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私は

私は学生だ。学生の本分は勉学に励むことである。

だがしかし引っ越しに新型コロナの休校が重なり、1月末から丸4ヶ月、一度も学校に行っていない。新型インフルエンザのときの休校もかなりの長期戦だったが、ここまで長い間登校せず自宅で過ごすというのは初めての体験だった。

喘息持ちなのもあって感染が怖く、一歩も外に出ない生活がおよそ40日続いた。マンション住みなので庭もなく、ただただコンクリートジャングルに囲まれた無機質なベランダがあるだけである。鳥も来ない。花も咲かない。晴れた日には青い空と白い雲が見えて清々しい気持ちを味わえるが、曇りでもした日には一面灰色の世界だ。

そんな中私は「勉強しろ」という重圧を感じた。親からも、学校からも、友人からも、そして自分自身からも、感じた。私の通う学校は都内の進学校だ。誰もが受験塾に通って毎日10時間以上勉強しているようなところだ。私は焦燥感にかられて勉強し始めた。1日5時間が8時間に、10時間に、そして12時間になった。

しかしそれも長くは続かなかった。私はとことん「継続」そして「有言実行」の出来ない人間だ。認めよう。三日坊主とは私のためだけにある言葉のようだ。

病んだ。行きたい大学がある。大学で学びたいことがある。勉強は好きだ。でも、今勉強することを強いられるのは、辛かった。

私は1月から非常に不安定で先行きの見えない毎日を送っていた。身バレが怖いが、書いてしまおうと思う。私は2月まで海外のとある場所に住んでいた。そこでは自由を守るために、昨年から激しい抗議活動が続いていた。そんな中、新型コロナが流行し始め、2月から先の休校が決まった。例年なら遊んでいるはずの春節を家に籠りきりで過ごした。

すると、親から突然日本への帰国を言い渡された。従った。子供には親の決定を覆す力などないことは、日本から海外への引っ越しのときに身に沁みて分かっていたからだ。

そこから帰国の準備や海外の友人、知人への連絡などを全てこなした。誰にも直接会って別れを言えぬまま、必要最低限の荷物を持って日本に帰国した。そして祖父母の家に身を置き、昔日本で通っていた学校に復学するべく、復学試験の勉強に取り組み始めた。

気丈に振舞っていた自分を褒めたい。反論せず、泣き喚かず、試験にも合格し、祖父と母の喧嘩でギスギスしていた家の空気を和ませようと尽力した。が、途中で気づいた。私は自分の気持ちに蓋をしていただけだったのだと。どんなに蓋をしても、その蓋の下にある気持ちの存在が消えるわけではない。蓋し切れなくなって、溢れて、寝る前に一人で泣く日々が始まった。情けない話だ。

蓋をしていたのは、自分の防衛本能だったのだろうと思う。傷ついても悲しくても、一旦蓋をしておけば見て見ぬ振りできる。驚くほどの速さで周りの環境が大きく変わって、見通しは立たず、そういったことから来る不安を一生懸命に自分で気づかないフリをしていたのだ。

辛かった。全てが変わった。大学も、海外の大学を目指していたけれど、帰国するとなるとそうはいかなくなった。数学も生物も化学も今まで全て英語で習ってきた。現代文や古典なんて数年間何一つ勉強していない。いきなり日本の大学受験の勉強を始めた。突然の「大学受験生」デビューである。

そして私は我が家に引っ越した。これが冒頭に出てきたマンションの一室である。先述の通り、受験勉強に励もうとした。「今勉強することを強いられるのは、辛かった」と書いた。私の精神は大きな大きな不安で埋め尽くされて、グラグラだったのだ。

新型コロナの影響で職を失ったり、学費が払えなくなったりしている人々と比べたら、私は十分すぎるほどに恵まれている。明日食べるものの心配をしなくていいし、好きな本を買えるし、何一つ不自由していない私が「辛い」、「苦しい」なんて言うのは甘えに聞こえるだろう。だが、人の感情は比べられない。誰にも、その人がどんな感情をどのようにどれだけ感じているかはわからない。

私は、つらい。今はただ心を労って過ごしたいと願うほどに。勉強に集中する余裕がないほどに。親友からのLINEに返信できないほどに。眠りにつくまで数時間かかるほどに。ポロリと涙を、流してしまうほどに。

この心の傷を認めるのが第一歩なのだろうと思う。そんなことを思案する日々を送っている。

私は学生だ。

だがそれ以前に、

私は人間だ。

人間の本分は、生きることである。

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