耳をすませているだろうか
映画「罪の声」を見ました。
京都で父から受け継いだ仕立て屋を営む曽根(星野源)。妻と幼い娘と共に穏やかな日常を送る彼の人生は、父の遺品らしきテープと手帳を見つけたことで一変する。
テープから流れてきたのは、子どもの声。菓子の会社を脅迫し、警察を翻弄し世間を揺るがせた事件の、身代金指示で使われたものだった。それが自分の声であると気がついた曽根は事件について調べ始める。
一方、新聞社の文化面で毒にも薬にもならないような記事を書く阿久津(小栗旬)は事件を調べ直すよう指示されロンドンを訪れていた。時効を迎え、時間も経っている事件に積極的になれないながらに調べを進める阿久津。
そして曽根と阿久津の二人は出会い、真実に迫っていくことになる。
脚本の野木亜紀子さんは、西尾維新の「掟上今日子の備忘録」の実写ドラマを担当されたことで知りました。
西尾維新のドラマ化はとても驚いたのですが、恋愛をクローズアップして大衆向けになりつつも西尾維新らしさは残しつつ(このへんは脚本の力だけによるものではないとは思うのですが)一番の核になるところは残っていて大事にされていたのが本当に嬉しくて一気にファンになりました。
今回、映画の原作は読まずに見に行きました。
けれど、元になった事件が気になって、Wikipediaを読み進めるうち「こんなにセンセーショナルな事件で、注目するところがたくさんあるのに、このお話は『声を使われた子どもたち』についてに焦点を当てているんだな」と思ったのです。
映画でもそこが中心になっていて、ああ、原作とは変えている部分もあるかもしれないけれどやっぱり核になるところは残っていて、そこは大事にされているんだろうな、と思いました。
見終わった後に、先日読んだ記事を思い出しました。
「一回でいいから私の声を聞いてほしかった」
「あなたのことは大嫌いだけど、一番感謝しています。このような人になってはいけないと学ぶことができたから」
一番印象に残ったのは最後の曽根と娘のシーンでした。
弱くて小さいものを体現したかのような娘が、曽根を労っている姿が、こんなに幼い子でも慈しむことを知っているのだからましてや大人に、その声を聴くことができないわけがないと奮い立たせられるものでした。
主題歌もとてもよかったです。「私は生涯この靴で歩いていく」と、文字を紡ぐ阿久津が、表に立つ人のためにスーツを作り続ける曽根が、それぞれの登場人物の決意のようでした。
自分は耳をすませているかな、と自己点検したい気持ちです。
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