淀殿を妄想
淀殿の悪女のイメージを、なんとか払拭したい。
そんな動機から、淀殿が生きた戦国時代を勉強しています。
よく、関ヶ原で淀殿が西軍三成とともに戦っていたら
豊臣は滅びなかったのではないか、という説を目にします。
しかし、よくよく調べてみると関ヶ原って豊臣の家臣同士、
いわばお家騒動のようなもので、家臣のどちら側かに付くなんて理由が、
淀殿の立場からしてみれば「無い」んですよね。
三成とべったりで、家康とは仲が悪かったようなイメージがありますが、
決してそんなことはなく、どちらかと言えば、中立を貫いている感じです。
家康からしたら、挑発に乗ってくれて西軍に乗っかってくれれば戦う口実になるし、東軍についてくれれば、打倒三成が優位に運んで、その後の豊臣も想いのままでしょうから、淀殿がどちらかに転んでくれることを狙ったのではないでしょうか。
ところが、淀殿は一貫して中立の立場をとり、決して家臣同士の争いに自ら進んで入っていくことはしなかった。なんにしても、家康に口実をつくらせなかたのです。
当たり前です。だって、トップなんですから。
家臣の派閥争いに巻き込まれる必要はないのです。
とても冷静に、戦局をしっかり見極めた賢い女性にしか思えないのです。
だからこそ、家康は豊臣を滅ぼすまでに関ヶ原から15、6年もかかった。
これは一筋縄ではいかない、そう家康も思ったのではないでしょうか。
女だからって、家康は多分一度も淀殿を侮っていないと感じます。
もちろん、秀吉が残した莫大な遺産や秀頼を守るための仕組みなども
あったのでしょうが、それを淀殿は存分に利用した。
そして、秀頼を立派に育て上げた。
秀頼が立派過ぎたので、家康は秀頼を恐れて豊臣を滅ぼした、
そんな解釈もありますものね。
そうなればこそ、
淀殿とは、あの家康を追い詰めるほどに賢い女性であったのではないか、
そう妄想するわけです。
もちろん、淀殿ひとりの力ではないと思います。
北政所、甲斐姫、京極殿など、そして、浅井三姉妹の初も江も。
秀頼を守るために女性が一致団結をして女性ならではの戦い方で
あの家康に立ち向かったのではないでしょうか。
そんな風に妄想してしまうのですよね。