見出し画像

ネットは情報格差を無くしたか?ーー東京遠征で思ったこと

要約すると、地方やだ東京戻りたいという主旨なのでそういうのを読みたくなかったらここでやめるのをお勧めする。

北陸に移り住んでからどれくらいだろうか。
もうそろそろ両の手の指では数え切れなくなる頃だろう。引越しをしてすぐ東京との環境の落差に驚いてしばらく途方に暮れてしまっていたのだが、それにももう慣れていたつもりだった。その間東京や他の都市部には何度か遊びに行ったし、まぁ都市と地方の差はこんなものだろうと。地方の暮らしもネットがあればどうにかなる、そう思い始めていた。

しかし今回二つのことが重なって、改めて地方住まいの圧倒的な不利を再認識してしまった。

先日、カルチャー雑誌『Pen』が細野晴臣の特集をしていたのでAmazonにて同誌を購入した。

ペラペラと頁をめくっていると、「あぁ、カルチャー雑誌ってこんな感じだったなぁ」と思い出した。東京にいた頃はこの手の雑誌には容易にアクセスできていた。定期購読をしていた訳ではない。『Pen』の他に平積みされている『Switch』や『Brutus』辺りを適当にパラパラと見て、気に入った記事や特集があったら買っていた程度だ(『Studio Voice』を忘れていた。これはほぼ毎月買っていた)。むしろこの手の雑誌に載るくらいの情報は娯楽や消費の対象であって、興味があったらそこからさらに専門の本に当たるといった、取っ掛かりのようなものだと考えていた。まぁざっくばらんに言ってしまえば、「その程度のもの」と認識していたのだ。
しかし今やどうだろうか。カルチャー雑誌なんてものは地方の書店にはまず置いていない。アニメ、芸能、旅行、週刊誌、そして胡散臭いレシピ本が雑誌コーナーを占拠している。今の私には『Pen』が宝箱のように思えてしまった。そういえば初夏に新宿で友人と待ち合わせした際、紀伊國屋一階で時間を潰していたのだが、その時も同じような感覚を覚えたのを思い出した。インターネットがあれば情報はいくらでも手に入る。本当だろうか。情報雑誌から与えられるものをただ享受しているだけではなく、自分はネットの海から自主的に情報を手に入れているのだと言える人間など、果たして本当にいるのだろうか。SNSでは皆が皆同じことを言っている。私には、ゼロ年代以降の趣味嗜好と情報の均一化が全てを物語っている気がしてならないのだ。
(私がnoteを始めたきっかけの一つは、noteにはものすごくニッチな記事を書いている人がたくさんいたからだ。ハートの数は多くても大体二桁くらいだが、そういうニッチな記事を読むと本当に好きで書いているんだなと嬉しくなってしまう。)

そして今回の東京遠征である。ライブに行くという目的のため、偶然時間の取れた友人と昼食を共にした以外は基本的に一人で過ごした。一人で過ごしたからこそ、自由気ままに行動できたため色々気付かされた訳なのだが。

渋谷パルコ×細野晴臣ポスター
複数の若者(リアタイ世代じゃないという意味)が写真を撮りあったりしていた。細野晴臣を知っている同世代が周囲にいるということが、地方では信じ難い。私も知らないお兄さんに写真を撮ってもらった。ありがとうございました。

初日は渋谷を散策したのだが、久しぶりに(本当に久しぶりに!)タワレコに立ち寄った。東京時代の私の認識ではタワレコなんてある程度売れるものしか置いていない所で、マニアックなものは専門の店に行くという認識だった(ユニオンの〇〇館とか、御茶ノ水あたりのレコ屋とか)。大学がすぐそばだったので有名アーティストの新譜は渋谷タワレコで買っていたのを覚えている。しかしどうだろう、今回タワレコに立ち寄ってみての印象は。そこは宝の山だった。カセットコーナーが見たかったので主に6階のアナログコーナーに居座っていたのだが、レコードはもちろんカセットテープの種類も専門店には及ばずとも中々豊富だった。floating pointsの新譜や最近ハマっている坂本龍一のasyncのレコード、山下達郎のIt's a Popin' Timeのカセット版などもあった。これは敵わない。東京は、ひょいと街へ出ればこの環境がある場所なのだ。私はもう10年近く、この様な恵まれた環境から遠ざかっていたのかと愕然としてしまった。もう文化レベルが違いすぎる。
(もしかしたら私が地方に移住した後渋谷タワレコが変わった可能性もあるし、美化されている可能性も大いにあることを付け加えておく。)

タワレコ一階にあったポスター。はっぴぃえんど。ベタだ。ベタベタなんだが、これが金沢だとなんかよく分かんないアイドルとかなのだ。andymoriがあるのはちょっとセンス良いなと思ったが、それ以外は知らない。

(少し脱線するが、都市部に住んでいる奴は今のうちにライブは絶対に行っておけ。行けるうちに行きまくれ。疲れてても眠くても、バイトがあっても、レポートが終わってなくても、彼女と遊びたくても、全部無視してライブに行け。)

もちろんカルチャー雑誌もタワレコの商品もネットで買える。それはそうだ。今は中身をチラ読みできるものもあるし、試聴もできる。ほとんど実店舗と変わらないと思うかもしれない。多分、理論的にはそうなのだろう。しかし実際には異なる。異なるからこそ私はこれまで文化や音楽から長い間離れてしまっていたのだ。何故地方にこれらが置いていないか。売れないからだ。売れないということは、そうした分野に関心のある人の絶対数が少ない訳だ。自ずとコミュニティは限られてくる。地方では私のような人間は孤立するか、別の趣味を見つけるしかないのだ。人口の問題だと言われればそれもそうだろう。しかしそれこそが問題でもあるのだ。仲間がいない。林の中の象の如く孤独に生きられる人間はそうはいないのだ。
ではネットコミュニティはどうかと言えば、これは私の持論では、ネットはもうほぼ完全に均質化してしまっている。均質化していないローカルなコミュニティもあるにはあるかも知れないが、それは「ローカル」なのだ。倒錯的表現なのは理解しているが、感覚的に分かる人はいるだろう。そこに所属するためには、何らかの物理的接点(に近しいもの)が必要となってくる。つまりは万人にアクセスできる場所として開かれているネット空間は、もう均質化していると考えて良い。

余談だが地方に来てすぐの頃、音楽をやっている人たちと話をして正直驚いてしまった。彼らは現代のJ-ROCKしか聴いていなかったのだ。別にJ-ROCKが悪いとは言わない。私は洋楽至上主義者じゃないし、むしろここ数年邦楽メインで聴いている。しかし軽音部に所属するという彼ら/彼女らがビートルズすら聴いたことがないということに、少し悲しくなってしまった。もちろんはっぴぃえんどなどの日本の古典も知らない。一人二人そういう人がいても不思議ではないだろう。しかし皆が皆こうだと、少し唖然としてしまう。

ネットは選択肢を広げてくれたのだろうか。文化的な情報格差を是正してくれたのだろうか。
そうは思えない。少なくとも過渡期を生きてきた私には、世界は均一化の一途を辿っているようにすら思える。

今日も皆同じ話をしている。

いいなと思ったら応援しよう!