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古代の相互扶助制度(紀元前〜中世)
古代メソポタミア・バビロニア(紀元前2000年頃)
商人たちは「船荷貸付」(Bottomry)を利用し、船や貨物に保険をかけていました。
船が無事に帰港すれば借金を返済し、遭難した場合は返済を免除される仕組みです。
保険と言っていたかはわかりませんが、紀元前2000年頃から人は万が一に備えたいという欲求があったという事でしょう。
万が一があっても残された者が困らないようにしたい。もし自分が遭難しても、その負債を残された者に追わせたくないという純粋な気持ちだったのかもしれませんね。
古代ローマ(紀元前1世紀頃)
葬儀ギルド(コレギア)が結成され、会員が会費を出し合い、メンバーが亡くなった際に葬儀費用を支払う制度がありました。
これは現代の死亡保険の原型とされています。
葬儀ギルドの話は生命保険を生業にする者は、必ず習う歴史と言ってもいいでしょう。この仕組みは長くは続かなかったと言われています。なぜなら、そこに「不公平感」というものがついてくるからです。
年齢や既往症がバラバラな人たちが同じ会費を払っていて、万が一は同じ葬儀費用が支払われるわけですから、決して同じリスクの集団ではなかったと言えるからです。ここから生命保険の仕組みは万が一の時のお金の不安をなくすことに、平等性を求め始めたわけです。
次回は中世になってどのように発展していったかを見ていきたいと思います。
次回を愉しみにして頂ける方は、ぜひ「スキ」をください!
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