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私の音楽史(自己紹介)

初めまして、りぼんと申します。

以下口調をどうするか悩んだのだが、ゆくゆく批評などもやっていきたいので「です/ます」調はやめることにした。様子見。
これから音楽活動もやっていくつもりなのだがその際の名義はまだちゃんとは決めてなくて、とりあえずFragile Musicsとしてある。

今回は自己紹介がてら、自分の音楽体験を「今の自分の音楽創作に影響を与えている」ではなく「自分がこれまでその時々に聴いてきた曲」という観点から紹介したい。

ということでspotifyのプレイリストを。
一部spotifyに公開されていないもの(たとえばRichie Hawtinの「DE9:closer to the edit」、Mel Lewisの「Goodbye World」、「Make Me Smile」など)があるが、大方網羅できていると思う。

まだ私が鼻垂れ小僧の頃に椎名林檎がデビューし、それにどハマりしてゲーム機を売って初心者用ギターセットを購入、しばらくはそれで我慢をしていたのだが「椎名林檎のギターには穴が空いているぞ、じゃあ空けよう」と何の知識もなしに彫刻刀で穴を開け破壊してしまった。ナンバーガールは確か椎名林檎の影響で知ったと思う。「鉄風鋭くなって」はギター始めたての中学生には難しすぎた。

また同時期に英語の先生が授業の最後に毎回洋楽の歌詞を解説するというコーナーをやっており、OasisやRHCP、Smashing Pumpkinsなどを聴くようになった。そして有名な洋楽も聴かないとなと雑誌を参考にベタベタだがNirvanaの「Smells Like Teen Spirit」を購入した。近くにお店もない田舎だったので通販だったと思う。同時期か少し後にSlipknotの1stも買っている。ジャンルが滅茶苦茶だが基準なんてものはない。ネットで視聴なんてできなかった当時の田舎には目についたものを買うしか選択肢がなかったのだ。

高校に進学すると音楽好きの友人からエレクトリック・マイルスとRadioheadの「Kid A」を教えてもらった。これに衝撃を受け、登校時にずっと聴いていた記憶がある。並行してガレージロックリバイバルがあり、StrokesやHives、Vinesなどを好んで聴いていた気がする。当時SNOOZERという雑誌があり、それにかなりの影響を受けていたと思う。ロック以外も少しずつ聴くようになり音楽の幅が大分広がった気がする。この種の編集者主導の主観的な雑誌は批判されがちではあるが(ロキノンとかね)、自分はある程度(というか現在においてはかなり)必要な文化だと考えている。このことについてもいつか書きたいな。またこの頃には行動範囲も増え、タワレコなどにも繰り出すようになっていった。一気に世界が広がった気がする。

大学に進学するとジャズサークルに加入しビッグバンドでベースを弾くようになった。私が所属していたサークルではCount BasieとThad Jones / Mel Lewisを主に演奏していたので主にMel Lewis、Bob Brookmeyerの曲を聴くようになったが、残念ながら当時好きだった曲はspotifyでは見つからなかった。ダンスミュージックやエレクトロ、電子音楽を頻繁に聴くようになったのも大学時代からだと思う。特にAphex TwinとUnderworldはよく聴いていた。Hip Hopに触れたのはかなり遅く、OutkastやGorillazといった割と特殊なものから入った気がする。Eminemは大流行していたからもちろん聴いている。ロックではSuper Furry Animalsが大好きだった。来日する度ライブに行っていた。

Avalanchesの「Since I Left You」は音楽の価値観が変わった。今でもよく聴く。これについてはすでに多くのまとめ記事があるが、いつか語りたい。高校生になって活動範囲が広がったと書いたが、大学に進学すると同時に上京したのでその比ではなかった。気軽にライブに行けるようになったし、音楽関連のイベントも多かった。また単純に人口が多いため色々な音楽を聴いている人々が集まっており、自分の知らない音楽の情報には事欠かなかった。

バイト先の歳の離れた先輩もその一人だ。YMO周辺のミュージシャンーー細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏からはっぴぃえんど、シュガー・ベイブ、大貫妙子等々。ここで日本の音楽に大分詳しくなった気がする。ジャパニーズラップも色々教えてもらった。スチャダラパー、いとうせいこう、かせきサイダーなど。これまで洋楽メインで聴いてきた自分にとっては新しいフィールドだった。

Tortoiseは自分の音楽創作にも最も影響を与えているアーティストだと思う。いつどうやって出会ったのか正確には覚えていないが大体大学院にいた頃のはずだ。こんなにカッコいいバンドがあるのかと感動したものだ(語彙力がない)。ポストロックという概念をちゃんと意識し出したのもこの頃だ。
そして今も大きな影響を受けているのは細野晴臣の「HOSONOVA」だろう。当時毎日のように聴いていた。元々細野晴臣が好きだったし、震災の影響もあったのであろう。このアルバムと当時を取り巻く独特の雰囲気についても後日文章化したい。とにかく間違いなく時代を象徴する作品であり、個人的にも一生聴き続ける一枚だと思う。

この後プライベートで色々ありしばらく音楽から離れていた。東京を離れたのが原因の一つであろう。理由もなくPop groupやTalking Heads、当時流行っていたVampire Weekendなどを聴いていた気がする。この状態はかなり長く続き、音楽から離れたくない気持ちもあり東京事変のコピーバンドなどを組んでみたりしたのだが、趣味の合う仲間が見つからず結局やる気が続かなかった。一人家に篭りシンセサイザーなどをいじる時間もあったが、音楽の話ができる友人が皆無になってしまったため新しい音楽を吸収しようという意欲も失われてしまっていた気がする。
その後また別の地へ引っ越しをし、音楽とは違う趣味にハマることになった。これは大分楽しかったし、愛すべき友人たちもできた。幸せな日々だったと思う。これは4年近く続いた。この間音楽からはほぼ離れていたが満たされていた。楽器もほとんど触っていない。思えば人生で稀有な時間だった。

そんな中でも全く音楽を聴いてなかったというわけではない。久しぶりに名盤に出会えたなと思ったのは折坂悠太の「平成」である。ある時ふとあまりに音楽を聴いていない自分に恐ろしくなってしまい、同時に今何を聴いていいのかも分からず、参考にと手に取ったMusic Magazine で紹介されていたのがこれだった。それ以降ちらほらと日本のポップミュージックを聴き直すようになる。折坂悠太以外にはKIRINJIなどだろうか。少しだけまた音楽を聴き始めるようになる。折に触れて、程度だが。

本格的にもう一度音楽に向かい合おうと思ったのはここ一ヶ月のことだ。色々思うところがあり、また音楽に戻ろうと思った。ギターとベースを引っ張り出してき基礎練を始め、楽理と音楽史の勉強を始めた。だからnoteを始めたのは、これからの音楽活動の記録であると同時に、これまでの記憶を思い出す作業でもあるのだと思う。このように書くと、これから死にゆく人のような気がしてならないが、もうそういうことを考えてもいい年齢なのかもしれない(さすがにそれはないか)。

こうして振り返ってみると、自分は割と「平凡」な平成の洋楽ロックリスナーだった気がする。もちろん今回挙げたのはその時々に一リスナーとして聴いていた音楽がメインであって、音楽創作に影響を与えたという意味ではまた別の選曲になってくると思う。それはまた別の機会に。(まあでも大体これらには影響を受けている)


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