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因中有果

古代インドの正統六派哲学の一つ、サーンキヤ学派。その教えに「因中有果(いんちゅううか)」というのがあります。

簡単に申し上げると、物事の結果は原因の中にすでに包含されているということ。世界に起こるすべての事象は、原因という種子の中に、あらかじめ、ある結果が生じるようDNAが仕込まれているという考え方です。同じインド発祥の仏教にも「因果応報」ってのがありますよね。いい行いをすればいい結果が起こり、悪い行いには悪い結果が待っているというアレ。うん、少し似ています。

ただ、因果応報が「ちょっとした戒め」や「生きるうえでのスローガン」みたいな抽象性を持っているのに対して、因中有果はもっと現実の法則や摂理に即しているような気がします。少なくとも、Aをしたから必ず一律でBになるという単純な話でもないみたいですね。努力が必ず報われるとは限らないということ。目に映るカタチが変わったり、まったく思いもよらない違う手応えに分岐していったり、なんだったら時間差でやってくる場合もあるそうです。
せっかく日頃から善行に励んでいるのに、途中で何か悪い出来事が起こったら、人は誰しも「なんでやねん!」とか、映画『八甲田山』の北大路欣也さんバリに「天は我を見放したかぁ!」って嘆いちゃうしれません。が、それが実は成功に至る道程で一度くらいは経験しておかなければならない課題だと捉えればどうでしょう。一つのストーリーの中で、物語が最高潮に達する直前のフリや助走だと考えることもできます。

こうしたインド哲学は、ヨガの土台にもなっていて「自分自身の行いが人生を左右する」という点で共通しています。また、ヨガには「知足」と呼ばれる考え方もありまして。吾、唯、足るを知る、の「足るを知る」の部分ですね。いつも頑張ってんのにトント見返りがないな〜なんて吐息をついてる人は、案外、すでに幸せがもたらされる前段階にあること、あるいはすでに別のカタチで幸せが訪れているのに気づいてないってだけかもしれないということです。

こないだ、とあるお仕事で誤植が見つかって肝を冷やした話を書きました。

アレだって、わざわざスケジュールを圧縮して、コストをかけて、プロの校閲さんのチェックを差し込んでいるのに「なんでやねん!」って話だったんですよ。ぶっちゃけ関係者ほぼすべてが、北大路欣也さん演じる神田大尉のように「天は我を見放したか」って。運が悪かったとしか思っていませんでした。

でもね。運が悪かったで思考停止していたら進歩はない。よくよく考えたら「ライターさんから原稿を受け取った時点で、担当編集者が目を皿にしてチェックしていたら見つけていた」かもしれませんし、初校や再校の段階で「仮に読み合わせの作業を挟んでいたら避けられた」かもしれません。わたしだって、忙しさにかまけて端折ってしまったけれど、仕事終わりに缶ビールをグビッとやる暇があったら、PCの電源を落とす前にもう一回だけ見ておけばよかったんです。
そもそも、運が悪かったなんて思っちゃう空気が蔓延していたこと自体が危ういと考えないといけない。原因の種子の中に、あの忌々しい結果をもたらす手抜かりや緊張感の欠如が人知れずこっそり仕込まれていたんです。

原稿を書く作業においてだって、そういうことはちょこちょこ起きます。
なんだかイマイチ筆が乗らないなぁ……なんてのは、いったん細部まで噛み砕いで分析して、シンプルに全体像を眺め直してみれば意外とイージー。なんとなくその原因がわかってきます。「原稿を書き始める前の資料集めや取材が不十分だった」といった準備不足。「これだけは伝えなきゃいけない! と強く思えるポイントを拾えていない、練れていなかった」といった察しの悪さや能力不足。一見「横ヤリを入れてきた上司やクライアントのせい」だと拗ねちゃいたいよな出来事があったとしても、「それを跳ね除ける理論武装ができていなかった」だけだったのかもしれません。見たくないから皆んな目を背けるけど、真っ直ぐ見つめれば、そういったことどもが容赦なく露呈してきます。

イマイチ筆が乗らないのは何故なのか。他の出来事にココロが奪われていて集中が途切れているからなのか。はたまた別のことに起因するのか。いったん立ち止まって考え見れば、自ずと解決のヒントが見えてきますし、少なくとも次の機会ではできるだけ工夫しなきゃね!ってポジティブに思えるようになります。


ミスや失敗の中から気づきを掬い取るセンス。これがないと、きっと人はまた同じことをやらかします。結局、我が身を顧みないと次のステージには進めないんですよね。

だからわたしは、ガチャが外れただの、運が悪かっただの、他人のせいにしてその場を収めちゃう人たちがあまり好きじゃない。嫌いというひと言で放り投げちゃったら、スタッフや自分自身の成長はありませんし、そこで試合終了になっちゃうんで諦めたくはないんですけどね。ガチャに外れたことで、ガチャの大当りを引き寄せた人より優位に立てる何かが得られるんだ、運が悪い出来事に出食わしたことで何か別の学びが得られたんだと、建設的に考える人のほうが断然好きですし、そういう人たちと一緒に仕事をしていきたいものです。

要は、うまくいったことも、うまくいかなかったことも、そうなったのはなぜなのか? に気づけるかがどうかが重要って話です。物事の真理は常に因中有果にあると考えています。

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