『花餐症/楽園市街+初音ミク』の個人的な解釈による考察
受験が終わりました。お久しぶりです。緊音です。暇です。暇なので考えます。花餐症について。
はじめに
ということで、この記事は私が1年ほど前に書いた
この記事
の続編にあたります。
当然非公式な文章ですので、あくまで一意見として受け取ってください。
この記事では前回のように1つの物語として描き出すということはせず、解説チックな感じで進めていきます。
なぜか。
それは、『花餐症』は『トピアリー』よりずっとずっと難解だからです。
『トピアリー』は曲自体の物語としての完成度が高く、歌詞を読むだけで物語として成立していたので、その間に私の妄想を入れ込むということができたのですが、『花餐症』はそうは行きません。
これが『花餐症』の歌詞です。
なんとなく世界観は伝わってくるけど、核心は突けない……(私の能力不足ならごめんなさい)
『トピアリー』は一連の物語としてすべての歌詞に意味を見出すことができましたが、今回はちょっと厳しそう。
なので、妄想は少なめに、考察をしていきます。
それでも多分長くなっちゃいますけども。
めちゃくちゃ頑張ったのでぜひ最後まで読んでくださいね。
曲の紹介
『花餐症/楽園市街+初音ミク』は2020年6月6日に投稿された、楽園市街の8曲目のVOCALOID作品です。
現在(2024年2月29日)、YouTubeでは167万回、ニコニコ動画では31万回再生されている大変人気な曲です。
特に、冒頭の歌詞
の人気が高く、歌ってみた作品だけではなくうごメモ作品なども多く投稿されています。
考察を読む前に
考察を読む前に、私からみなさまにいくつかお話があります。
まず、冒頭にも書いた通り、これは非公式な文章であることに十分ご理解ください。
素人が勝手になんか語ってるだけです。
そして、『花餐症』を理解するために、宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』を読むことをお勧めします。
このあとの考察材料のパートでもざっくりストーリーの説明はしますが、一読の価値がある素晴らしい作品です。
青空文庫で全部読めますし、1時間程度で読了できるのでぜひ。
素敵な世界観/死生観が味わえる作品です。
最後に、『花餐症』を一度は聞いてから読んでください。
最高の一品です。
楽園市街の最高傑作と言えるかもしれません。
考察を楽しむためにも、絶対によろしくお願いします。
考察材料
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが考察になります。
まず、考察にあたって調べたことをここにまとめます。
ただし、素人の高校生がベッドに寝転がりながら書いたような文章なので、十分な根拠もないような駄文になるかも知れないということはご承知を。
①『銀河鉄道の夜』
やはり『花餐症』に関わり1番目が惹かれるのは、『銀河鉄道の夜』を髣髴とさせる歌詞でしょう。
冒頭に登場する「カムパネルラ」は『銀河鉄道の夜』の登場人物です。
ここで、『銀河鉄道の夜』について、ざっくりストーリー紹介
貧しい学生のジョバンニは、活版印刷所で働き、病に臥した母を養いながら暮らしていた。
父は、漁に出ると言ったきり戻ってこない。
それでも帰ってくると信じるジョバンニのことを、ザネリを筆頭とした同級生たちはバカにしていた。
でも、彼らの中で唯一、昔から仲の良かったカムパネルラは、申し訳なさそうに、ジョバンニのことを揶揄わずにいてくれた。
そんなある日、街では銀河祭りと呼ばれるお祭りが開かれる。
星に興味があったジョバンニは参加したいと思うが、同級生たちに混じることはできず、独り届いていなかった牛乳を貰いに牧場へ向かう。
カムパネルラやザネリたちは川へ灯を流しに行くらしい。
結局牛乳を貰えなかったジョバンニは、丘の上に向かうが、いつのまにか銀河をかける鉄道に乗っていることに気づく。
そこにはカムパネルラも居て、共に南十字座へ乗っていくことになる。
(道中、鳥捕りや燈台看守、船が座礁し救命ボートを譲って死んでしまった兄弟たちと出会い、この鉄道が死者の魂を運ぶ列車だということに読者は気付かされるが、ジョバンニは気づかない)
幻想的な景色の中、とうとう南十字座に着くが、ジョバンニはカムパネルラと、もっと先へ一緒に行こうという。
しかし、カムパネルラはその瞬間忽然と消えてしまい、ジョバンニは丘の上で寝ていたことに気づく。
街の方が騒がしく、聴けば川に落ちたザネリを助けるために川に入ったカムパネルラが出てこないという。
ジョバンニは、カムパネルラが死んだかもしれないことを受け入れられず、牛乳を持って家へ駆け出して行く。
ざっくり、こんな感じです。
また、『花餐症』の映像内では、『銀河鉄道の夜』内のフレーズが映る場面がいくつもあります。
これは、冒頭の先生の話の引用です。
天の川が星であること、そしてその一部に我々が住んでいることを話しています。
これは、物語中盤、銀河鉄道の中で、切符を確認されるシーンです。
ここで、ジョバンニの切符が他の乗客とは違うものであることがわかり、ジョバンニだけが夢の中であることの伏線になります。
などなど、いろいろなところで『銀河鉄道の夜』を意識した表現が見られます。
私から、『銀河鉄道の夜』について覚えていて欲しいのは
①カムパネルラは溺死したこと
②カムパネルラはザネリの代わりに死んだこと
③ジョバンニはザネリと仲が悪かったこと
の3点です。
②アンドロメダの神話
『花餐症』の歌詞には
という部分があります。
このアンドロメダには有名な神話があります。
英雄ペルセウスのメドゥーサ退治として有名なこの話に登場するのが、アンドロメダです。
国のために生贄、つまり身代わりになったのがアンドロメダです。
海の怪物、化け鯨ケートスに捧げられたのがアンドロメダです。
溺死、身代わり、色々繋がりそうですね
③甘いエチレン、イーペル
耳慣れない単語が登場するここ。
エチレンはまだしも、イーペルって何なのでしょう。
調べてみるとイーペルとはベルギー西部の都市
第一次世界大戦の時にはドイツによる激しい攻撃が行われたそうで、世界で初めて毒ガスが兵器として使われた第二次イーペルの会戦が著名です。
その時に使われた毒ガスが、名前は有名な「マスタードガス」。イーペルで初めて使われたことからイペリットとも呼ばれるそうです。
これが、エチレンと塩化硫黄で生産できるそうです。
ガスの匂いはまさにマスタードのようで「甘い」とはほど遠いのですが、エチレン自体は甘い芳香臭を持っており、フルーツの成熟に用いられるほどです。
また、『銀河鉄道の夜』でアイテムとして登場する「苹果(りんご)」からはエチレンガスが発されるそうです。(考察には関係しないけど、面白いつながりですね)
ここでは、戦争という、命に多大に関わるモチーフが歌詞に登場しているということがわかれば良いです。
考察
さて、材料は集まりました。
ここから、考察には入っていきます。
ただし、前回の『トピアリー』の解説のように全部の歌詞を拾うことは無理なので、ピックアップして繋げていきたいと思います。
もう一度歌詞を載せておきますね。
まず、登場人物は2人、性別はなんでもいいです。
ここでは便宜上、一方を「ジョバンニ」、もう一方を「カムパネルラ」と呼びます。
また、考察上登場しませんが、1人、「ザネリ」と呼ぶカムパネルラの友人がいると思ってください。
さて、この曲で何が起こっているか、私が考えているのは、二度の「身代わり」による死の肩代わりです。
一度目にカムパネルラが、二度目にジョバンニが死に至ります。
まず一度目。カムパネルラはザネリを庇って昏睡状態に陥ります。考察材料であった通り、おそらく水難事故に関するものが原因でしょう。
冒頭、病室のシーン。ジョバンニはベッドに眠るカムパネルラに声をかけます。
「天国は遠いねえ、カムパネルラは如何惟う?」
この「天国は遠い」という言葉にはカムパネルラに死んでほしくないというジョバンニの想いが見える気がします。
そして友人のために、自らを犠牲にしてしまったカムパネルラをジョバンニは『銀河鉄道の夜』の「カムパネルラ」に、病室を銀河を駆け死者を運ぶ鉄道に重ねます。
これが、「笑えない冗談」です
水難事故の行為症を調べたところ、心臓や脳、内臓へのダメージなどがあるそうで、カムパネルラは心臓に異常を抱えてしまったのではないかと想像します。
そして、この時点で、おそらくジョバンニには選択肢が与えられていたのでしょう。
カムパネルラに自らの心臓を移植することです。
自らの生を選ぶか、親友のカムパネルラの生を選ぶか。
強く葛藤したことでしょう。
考えは巡り巡って(環状論理)、最後の決断を迫られて(最終稟議)、あれこれ想像して(妄想癖)、自分とカムパネルラの命を比べて(利益管理)、訳がわからなくなって(銹びた審美)、自分を優先しそうになって(熟れう甘美)
そして、ジョバンニは「溟い想像」つまり、カムパネルラの死を強くイメージします。
そして、決断をします。
カムパネルラが死ぬことを選べなかったジョバンニは
『「棄て切れないよ」』
カムパネルラの生、つまりジョバンニの死を選びます。
これが、二度目の「身代わり」です。
さてここで、歌詞「仰せの侭に。」の場面。
映像には
とあります。
この発言は誰のものなのでしょう。
『花餐症』でジョバンニの一人称は「僕」なので、ジョバンニ以外の誰かとなるのですが、私はカムパネルラの過去の発言なのかなと想像しています。
そして、歌詞の「仰せの侭に。」はこの発言を受けたものなのかなと思います。
つまり、ジョバンニはカムパネルラの、死後幸福は待っていないという考えを受けて、カムパネルラを生かす決断に踏み切ったのかなと、そんな想像です。
『銀河鉄道の夜』で、「ほんとうの幸い」は一大テーマとなっています。「ジョバンニ」と「カムパネルラ」は旅の途中、ほんとうの幸いについて何度も考えます。
また、「ジョバンニ」は「カムパネルラ」が女子と話しているところに嫉妬したりと、依存のような思いを抱いています。
いじめの中、唯一仲の良かった「カムパネルラ」にその思いを抱くのは、自然なことにも思えます。
『花餐症』でもジョバンニにとって、親友のカムパネルラが死ぬことは、耐えられないことだったのでしょう。
1番のサビとなるこの部分
ここは手術室に入った後のジョバンニの視点ではないでしょうか。
「藥效成分」、「芳香臭」、「眞赤に點滅るネオンライト」、どれも手術室にはありそうなものです。
そして『「少し不安になるね」』。
これは、隣に眠るカムパネルラへの言葉でしょう。
移植手術のとき、(現実ではどうか知りませんが)ドナーと患者は並べて寝かせられているイメージがなんとなくあります。
きっと、ジョバンニは隣に眠る死の淵のカムパネルラを励まそうと声をかけたのでしょう。
そして、続く歌詞に「アンドロメダ」が登場します。
ジョバンニは、カムパネルラの身代わり(犠牲)になったということを象徴する言葉になっているでしょう。
カムパネルラのためなら、アンドロメダになったって構わない。
そして、ジョバンニの死を意味する「汽笛」が鳴ります。
この後、『銀河鉄道の夜』の切符のシーンが引用されます。
きっとジョバンニは、『銀河鉄道の夜』のような綺麗な死後の旅を想像して死んでいったのではないでしょうか。
ここは、死後、銀河鉄道の到着を待つジョバンニの視点でしょう。
ジョバンニは、カムパネルラとは違い死後にキラキラした世界を想像していたのでしょう。
しかし、実際に目の前に広がるのは、戦争をも思わせるような荒廃した駅の待合室です。
登場する花は、马兰花(アイリス)。花言葉は「希望」だそうです。
この景色は、ジョバンニにどんな感情をもたらしたのか。
私は、カムパネルラをこんな場所へ行かせなくて良かった、とプラス寄りの気分だったのではないかと思います。その方が「希望」がよく似合う。
さて、こちらはカムパネルラの視点でしょう。
カムパネルラも、ジョバンニの死を受け入れられずにいます。
ジョバンニを生かそうと、延命や禁忌(カムパネルラは神を信じていることから宗教的禁忌の儀式が何か?)まで手を出してしまう。
そして、漏れ出る言葉が『「こんなせかいにどうして?」』
ジョバンニは、カムパネルラが死を忌んでいると思っていましたが、カムパネルラはこの世もあの世もどちらも良いとは思っていなかったのでしょう。
どうしてジョバンニはカムパネルラをこの世に留めるために命まで捨ててしまったんだ。
そんな叫びが聞こえてくるような気がします。
これはジョバンニでしょう。
死後で、この世に干渉できないから、「透明」。
ジョバンニにはカムパネルラの様子が銀河鉄道の車窓から見えたのでしょう。
カムパネルラを悲しませることは、ジョバンニにとっても辛いはずです。
ジョバンニはカムパネルラへの恋情から、自分の死体を包むブルーシートをウェディングドレスに見立てます。(私はこの歌詞が1番好き)
カムパネルラと、婚約の誓いを密かにし、名前を教え込む=苗字を与える結婚をジョバンニは1人行います。
そして、ジョバンニは、天国へ向かっているのかもわからない鉄道の中、カムパネルラに自分と同じところまで来て欲しいと願うのです。
「天国」はカムパネルラのために取り繕った言葉でしょう。
珈琲やメリーゴーランドはきっと生前のカムパネルラとの記憶で、メリーゴーランドにはカムパネルラが欠けています。
そして、カムパネルラは遺体安置室で、袖に縋りつき、ジョバンニの頬を撫でる、というところでこの曲は終わります。
カムパネルラの心中は明かされないままです。
ここは、自由に想像がなされるべきでしょう。
私はカムパネルラの自殺なんか考えたりしちゃいますが。
以上、歌詞に関する私の考察でした。
おわりに
『花餐症』、素敵なお話になりましたね。
想定より3000字ほど長くなってしまいましたが。
正直、一年前『トピアリー』の記事を書いた後、『花餐症』にも挑戦したのですがそのときには実力が足らず、ここまで辿り着くことはできませんでした。
受験勉強をした成果がこんなところでも出たのかもしれません。
好きな曲について考えるというのはとてもいいものです。実際、この考察を通して私は『花餐症』がもっと好きになりました。
ぜひ、心から愛する曲のある皆さんも挑戦してみてください。
それでは、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。