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視界は広く、視座は高く、視点はやわらかく

あ。そうか! ピコーン

なんとなく、ふとしたことから何らかの気づきを得て、自分なりにこうすればいいんじゃないか、こう考えれば何かが好転に向かうんじゃないか、これは現在の偽らざる心情として書き留めておかないと……ってなると、それがnoteに綴る日記や備忘録のネタになります。
霧のようにボヤッと形をなしていくんですね。
で、頭の中にあふれてくる言葉を書き連ねているうちに、気体から液体、液体から固体へと変わっていく。

でも、ある程度まで筋ができてくると、商業売文業のよくないクセ(あえて言いますが〝悪いクセ〟)が発動します。

わたしはこれを誰かと共有したくて書いてんのか?
てか、誰かに読ませるほどのもんか? これを読んでなんか得するんか?
ところで、こんな独りよがりな書き捨てメモ、必要か?

わたしの場合、noteは自分自身に向けた記録として書いてるだけ(実際、記憶の引き出しとしてチョー役に立ったこともあります)だから、ホントはそんなこと微塵も考えなくていいんですけれど。

というわけで、「自分の記事」の中には、未完成で書きかけのストック記事がドンドコ増えていきます。

中には、もうちょっとフレッシュな発想を添えてコトコト煮詰めれば、まぁまぁ後から読み返しても恥ずかしくならない程度の書き物になりそうなのもあるっちゃああるんですがね。

筆をとってみたけど、書いているうちに想定外の横路に逸れてしまったもの。何だか自分自身が納得できない結論に至ってしまったもの。批判を恐れて無難に収めてしまったもの。外聞を憚ってやたらとカッコつけちゃったけど、よくよく考えたら「いや、こんなこと、わたしはぶっちゃけ露ほども思ってねーわ」と萎えてしまったものなどは、もうそこから筆が進まなくなっちゃいます。で、書きかけのまま残るという。


ここんとこ、そういう気づきがフワッと浮かんでくることがめっきり少なくなっていて、仮に浮かんだとしても筆がなかなか走らなくなることが多くなってきました。
「いよいよ歳かな?」とは思うんですが、たぶんそれとは違う。きっと両親のことで頭がいっぱいになっていて、いつもは何事かをスッと拾いあげるセンサー機能やアンテナ機能がサビついてきているんだと思います。


これって実は由々しきことで。
仕事でも「今回はこういった書き出しで」とか、「こういう要素を加えたらきっと厚みが増す」とか、「こういう展開ならオモロいよね」とか、いつもコンコンと湧き出でてくるはずのアイデアの泉が閉じちゃってんですよ。

だから、わたしのように書くことを生業とされている方々は、色恋だの、対人関係の悩みだの、家族間の問題だの、自らの感情に波風を立てるようなアレコレから、できるだけ自分を遠ざける努力をされている人が多いんじゃないかと思っています。
作家さんとかデザイナーさんとかクリエイターさんにやたらと生活感がないのは、多分そういうことなんじゃないかなって。ある程度、俗事から遠いところに身を置かないと、芸事の追求って難しいんじゃないかと考えます。


そういえば昔、とある後輩ちゃんが、だいたい2ヶ月間くらいでしたかね。「え? どうしちゃったんだろ」ってくらい使い物にならない日々が続いたんです。なんというか、いつも物思いに耽っていて集中力を欠き、目の前のMTGにさえウワの空。だもんで、悩みごとでもあるの?って聞いたんですよ。したらば、ついこないだから彼氏とガタガタしていて、結局大失恋をしたとのこと。本人もその現状にはかなり焦っていて、仕事に差し障りが出るのがイヤだからと、それまで盛んに出かけていた合コンをある時から封印したといってました。
性差別をするつもりは毛頭ないですが、女性スタッフにはわりとあるあるじゃないですかね。今はご結婚されて子育て真っ最中。

一方とあるベテランライターさんは、夫婦喧嘩をしたり家庭内でのいざこざが発生したりすると、必ずといっていいほど直近の仕事に悪影響が出ると仰っていました。だから、奥さまとは普段から努めて仲良くしているんだよ〜なんて笑っていました。
一日が始まると決められたモーニングルーティンをこなし、仕事のあるなしに関わらず、自宅の近所に借りた個人オフィスへ向かい、落ち着いた業務環境で仕事をし、片付いたら穏やかな気持ちに切り替えて家路へつくことに努めているのだと。
あと、2ヶ月に1回くらいの取材旅行は好きだけど、毎月あちこちどっかに行かされるのはイヤだって公言していましたね。なぜなら自分のペースが崩れてしまうからって。お仕事を依頼するわたしとしては困るんですけれど。


ま、皆さん、いろいろあるんでしょうね。
そりゃあ人間ですから、人生さまざまな七難八苦に晒されるわけで、そこで気分がオチたまま苦悩のドン底に迷い込んでしまうか、しっかり公私にメリハリをつけて淡々と対処していくかは人それぞれ。心持ち次第。

わたしは、むしろ「プライベートはプライベート、仕事は仕事だろ」などと、身の回りの出来事に一喜一憂されていらっしゃる皆さんをドライに眺めていた側のドライな人間でしたが、それはそういう切迫した状況になかったからなんですね。いざ自分が追い込まれてみてわかりました。あらあら、案外、このわたしも強い人間ではなかった。ヨワヨワだったのねって。


溜まってきた書きかけのストックは、この機会に捨てることにいたしました。で、リハビリがてら、またゼロからイチを生み出してくれるやわらかい視点を育ててみようと思っています。

正直、いまの暮らしの中で占めている思考のボリュームゾーンは、母や父との出来事ばかり。でも、そのことばかりに思いをいたしていてもしょうがありませんし、このままだといよいよヤバい気がしています。何がどうヤバいのかはわかりませんが、なんとなくこのままじゃいかんな、と。

とにかく、視界は広く、視座は高く、視点はやわらかく。
容姿が老けていくのはある意味仕方のないことですが、頭の中は老けこまないよう頑張らなきゃダメっすね。

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