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ただの扶養主婦が50歳で起業したらFPとして新しい人生が始まった話

こんにちは。私は保険を売らないファイナンシャルプランナー(以後FP)として活動しています。このnoteは、私がFPとして独立するまでの経緯と自己紹介を交えながらお伝えしてまいります。


このnoteを読んで得られること

・お金周りの相談を考えている方……相談できそうなFPかどうかの判断目安になるかも
・FP起業を考えている方……起業までのリアルを知ることで、参考なるエッセンスを得られる
・アラフィフ、アラカンの主婦の方……働き方(複業や起業)を考えるときの参考になる

現在(起業8年目)のわたし

まずは、かんたんに自己紹介とやっていることをお伝えします。

公式サイト
  • 1965年生まれ

  • 家族は会社員の夫と保護猫2匹、息子(26歳)は独立

  • FPとしての実績(執筆・取材協力・講師)

    • 執筆業
      ・翔泳社「書けば貯まる!今から始める自分にピッタリな老後のお金の作り方」2021年刊行
      ・マネー系メディア執筆(くらしの経済メディアMONEY PLUS、東洋経済オンライン、現代ビジネス、幻冬社ゴールドオンライン、auじぶん銀行、中央ろうきんなど)

    • 取材協力
      毎日新聞、婦人公論、女性セブン、女性自身、週刊朝日、東証マネ部、BSテレ東など

    • 講師業
      NPO法人、カルチャースクール、行政講座、士業勉強会など

    • 相談業
      定年後の生活設計〜相続を専門として50-60代を中心にコンサルティングを提供

バブルで始まった社会人生活

大学生活までは紆余曲折ありましたが……ここでは割愛します。
社会に出たのが昭和63年(1988年)、世の中はバブル絶頂期。未来への希望と活気にあふれていました。楽しいお気楽なOL人生は1995年に終わりを告げました。理由は、夫の転勤で関西へ転居することになったから。
転居後は、関西での暮らしを満喫、待望の息子も授かりました。

金融ビッグバンで証券会社が破綻……

愛する息子ではありますが、慣れない土地での子育て、かつ、孤育ては精神的にツライものです。忘れもしない1997年11月、資産を預けていた三洋証券が破綻。生後半年の息子を抱っこして店頭前に駆けつけると、取り付け騒ぎとなっていて愕然とした記憶があります。
※注)実際のところは、証券会社が倒産しても資産は無事に守られます。

ITバブル相場で1000万円儲ける

戻ってきた資金を元手に野村証券で株式投資をスタート。100年に一度とも言われたITバブル相場の到来とネット証券創成期が重なったことで、家の中でもデイトレードができる状況になっていました。子育てで家に籠っていたことが吉となり、ネット上で株仲間もでき、子育てにも気持ちの余裕が出てきたように思います。

バブル崩壊で地獄に突き落とされる

ビジネス総合誌で「子供のお昼寝中にネットトレードするママたち」と紹介されるほど順調でした。しかし、バブル崩壊で一転、地獄を見ることに。一例を挙げると、株価900万円のソフトバンクに買いが入らず、売買が成りたったときには600万円、一気に株価が2/3になるような暴落が起きていたのです。あまりのショックであの頃の記憶が曖昧なのですが……夫に帰京の辞令がおりて関東に戻ることに。

失敗と実利でFPの資格をとる

関東に戻ってきたタイミングでマンションを購入。住宅ローンを組んだこともあり、保険の見直しを依頼。このときの違和感がFPとしての私の原点になります。

保険の全体像を知った上で、相談したかったのに……
商品案内されても納得感ゼロ。

そんな経緯があり私が選択したのは、保険代理店でのパート。保険の全体像を知って、本当に自分に必要な保険に見直すのが目的。資格手当が出るというのでFPや簿記の資格を取得しました。

知らないことはリスク、を痛感

学べば学ぶほど、自分の無知が明らかになりました。
住宅ローンを組んだとき、株券が紙切れになってしまったとき……当時の自分の選択を振り返り……「知っていたら失敗しなかったのに」と無知はリスクを痛感したのでした。

50歳で起業はしたけれど

FP資格を取得して自分の家計立て直しには見通しが立ちました。ただし、それを職業としようとはまったく考えていませんでした。
50歳で起業した理由は、恥ずかしながら……成り行きです。パートの収入が扶養超えになりそうだったので業務請負の箱として法人を作ったというわけです。同時に、こんなこともひそかにに思っていました。正社員を目指したけれど全落ちの状況を考えたら、キャリアなし、コネなしのパート主婦の残された道は起業かも、と。

自分探しの旅の途中、USPコンサルに斬られる

当初、投資を教えるFP養成講座に通いました。投資経験もあるし、と少しの自負があったものの打ち砕かれることに。とにかく、その後はいろいろなことにチャレンジしました。ずいぶんと回り道をしたものです……
ネットワークビジネスもその中の一つ。全く合わないことがわかりました。
また、ある時点でピンときたことがあります。自分の適正は何で、どこを伸ばすといいのだろう? 自分のUSP(独自の強み)は何だろう?
ネットでググって出てきたのがUSPコンサルという肩書きの女性起業家でした。コンサル当日、事前に提出したヒアリングシートを見て「あんたみたいなフツーの主婦が稼げるわけないじゃない」と一蹴。コンサル開始から10分ほどで強制終了、払った1万円も返してもらえず、ただただ悔しかった……
でも、振り返ると、その暴言をもらったおかげで「稼ぐまでは絶対に諦めない」スイッチが入って、今この場所にいられるのだと確信しています。

大きな川の流れにつながれたことでステージが変わった

ずいぶんと長くなってしまいましたが、あと少しだけお付き合いください。
ここまでの私に一番足りなかったもの、それは覚悟です。
自分が稼ごうが稼ぐまいが、わが家の家計体制には影響ありません。ただ、こんな自分でも社会の中で必要とされ、結果として報酬を得られる、ことを証明したかったのだと思います。
その後も、一朝一夕で状況が変わることはありませんでしたし、FP起業に覚悟を決めたのは起業して3年目のことです。署名記事の執筆を愚直に継続し、ロールモデルの独立系FPがいれば講座に通う。業務請負の実質パート仕事は継続していたので、FP起業のタネ銭として売り上げを全て注ぎ込んでいた状況でした。
大きく状況が変わったのは、とあるFP師匠の塾に参加してからです。メディアに強い師匠は余すことなく自身が築いたコネクションにつないでくれました。ただしそれ相応の条件を満たしてマッチングすれば、です。自分がしたことは学びを続けて自分自身の価値を高めることです。
現在は、つないでいただいたコネクションから仕事が広がり、また同業FPで足りない分野を協力し合うなどして収入の財布をいくつか持てるようになりました。
2021年、念願の扶養を卒業、自分の会社からお給料をもらえるまでに。私が目標としていた「稼ぐ」状況になりました。何か形に残したくて自分の法人で社有車を購入しました。


学びは一生続く

いったんは目標をクリアしたわけですが、フリーランスですから売り上げは不安定です。新たな目標は、FPとして、本当の意味でお客様の生涯の伴走者となること。そのために、大学院に進学して老年学を研究することを決めました。「老年学」は加齢に伴って生じるさまざまな課題を扱い、生涯をより良く生きるための方法を追究していく比較的新しい学問です。
ただのパート主婦の私がテキトーに起業して、このような場所にいること自体が信じられないことです。諦めなければ、道は開けていくことを少しでもお伝えしたくここに記録いたします。50代、まだまだがんばっていきましょう!

#エッセイ
#ビジネス

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