多重債務者が1級FPになるまでの記録3
昼のバイトを始める
ほとんど1つの単位を取るためだけに1年間留年することになり、急にヒマになった。
そのため、夜勤バイトを辞めて、昼間のバイトを始めることにした。
選んだのはカラオケでのバイト。
週3~5日で、ほとんどフルタイムでバイトをした。
バイト代は月に15万円程度稼いでいた記憶がある。
カラオケでのバイトは、それまでの夜勤バイト仲間と違い、高校生も多く、若い子と楽しく毎日を過ごしていた。
あいかわらずパチスロは辞められないでいた。
毎日友人と遊んで、ひとりの時はパチスロを打ち、バイトに行き、学校には週1日くらい行くという生活。
夜勤でなくなったこともあり、なかなか充実した日々だったように思う。
フジロックなどの音楽フェスにも一人で行ったりしていた。時間があるからこそできたし、そういう行動力はあるほうだった。
お金の面では、収入が増えたこともあって、少し余裕が生まれていたが、貯金をしようなどとは思いもせず、すべて使っていた。
高い買い物はすべてリボ払いで済ませていた。
残高なんて確認せずに、月の返済額だけを気にしていた。
はじめてのカードローン
やり直しの大学3年生を終え、無事4年生に進学したころの話。
ある日パチスロを打っていて、財布の中身は最後の千円になった。
私は帰ろうとしたが、その帰り際、とても良い台を見つけた。
「これは打てば出るな・・・」
耐えられない気持ちになり、コンビニに行き、いつもリボ払いを利用しているクレジットカードをATMに挿入してみた。
「借り入れ」
このボタンが意味することは分かっていた。借金である。
しかし
「押せばお金が出てくるのかもしれない・・・」
その衝動を抑えきれず、ボタンを押し、2万円を入力した。
すると、まるで自分の貯金のようにあっさりと、2万円が出てきた。
この時の衝撃は今でも覚えている。
無いと思っていたお金が、手に入ったのだ。どんなに打ちたいと思う台があってもお金がないという悔しい思いをしながら帰るはずが、なぜか2万円も打てるのだ。驚きと興奮である。
高ぶる気持ちのまま、ホールに戻り、お目当ての台を打った。
2時間後には、再度3万円を借りていた。
結局、この日5万円を借り、それは全てパチスロで無くなった。
強い嫌悪感に苛まれながら家に帰った。取り返しのつかないことをしたのではないかと、その日の夜は恐怖に怯えた。
寝て起きると、「返せばいいよね」という気持ちになっていた。
実際、このときの5万円はリボ払いにせず、翌月すべて返済した記憶がある。
しかし、新たに借り入れるまで、そう時間はかからなかった。
カードローンに頼る日々
私はこのとき、同級生の彼女がいた。
彼女はすでに就職していて、1人暮らしをしていたので、私も入り浸っていた。
彼女にはパチスロをやることは言っていたが、依存症レベルとは伝えていなかった。彼女の前では、お金も持っている風に装っていた。
彼女との旅行や遊びのお金は、ショッピング枠とキャッシング枠を駆使し、リボ払いで乗り切っていた。
大学生のカードローンなので、キャッシング枠など20万円くらいである。あっという間に限度額に到達し、毎月返済して枠が生き返れば、すぐに借り入れをしていた。
そのため、この頃はキャッシング枠の残高が生命線であった。
「あと1万円はおろせるよな・・・」
感覚としてはもう自分の貯金みたいなものである。キャッシング枠残り1万円を頼りに彼女と旅行に行ったりもした。
大学卒業、就職
大学4年生になり、授業や卒業研究はわりと真面目にこなしていた。
パチスロ依存は相変わらずではあったが、昼間のバイトで若い子たちと触れ合い、大学も留年したため一つ下の年代の仲間と付き合うようになり、そういった環境の変化が良い影響を及ぼしたと思っている。
ライブにもしょっちゅう行っていて、パチスロ以外にも熱中できることがあったので、今思い返しても充実していたなと思う。
就職もなぜかうまくいき、地元の大きな企業に就職が決まった。
就職が決まった瞬間、本当に勝ったと思った。
ここまでの人生、やりたかった音楽は却下され、親の言う通りに進学したものの、パチスロ依存で留年。父親にはダメ人間の烙印を押された。
そんな自分が、結果的には留年したことで、他人に認められる就職先を得ることができた。
父親に報告すると、すごく喜んだ。
「すごいな!よくやった!」
父親に認められるのは快感であった。すでに就職すること自体がゴールになっていた。良い就職先を得た事で、父親に認められるという目的は達成されたのだ。
そして、お金の面でも
「就職すれば余裕だよね」
という感覚もあった。
実際、クレジットカードは1枚だけで、新たなカードを作ろうとは思っていなかったし(というか作れると思っていなかった。)キャッシング枠は使い切っていて、ショッピングもリボ払いの残高がかなりあったはずだが(正確な金額は確認していない。)幸いにも返済は遅滞なくできていたので、普通に働けば問題なく返せるであろう状況ではあった。
借金しているという感覚も無かったと思う。
こんな大学時代になった原因は、パチスロ依存に他ならないとは思うが、それ以外にも、物欲が抑えられない、周りとの付き合いを断れない、という要因も大いにあった。
借金のことは、誰にも言っていなかった。みんな私がパチスロは打っているのは知っていたが、お金がない素振りは決して見せないように取り繕っていた。借金があるなんて絶対に思われたくない。プライドが高かった。
友人はたくさんいた。その中の誰か一人にでも、借金があることを言えていれば、パチスロ依存を告白できていれば、また違った人生だったと今では思う。
つづく
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