三月にまたがると身につく?
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昨日の朝7時に知らない番号から携帯が鳴りました。
この時間の電話であれば用件は大体一つです。
御門徒の方からの電話で、ご家族が亡くなられ枕経をお願いしたい、という内容でした。
亡くなられたのは私が住職を継職する際に一緒に本山の研修に行っていただいた元責任役員の方です。
細身で柔和な笑みをいつもたたえていらっしゃいましたが、御門徒皆さんの事を考えて厳しい意見も言ってくださる方でした。
枕経を終え、ご家族と通夜葬儀や中陰の事について相談をしていました。
七七日が6月上旬になる事が分かると「三月(みつき)にまたがるとダメだって言いますけど。。。」と聞かれました。
「迷信ですね。三月にまたがると、悪い事が「身につく」からダメだ、という言葉遊びですね」と答えたのですが、「五七日で忌明け法要をした方が良いのでしょうか?」とまだ食い下がられました。
忌明け法要を五七日にされるケースもありますが、それは例えば七七日が正月三が日になってみんなが集まれないケース等です。
その場合でも、みんなが集まるのは五七日にしますが、ご家族の方で引き続き七七日までお勤めされます。
また一月後半に亡くなられた方は、二月の日数が少ない関係でだいたい三月にまたがります。
音が悪いというなら、「四月四日」や「四月九日」なんて「死」も「苦」も入っていて不吉な事この上ない事になってしまいます。
ある人からは、「線香二本を二つ折りにすると四(死)本になるからダメなんですよね?」と言われて絶句してしまいました。
それなら線香三本を三つ折りにしても九(苦)本になってダメな事になります。
音は大事で言霊というものがある、とも言われますが、言葉をわざわざ悪い解釈にして自分に当てはめて、自ら悪い結果を引き寄せているように感じます。
好意的に解釈するならむしろ良い結果が来るのではないでしょうか。
法事の際に「私がいまあるのは父母や先祖のおかげです」と言われる方がいるので、「じゃあ借金や遺伝性の病気を遺す父母や先祖でも今の言葉は言えますか?」と聞くと苦笑いして無言になられます。
結局、健康な身体や少なくはない資産を遺してくれた親や先祖だから感謝する、という言葉が出ているだけです。
私にとって「都合が良い」親や先祖だったのです。
お家の御内仏にお参りに行くと年配の方が「毎日のお念仏を喜ばせていただいています」と言われるので、「寝たきりになってもお念仏を唱えて喜ばれますか?」と聞くと、これまたバツが悪そうな顔でサッと奥に行かれます。
お念仏を喜んでいるのでなく、お念仏の他に好きな事も出来る「健康」を喜んでいるだけです。
こうした考えがダメだから無くしなさい、と言っているのではありません。
私たちはどうしたって、表に出さなくても心の中でそういう事を考えてしまい、しかもその自分勝手さに気づきもしないのです。
また、そういう自分勝手な存在であるという気づきがあれば、私が私自身を何とかして救おうというのがそもそも無理だと分かると思います。
それはある意味、絶望です。
その絶望の中で、どんなに自分勝手な思いの私であっても必ず救う、と言われるのが阿弥陀仏だ、というのが私たち浄土真宗です。
今日のお通夜で身近な人が亡くなった場でも、私に都合が良いように考えてしまっていないかをご家族の方にあらためて問うてきたいと思います。
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