多重債務者が1級FPになるまでの記録7
iDeCoを学ぶ
平穏な日々を送っている中で、仕事でも転機が訪れた。
それは、2017年の個人型確定拠出年金(iDeCo)の改正である。
この年、iDeCoの加入対象範囲などが拡大され、従業員の手続き管理や制度周知などを仕事で任されることになった。
私は、投資などはしたことがないどころか(FXは触りかけたが・・・)マネーリテラシーはそれまでの人生で欠片も持ち合わせていなかった。多重債務だったのだから、そんなのは知らなくて当たり前である。
仕事で必要になったので、iDeCoのことを勉強することになったのだが、当時は法改正にあわせていろいろな金融機関が「社内でiDeCoのセミナーをやらせてほしい」と営業に来ていた。
私は、飛び込み営業のお兄ちゃんに多重債務から救ってもらった身である。そのため、飛び込み営業に来る人には敬意をもって接していた。どんな営業であろうと、一度は話を聞こうと決めていた。
そんなこともあり、セミナーをやりたいと言ってきた金融機関には、社内セミナーをやってもらうこととした。
担当者として、iDeCoのセミナーを4回、5回と聞いていくうちに、さすがに自分でも興味をもつようになり、iDeCoを始めることにした。
同時に、セミナーに登壇する金融機関の人たちの話に興味が湧き、iDeCo以外のNISAなどのセミナーも依頼した。
そんな社内セミナーの企画を続けていく中で、感じていたことは、
「ファイナンシャルプランナー、自分でもやってみたい」
ファイナンシャルプランナーへの道
私は正しいお金の知識を教えてもらい、多重債務から脱出できた。
その「正しいお金の知識」を自分もひとに伝える事ができたら、お金で不幸になるひとを減らせるかもしれない。
20代のほとんどを多重債務者として生活してきた自分だから伝えられることがあるかもしれない。
そんな想いを巡らせ、私は3級ファイナンシャルプランニング技能士の勉強を始めた。
3級FPは正直、そんなに難しい資格ではない。ちゃんと勉強すれば、ちゃんと合格する試験である。
半年ほど勉強し、その間にiDeCoやNISAなど自分でも投資を経験した。
そして、借金を完済した32歳のときに、3級FPに合格した。
2度の大学受験は、父親に決めさせられて受験し、進路を選んだ。今回のファイナンシャルプランナーは、自分の意思で勉強して受験し、合格した。はじめて自分の意思で努力して、それが実ったと思うと、とても嬉しかった。
立て続けに、2級にも挑戦した。
3級と2級は、実はそんなに差が無い。出題範囲も大きく変わらず、内容が少し深くなる程度なので、3級から間を空けずに取ったほうがいいと思ったからだ。
結果、半年後に2級合格。
このとき33歳。
そしてこの年、結婚した。1年後には、子どもも生まれた。
28歳まで多重債務者だった人間が、充実した日々を過ごしながら4年で完済し、家庭を持ち、2級ファイナンシャルプランナーになった。
人生とはどうなるか分からないものである。
ちなみに、この頃まではまだ、たまにパチスロを打ちに行くことがあった。
以前は辞めたくて辞めたくて仕方なかったが、お金のコントロールができるようになり、「無理に辞めなくてもいいか」と思うようになって、うまく付き合えるようになっていた。そうなると、今度は行きたくなっても「無理に行かなくてもいいか」となり、どんどん回数は減り、自然とまったく行かなくなった。
とはいえ、依存症とは怖いものである。
今では、チスロに行かなくなってもう数年経つが、いまだに過去のパチスロの夢を見たり、急に行きたくなる瞬間はある。
脳に刻まれた依存症というのは、もう治ることはないのだろう。
1級FPへの挑戦
2級FPとなった私は、社内でのマネーセミナーの企画を続けていた。セミナーは年10回近くに及ぶようになり、3ヶ月間の連続講座なども企画するようになった。
また、自分も講師として、新人向けの資産形成セミナーをするようになった。お金の知識を伝えることは、自分にとって楽しい事だった。
「次のステップはどうしようかな・・・」
ファイナンシャルプランナーの資格はいくつかある。プロの人は、2級ファイナンシャルプランニング技能士を取った後、CFPの資格を取ることが多い。
CFPは、1級ファイナンシャルプランニング技能士と同レベルの位置づけだが、実務経験や研修受講などが必要で、より実務に沿った資格である。
1級ファイナンシャルプランニング技能士は、マニアックな資格である。
実務経験が必要で、試験の難易度は高い。合格率は10%程度。実技試験として、面接試験もある。(面接試験を避けるルートもあるが、一般的にはこの面接試験を受ける場合が多い。)1級を取る人は学校に通って勉強する人も多い。また、3回~4回受けてようやく取る、という事もザラである。
そんなァイナンシャルプランナー資格は、独占業務が無い。
難易度の高い試験に受かったとしても、税理士や社労士のように資格で仕事ができるわけではないのだ。よって、勉強時間も考えるとコスパが悪く、そもそも受ける人が少ない。だからマニアックな資格である。
私はあえてこの1級に挑戦してみることにした。
理由は、私の会社での業務が、受験資格として必要な実務経験に相当するということが分かったから。それならば、やるだけやってみたい。
試験まで6ヶ月。合格率10%への挑戦が始まった。
とはいっても、2人目の子どもが生まれ、家庭が忙しい中での勉強である。
なかなか思うように進まない中、事件が発生した。
先に身体障害者1級になる
ある日、急に胸が苦しくなった。
「これはおかしい・・・」
1時間くらい耐えてはいたが、これは死ぬかもしれないと思い自分で救急車を要請。ドクターヘリで救急搬送された。けっこう危なかったらしい。
原因は不整脈であったが、手術が必要となり、ペースメーカーも入れることになった。
人生は本当に何が起きるか分からない。
お金の問題から解放されたら、今度は健康の問題である。ちなみに、私はお金に関してはクズだったが、健康に関しては運動もしていたし、標準体型であったし、食事もそれなりにリテラシーをもっていた。
人生はなかなかのハードワークを私に課してくる。ちょっと調子にのったからって・・・もう普通の生活を送らせてくれよ・・・。
結局、一連の治療で1ヶ月近く入院することになった。
手術はキツイものがあったが、体調が戻ってからは病室のベッドの上でヒマを持て余していたので、1級FPの勉強をしていた。この点に関しては、まとまった勉強時間が確保できたので大変助かった。命がけではあったが。
ペースメーカーを入れたことで、1級FPになるより先に、予想もしなかった身体障害者手帳1級を手にすることになった。1級FP試験まで残り2か月のタイミングであった。
1級FP合格
挑戦を決めてから半年後、ついに試験の日を迎えた。
最後の1ヶ月は過去問を徹底的に解いて、完ぺきとは言えないまでも、運が良ければ受かるかな~くらいの練度で臨んだ。
その試験は、とてつもなく難しいものだった。
今までの過去問とは毛色が違う。いったい何を問われているのかすらよく分からない問題が続出した。
試験中に思った。
「これはいったい何がおきたww」
この難易度では誰も受からないだろうと思えるレベルだったので、笑うしかなかった。
選択問題も記述問題も、定番の問題はすべて魔改造されて出題された。
これが1級か・・・素人をそう簡単には受からせてくれないな・・・
もともと難しい試験であることは承知の上。とりあえず、手術直後でしんどい体にムチを打ち、子どもを抱きかかえながら勉強する日々から解放される喜びのほうが大きかった。
そして合格発表日、もはや見る気もなかったのでどうでもよかったが、夕方頃に一応確認してみた。
なぜか合格していた。
この年の1級FP試験の合格率は6%。いったいどんな奇跡が起きて私は受かったのかいまだに謎である。
ともあれ、受かってしまえばこっちのものである。なにより、自分なりに努力したことが結果に結びつくのはこの上なく嬉しい。
しかし、1級はそこで終わりではない。2ヵ月後に面接が控えている。
プロではない私が、プランニング業務さながらに、口頭で答えていく事が果たしてできるのか。
そんな不安もあったが、面接試験の合格率は9割近いと言われていたので、「緊張で一言も言葉がでない」みたいな状況にならなければ大丈夫だろうという思いもあった。
ぶつぶつと過去問の回答例を独り言でしゃべって練習し、本番を迎えた。
面接試験は2問だったが、どちらの面接官も優しかった。
答えに窮する場面では、ちゃんと助け船を出してくれた。少し模範解答とずれた事を言っても、否定はせずに受け入れ、軌道修正をしてくれた。2問目にいたっては、ほとんど質問で誘導してもらったような気がする。
無事に面接試験にも合格し、1級ファイナンシャルプランニング技能士になることができた。半年の勉強期間で、独学一発で合格できたことは素直に誇りに思う。
37歳。あの多重債務から解放された日から、10年近くが経っていた。
つづく(次回、最終話)
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