多重債務者が1級FPになるまでの記録4
社会人生活
1年浪人、1年留年の末、24歳で社会人になった。
仕事は積極的にこなした。期待されれば応えたくなる性格のため、残業もたくさんしながら、与えられた仕事に毎日一生懸命に取り組んだ。手取りは18万円くらいであったが、ボーナスがしっかり出る会社だったので、遊ぶお金は十分にあった。
しかも私は実家に住んでいて、収入はほとんど自分で使うことができた。
実家には生活費として毎月4万円を支払うという話に一応なってはいたが、特に請求されるわけでもなく、払ったり払わなかったりしていた。
会社で新しい仲間も増え、飲み会やイベント、フェスに行ったりと、プライベートはとても充実していたと思う。
社会人になって最初の頃は、なんとなく貯金もできた。
20万円くらい財形貯蓄で貯金をした。
この貯金残高は、その後増える事も無く、減ることも無かった。
大学時代に借りたカードローンは、一括で返済するわけでもなく、リボ払いで毎月返済していた。返済額は1万円ちょっとだったので、特に気にも留めていなかった。
予定の無い土日は、夜勤バイト時代の友人とパチスロに行っていた。
この頃のパチスロは5号機時代であるが、初期のローリスクローリターン機種が廃れていき、それなりに出玉が期待できるART機などが流行り出していた。
私は依存症のため、基本的に打ち出したら勝とうが負けようが延々と打っていた。
1日に負けるお金は、多い時で7、8万円といったところ。
収入の多くはパチスロに消えていた。
それ以外に、買い物依存もなかなかのものだった。
ブランド服にハマり、数万円~数十万円の服を買うようになっていった。だいたいパチスロで手元のお金が無かったので、リボ払いで買うことが多かった。
大学時代に作ったカードではもちろん枠が足りないので、クレジットカードも2枚、3枚と次第に増えていった。
また、社会人2年目で車を購入した。
30万円の中古車だったが、提携のカーローンを利用した。返済額は毎月3万円程度であった。
会社の同期や大学時代の友人と話をしていて、自分の金銭感覚のヤバさには多少は気が付いていた。
「実家住まいだから毎月10万円くらい貯金できてる」
「3年で300万円くらい貯まった」
昔は一緒にパチスロに行っていたはずの仲間も、社会人になって貯金の話をしだすようになり、
「なぜ自分だけはこんな状況なんだ・・・みんながうらやましいな・・・」
そんな事をよく感じていた。
一人暮らしスタート
社会人3年目からは、一人暮らしをスタートさせた。
理由は、なんとなくしたかったから。
初期費用などは親に出してもらい、会社の近くの家賃4.5万円のアパートを借りた。
これまでよりも自由な生活になったが、当然生活費はかかるようになった。
いま考えれば、そのまま実家暮らしなら、本気で返済しようとすればまだあっという間に返せるレベルの借金だったと思う。
この一人暮らしで、借金はさらに加速するようになった。
酒が詳しい友人に連れられて、週3日は飲みに行っていたし、土日はパチスロ、リボ払いでブランド服という生活である。
このあたりから、飲み代をキャッシングで借りるようになっていた。
誘われたら断れない性格のため、「飲み会か、お金が無いな・・・」と思っても、すぐに「まだ枠が残っているな」と考えキャッシングをした。
1枚のキャッシング枠はそう大きくなく、20万~30万円程度だったため、飲み代や生活費で借りるようになると、あっという間に枠は埋まった。
しかし、それなりに収入があったので、クレジットカードは簡単に作ることができた。枠が無くなれば、テレビでCMの流れているカードなどをすぐに作った。そ
そんなペースで6枚目くらいのカードを作った時に、はじめて「審査落ち」を経験した。
「あれ、おれって、やばいのかな・・・」
一瞬だけ危機感が走ったが、いまの自分の債務状況などは一切把握していなかったし、確認しようとも思わなかった。
「まあ、なんとかなる」
私の金銭感覚の根本にあったのは、この「最終的にはなんとかなる」であった。
昔から、お金が無い!という状況になると、不思議となんとかなってきた体験があった。
突然誰かがおこづかいをくれたり、机の引き出しから1万円札が出てきたり、パチスロでも、最後の千円からの大逆転勝利の記憶が強く残っていて、
「自分は最終的にはなんとなる金運の持ち主」という謎の自信を持っていた。(ちなみに、今もその自信は持っている。これは自分に刷り込まれた金銭感覚なのだと思う。)
審査落ちしたので、ネットで審査が緩いカードを調べて作るようになっていった。
消費者金融で借りる
クレジットカードが審査落ちしだすと、金策に窮することが増えていった。
明日の飲み会代が必要、でもキャッシング枠はない・・・
そうすると、ショッピング枠を使うしかない。
飲み会代をクレジットカードで払えばいいようにも思うが、なんせ借金のことは誰にも言っておらず、そんな素振りも誰にも見せずに生活していたので、「飲み代はおれがまとめてカードで払うよ」なんていう怪しい言動はできなかった。
そのため、当時最新のゲーム機をカードで買って、すぐに売って現金化する方法をとった。
フリマアプリなんかもまだ無かった時代である。電気屋でゲームを買って、半額くらいで近くの買取店に売るという事を繰り返した。
買取店も、同じ店で何度もやると怪しまれるので、いくつかの店舗を回っていた。
飲み会の前日に、キャッシング枠が無い事を確認すると、車で電気屋に行きゲームを買い、さらにそこから車で1時間くらいの買取店まで売りにいく・・・。
車の中で「おれ何やってるんだろう・・・」と思った。
でも、必死だった。月の収入は返済で消え、復活したキャッシング枠はパチスロで消え、その他の生活はそうして乗り切るしかなかった。
もちろん、もともと家にある売れそうなもの、大切に使っていたギターの機材などもすべて売った。
そんな生活を送っていると、だんだんと消費者金融の広告が気になりだした。
「さすがにそれはちょっと・・・」
そう思いながらも、とにかくお金が必要だったので、できる限りの変装をして、消費者金融の無人機のおいてあるビルに向かった。
緊張をしてビルに入ると、無機質な部屋に無人機が1台置かれていた。
操作をすると、女性が話しかけてきた。
「なんだ、無人機といっても、人と話すのか・・・」
そう思いながら、質問に回答していく。
「本人確認するのでマスクや帽子をとってください」
「ご利用の目的は?」
「ご利用の目的なんて聞くなよ・・・」と思ったが、言い訳を考えるのもめんどくさくなり、「生活費です」とだけ答えた。
審査の結果、80万円の枠がもらえた。
「え、、、80万円ももらえるの?」
私にとって、キャッシング枠は貯金と同じである。80万円使えるようになったという事実に胸が高鳴った。
さっそく50万円を借り入れ、返済期限が迫っていた2社のカードを一括返済した。
「よし、この80万円の枠をうまく使って、普通の生活が送れるように立て直そう!」
最初はそう思っていた。
数か月後には、80万円の枠はすべて使いきっていた。他のカードのキャッシング枠も残り数万円になった。
「パチスロで万枚出せば20万円稼げるんだ。万枚出している人は何人もいる。おれにも数回、それが起こればすべて返せるんだ」
そう考えて、残りわずかなキャッシング枠はパチスロへと飲まれていき、使えないカードを大量に抱え、途方に暮れた。
つづく
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