし出す。
「ハムがないー。買っといてね。」
「ケチャップも少ない!もー、お母さん買っといて!」
「失敗したじゃん!ケチャップが少ないと、思うように書けないじゃん😠」
と、まあ、色々言われるとコッチも、
だんだんとごにょごにょ。
「あー、、買っとく買っとく😑」
と答えつつ、私はテーブルでコーヒーを飲んで。
台所であれこれしてた次女が
「できた😊✨」
と持ってきた。
「食べるのもったいなーい!」
という次女に、
「一生懸命作った証拠だね❤」
と言う三女。
そこで、はっと気づく。
ゆっくり動き出したと思ったら、文句ばっかり言って😑
人に当たり散らして。
なーんて思っていた私。
次女が朝ごはんを作ろうとして出たこの言葉やその姿も、見る側の前提が違うと こんなにも違って見える。
子どもの姿をくもらせる。
その言葉が出たのはどうして?
その前の姿はどうだった?
そのままの姿を観察。
ありのままを見つめる。
「一生懸命作ってた」
その視点が母ちゃんに必要でした。
いつも子どもに教えてもらう。
ありがとう