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秀頼
淀殿に悪女のイメージがついてまわる原因のひとつに、
秀頼が秀吉の実子ではなく、淀殿と愛人(誰なのかは諸説ありですね)の
子供ではないかという、当時からも噂されていたことがあります。
この辺りについても、私の妄想によれば実子であるという結論になるんですよね。それは何故か。
まず第一に、相手が超天下人の秀吉だからです。
貧しい農民から超天下人にまで上り詰めるという、世界史でも稀有な存在の秀吉の性格を想像するに、相当複雑なものだったのではないかと思うのです。
恐ろしいほどの冷酷さの半面、誰よりも情に深く、頭脳明晰なのはもちろん、人間的な魅力に溢れた人だったと思います。超合理的なので、戦に勝つためには非常な手段も決断できるし、「人たらし」の異名を得るぐらいですので、相当にリーダーシップ力があったのでしょう。
北政所、ねねが惚れるくらいに人として相当の魅力があったのですよ。
ただし、秀吉のプライドたるやそれは半端ないものだったのではないか。超天下人のプライド、きっと月にまで届くほどに高いものだったのではないか、なんて感じます。
さてそんな超天下人を、淀殿がどう思っていたのでしょうか。
現代の基準の「愛情」があったかどうかは不明です。戦国の姫の宿命は、愛よりも家。政略結婚がごくごく当たり前の時代に、浅井三姉妹の長女としての責任を負う淀殿が、超天下人の側室になることを拒む理由は思いつきません。加えて、本当に淀殿が秀吉を父と母の仇と嫌っていたのかどうかも、現代の基準では不明です。
むしろ、戦国の姫として教育された淀殿にとっては、浅井の血を絶やさないという使命のみが生きていく動機、モチベーションだたのではないでしょうか。
それに、超天下人秀吉がそう簡単に自分の側室に愛人ができるような緩い環境を許すとも思えないんですよね。
しかも、浅井三姉妹です。詳しく調べると、信長の血筋というだけでなく、当時はどうやら浅井長政もかなりな武将という評価で、浅井の血も貴種とみなされ高いブランドだったようなんですよね。
その最高ブランドの淀殿を、秀吉は相当大事にしたのではないでしょうか。
この場合の大事とは、自分以外の男が近づけないように大事に守った、と言う意味です。
淀殿にしても、そもそも秀吉以外の男とどうこうという発想すらなかたのではないでしょうか。
万が一にも愛人がばれたら、おそらく命はなさそうです。だって、秀吉の高いプライドはズタボロですから。下手すれば、妹たちも巻き添えになりかねません。つまり、秀吉以外に愛人をつくることは、浅井の血を守るという淀殿の信念にまったくそぐわない行為なのです。
秀吉には、石松丸と女の子、二人の実子がいたという説もあります。であれば、淀殿が秀吉の実子を授かっても何の不思議もないのです。
事実、妹の江は多くの子供に恵まれていることを考えると、淀殿も身ごもりやすい体質だったことは考えられます。
秀頼を身ごもった時期も、ちゃんと淀殿は九州に一緒に連れていかれているようです。しかし、それは淀殿ではなく別の女性で、家臣が見間違えたのだという説もあるようですが、何故都合よく家臣が見間違えるのでしょうか。
これは、あくまでも秀頼が秀吉の実子ではない、その視点からの推測にしか感じられません。
何より、淀殿が身ごもった時に、自分がいないのにできたなんてこと、秀吉が気が付かないわけがないですよね。であれば、身ごもる時期に少なくとも自分と一緒にいた、この事実があるわけです。
だからこそ、秀吉は実子が出来たと喜んだのです。
以上、いろいろ妄想すればするほど、秀頼は間違いなく秀吉の実子であると、妄想歴史は結論せざるを得ないのです。
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