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思い出すらない人間になりたいのか
本日(令和4年7月15日)熊本は強い雨が降っている。そんな中、親から電話があった。大丈夫かと。幾つになろうとも子どもはこどもなのだろう。55歳のおっさんの心配をして電話をかけてきた。
でも本当は心配ではないことはわかっている。少し時間があったので長話してみた。今の健康状態や状況、そして昔話などを。リハビリに通うことにしたらしい。誰かと喋ってないとダメになるからと。
こんな雨の強い日が数日続いた時に河川が氾濫したことがあった。お客様の家に電話した時にはこれから避難するということだった。それから数時間後にお客様の娘さんの旦那様より電話があった。
義親がどんな状況なのか心配で遠方より私に電話をしてきたのだ。その電話を受けて自宅に言ってみると自衛隊のヘリコプターが行き交っていた。辺り一面は水浸しでもう家は見えない。
それから数日後にボランティアの大学生と一緒に家の中にまで入り込んだ火山灰を含んだ泥をかき分けていた。臭いし重いし量は多いし。それでも高校生、大学生のボランテアの方のおかげで綺麗になった。
少し余裕が出てきたのかお茶を飲みながら『大変でしたね』などと話していると命が助かっただけでいいかもしれないと言いながらもぼそっと寂しそうに言った一言が今も忘れられない。
『家の中のものと一緒に思い出も流れていっちゃった』
お亡くなりになった娘さんとの楽しい思い出が詰まったアルバムなども水害で流されてしまったのだ。写真だけでなく使っていたものや衣服までも。お金よりも思い出が流れされた方が悲しいと。
老人は過去の思い出の中で生きているにも関わらずその思い出すら奪われてしまったら何をもとに生きていけばいいのだろうか。記憶の中にある思い出は年々薄くなっていくのに
金儲けや人間付き合いよりお金と言ってネットにかじりついて株式投資に夢中になっている人は老人になった時にどんな思い出の中で生きるのだろうか。ちょっと不思議な感情になったので久しぶりのブログで書いてみた。
次回は住宅ローンのことについて書いていきます。