父母の遺影を捨てたら祟られませんか?
遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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死後事務委任契約を結ぶ予定のお客様と葬儀等の打ち合わせをしました。
式の規模や式に呼ぶ人などを確認していくのですが、実際の葬儀現場で事前に準備がないから困るのが遺影の写真やデータ。
今日のお客様に尋ねると、5年前に撮影して準備してある、と三種類、額に入った写真を出してこられました。
相談しながら一つを遺影に、後の二つを受付に飾ろうか、と決めました。
私は養子に入ったので、義夫や義母の交友関係などが全然分かりませんでした。
そのため、かなり早いうちから亡くなったら呼んでほしい人をリスト化しておくように言って、実際にその通り連絡しました。
遺影の候補も準備しておこう、と思い、義父の誕生日に近くのホテルで食事会を計画し、そのホテルの部屋を借りて誕生日の記念写真ということにして遺影の候補写真を準備しようと考えました。
しかし、誕生日の数日前に風邪をこじらして止むなくキャンセル。
一応ある程度回復したのですが、数日後に様態が急変して亡くなりました。
結果として遺影の準備ができておらず、あちこちのアルバムをひっくり返して何とか候補になりそうな写真を使いました。
たまたまですが家捜ししてアルバムをかき集めたので、葬儀の際に来られた方に見てもらえるように置いておくと、何人かの方が写真を見ながら思い出話をされていました。
亡くなった人の写真やエピソードを集めた追悼サイトがネット上に無料でつくれる「葬思式」というサービスがあります。
・毎日新聞 滝野隆浩の掃苔記「「葬想式」でリデザイン」
・葬想式ホームページ
メールで招待された人が故人との思い出の写真とメッセージを添えてどんどんアルバムができていくスタイルです。
このサービスを始められた前田陽汰さんが、祖父の葬儀の際の写真を見て、自分の知らない祖父の姿を発見できた、と感じたことから始められたそうです。
確かに、仕事関係の方がくださった写真などは、過程とは違う顔を見せているのではないでしょうか。
私がこのサービスでいいな、と思うのは、写真やメッセージが3日で消えるというところです。
消えていくことの儚さや遺族の踏ん切りのため、というところが制作者の意図のようです。
ただ私が葬儀の導師を務めた後でもよく尋ねられるのですが、遺族の皆さんは写真の処分に困られるのです。
「葬儀に使ったから」「故人の顔が写っているから」処分すると自分に何か悪いことが起きるのではないかと心配されます。
遺影であっても単なる写真ですよ、とお伝えするのですが、なかなか落ち着かれないようなので、場合によってはお引き取りすることもあります。
故人を大切にとか、心のこもった葬儀や法要を、と言われるのですが、そうした姿を見ると、本音は「丁寧にお参りするから自分に悪いことを起こさないでください」と言っているようなものです。
私に悪いことを起こさない、私に良いことをもたらす亡き人だけが良い人だとしてしまっていないでしょうか。
亡き父母や祖父母を鬼や悪霊に仕立て上げているのは、私にとっての都合の良さを求めている私自身だと気づいていただきたいと思います。