第33回:グラマー|感情論に呑まれる人々
自他共に認める私のしつこさ
自分で言うのは何だが、私は、大変「しつこい性格」の人である。
なので、まかり間違って私の怒りを買うような事があれば、その人は一生涯、私から恨まれ続けるだろう。
こんなことは自慢にもならないが、私に恨まれると「何年何月何日に誰それから何を言われた」という事を明確に覚えていて、忘れるということを絶対にしない。
要するに、一般的に言えば「根が暗い人」ということになる。
学生の頃、周囲の男女から「その性格、何とかならないの・・・?」的なことをよく言われてきたが、そういう星の下に生まれてきたのだから、どうにかなるものではない。
けれど、不思議なもので、私は自身のこの「執念深い性格」をとても気に入っている。
執念深いということは、見方を変えれば「タフな精神力の持ち主」ということになるので、何かをする場合には「物事を突き詰め、専門的にそれに取り組む」という性格を意味するのである。
要するに、執念深さという言葉は「集中力の高さ」と言い換えることもできるのだ。
例えば、幼少期の私は男の子だったので、母から買って貰ったウルトラマンの大図鑑の本を最初から最後まで何度も読み通し、昭和のウルトラシリーズの怪獣や宇宙人を全て覚えた記憶がある。
(これは70年代後半に購入した本なので、今となってはこの本のタイトルを忘れてしまった事が残念でならない。)
また、中学2年生の時、アテスト前だというのに霊的な体質から金縛りの恐怖から逃れる為に、3日間で般若心経を丸暗記した事もある。
(アテストとは、神奈川県におけるある時期まで行われた昭和のクソ下らないテストの事である。)
ちなみに、私が般若心経をそらで唱えることができるのを友人達が知って、「何でお経を唱えることができるの・・・?」と怪訝な顔をして聞かれた事もあるが、間違っても金縛りが云々という話をした事はなかった。
(一部の者には、やむを得ずその手の話を少し漏らした事はあるが、基本的に親しい友人にも話すことはない。)
要するに、この性格の「執念深さ」というよりも、「何かに集中して取り組む」性癖が私をこのような行動に駆り立てることもあったのである。
世間では、執念深いというと余り良い印象の言葉ではないが、「執念」というのは「意識を向けて集中する」ということなので、よくよくこの言葉の意味を考えてみると、決して悪い言葉の意味ではないことが分かる。
試みに、集英社国語辞典[第二版]を引いてみると、
・・・ということになるので、辞典を引いてみても、普段私達が思っているような悪い意味でこの言葉が使われている訳ではない。
私達は、日常生活の中でこのような言葉ひとつをとってみても、碌に言葉の意味を考えることもせず、その「言葉尻だけで」良い印象を受けるか悪い印象を受けるかを「勝手に判断」しているのである。
知ってるようでも、ホントは知らないかも・・・。
例えばイタリアが生んだルネサンス期の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
実は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」、これは彼の名前ではないのだ。
厳密に言えば「レオナルド」は名前なのだが、ダ・ヴィンチは名字では無い。
イタリア語ではこうなる。
レオナルドは名前、ダはイタリア語で「~から」、英語で言う「from」。
ヴィンチは「地名」ということで、これをまとめると「ヴィンチからきたレオナルド」という意味だ。
もう少し上手に翻訳すると、「ヴィンチ村からきたレオナルドさん」ということになる。
このように、ごく当たり前だと思ってきた認識が、実際に調べてみるとかなりいい加減なものであったりする。
他にもこういう例がある。
アメリカの有名なロックバンド「KISS」の70年代のレコードの邦題には、冒頭に必ず「地獄」という言葉が付いていた。
例えば、「KISS」の5枚目のアルバムは、「地獄のロックファイアー」と銘打たれている。
しかし、原題のどこを見ても「地獄-HELL」という字は見られない。
それを日本人は気付かずに、70年代のメイクアップをしていた頃のKISSのアルバムを「地獄シリーズ」と呼んでいた・・・。
ファン達の間でも、こういうことは時間が経たないと意外と気付かないもので、後になって、「あれっ!『HELL』っていう字が何処にも入ってないじゃんっ!」的なことに気付くものである。
取り戻せるもの、取り戻せないもの
KISSの例は笑い話になるが、コロナ用ワクチンに関しては、笑い話で済む話ではない。
何故なら、コロナ用ワクチンは予防接種ではないのに、接種者達が予防接種だと勝手に思い込んで、異口同音に「予防接種だから」と口にし、接種会場に忙しなく足を運んだ。
(国も製薬会社も、コロナ用ワクチンは「予防接種ではない」といっていたにも関わらずである。)
そして後になって、闇の勢力が邪悪な人口削減の為に開発した生物兵器だったことが判明・・・後の祭りとはこのことである。
私からしてみたら、よく考えもせず、またネットで調べもしないで接種会場に何度も足を運ぶという事は「自殺行為」に等しく、KISSの地獄シリーズではないが、武漢型、オミクロン型とワクチンがリリースされる毎に「令和の地獄シリーズ」となってしまったことが残念でならない。
(これは私の空耳だろうか。連日、救急車のサイレンが、昼夜問わず鳴り止まない・・・。)
ザ・思考停止
このように、人は思考しているようで「実は思考していない」のだ。
それは、何ら根拠の無いことを勝手に思い込んで解釈したり、それらしいことを耳にすれば、周囲の意見にただ流され、いつの間にか「それが常識だ」と勘違いしてしまっていることに全く気付かないものである。
これは日常生活の中で知らず知らずのうちに身に付いてしまった、いわば「思考停止の悪習慣」として捉えることができる。
その良い例が、ワクチン接種下における「皆が打つから私も打つ」という、短絡的な行動だと言えよう。
では、あなたは「皆」が裸になれば、一緒になって裸になるのか。
若しくは、あなたは「皆」がスーパーで万引きをしようと言えば、一緒になって万引きをするのか。
そして、あなたは「皆」で命を絶とうと言ったら、喜んで命を絶つのか。
よくよく考えて見れば、この「皆が」という言葉は、「非常に曖昧で具体性が全く無い」言葉である。
このような主体性の欠如から、大の大人がワクチン接種にこぞって走ったという事は、「人として思考せずに感情論に流された」ということを暗に意味している。
そして怖いことに、この主体性の欠如が次の悪夢を生み、次に彼らは愛する我が子にまでワクチン接種を強要することになってしまった・・・。
秘教用語の「グラマー」と「イリュージョン」って何?
要するに、今の大人達はそれらしい事を口にはするものの、実際は自身の頭でしっかりと思考することができていない。
故に、自身の「勝手な思い込み」から「根拠もない感情論で捉えてしまう」という悪習慣が、今の人々には身に付いてしまっているのだ。
改めてよく考えてみると、このような「?」な感情論から来る今の人々の在り方を、秘教の教えでは「グラマー」という言葉で表現し、簡単に言うと「感情論に走る」ということである。
そのグラマーに対して、「思考力を働かせた冷静な判断をするように」と、秘教の教えでは忠告を促している。
なお、「グラマー」という言葉を専門的に表現すると「情緒的幻惑」という言葉になるが、これでは一般的に何を言っているのか良く分からないだろう。
そこで、この「情緒的幻惑」という言葉を噛み砕いて表現するなら、「感情論からくる勘違い」と言えば、少しは分かり易くなるのではないだろうか。
もっと簡単に言えば、グラマーとは「ただの思い込み」である。
また、秘教用語の中には「イリュージョン」という言葉も存在する。
これは先程の「グラマー」とは逆の意味で、専門的には「思考的錯覚」という風に言われている。
この言葉の表現では、やはり一般的に何を言っているのか良く分からないので、同じように噛み砕いて表現すると「ただの考え過ぎ」ということになる。
またはこういう言い方もできるだろう。
それは「考え過ぎから思考のジャングルに陥っている」ということだ。
それが「イリュージョン」という秘教用語になる。
「生きる」ということは「思考する」こと
話を元に戻そう。
要するに、私はこのような性格のお陰で、プランデミック下におけるワクチン接種においても、今までの知識の集積からグレート・リセットの被害を被らずに済んだ訳である。
なので、私にしてみれば「何故、他の人達はよく調べたり考えたりもせずに、平然と生きていられるのか」不思議でならない。
多分、それは「濃厚な性格」の人と、「淡泊な性格」の人の違いからくるものなのかもしれない。
要するに、濃厚とか淡泊という性格は、「何かを意識したときに拘りを持つ人かどうか」ということになるのだろう。
この見方によれば、決して執念深い性格というのもマイナスに働かないことになる。
逆に「淡泊なあっさりとした性格」の人は、その性格故に、何でもかんでも「さらりと流してしまう」のだろう。
なので、ワクチン非接種者の人間というのは、この私のように「癖の強い」性格の人達なのであると思う。
だから、彼らは何をするにしても、前もってそれをしっかりと調べ、石橋を叩いてから実際に行動する人達なのであろう。
今も言ったように、こういう人達は大変癖が強いから、職場でも学校でも他人に流されず、自分の自己主張はしっかりとするものである。
例え一人でも、複数の者達と口論する事も辞さない。
結局、その強い性格から、ワクチン接種の哀れな犠牲者にならなくて済んだのである。
「癖が強い」
こう言うと、世間では余り良い印象を受けないが、癖の強さを「アイデンティティの確立」とみれば、また見方も変わってくるものだ。
「死」が見えれば、嫌でも思考する
言うまでもなく、淡泊な性格の人は濃厚な性格の人とは真逆の生き方をし、その結果、今回の件で残りの人生の蝋燭を短くしてしまった。
一説によると、この生物兵器に含まれている毒素は20種類以上あるという。
もし、この説が本当であれば、最早、現代の科学力では対応することができないだろう。
このまま彼らは、「逝くときもやはり淡泊に逝く」のだろうか・・・。
しかも、皆と一緒に・・・。
どうせ「逝く」事を知ってしまったのなら、接種者達は今更どうすることもできないので、この際「開き直って前に進む」しか残された道はないのだ。
過ぎ去ったことを後悔しても仕方がないし、絶望しても何も得るものは無いのだから、深呼吸でもして落ち着こう。
問題は「この現実をどう受け入れ、如何に対処するか」である。
といっても、コロナ用ワクチンは生物兵器なので、事の問題を受け入れても現代の科学力ではどうにも対処しようがない。
しかし、もし「現代の科学力を超えた高度な科学力」がこの宇宙に存在するとしたら、接種者達の現状も「希望」に変えられるのではないだろうか。
ハイラーキーの存在を知ることの意味
闇の勢力が存在すれば、光の勢力も存在する。
間もなく、光の勢力は人類の前に姿を現すだろう。
秘教の学徒達は、彼らのことを「ハイラーキー」と呼んでいる。
恐らく、マイトレーヤを長とするハイラーキーは、2025年までには地球上に出現すると、私は個人的に思っている。
その理由は、余りにも悪が巨大すぎて人類の手には負えなくなっていることと、ケムトレイル等も含めた地球の環境汚染が深刻になりすぎているからである。
このような意味で、私はハイラーキーの出現が差し迫っているとみているのだ。
話を進めていこう。
この地球上には、霊的な意味において「救世主」が存在する。
その救世主の名が、マイトレーヤである。
彼は光の勢力の長として、他のハイラーキーの超人達と共に地上に現れる。
彼らは超常的な存在であり、高度な超能力と科学力を有している光の集団である。
私に襲われてもマイトレーヤは・・・?
今、私は「彼らは超常的な存在であり、高度な超能力」という話をした。
どういうことかと説明すれば、例えば私が日本刀を抜いて、マイトレーヤに襲いかかり、彼の右腕を切り落としたとしても、翌日、私が彼と会うと、切り落とされた腕は再生されて元のままである、ということだ。
それで私は刀から銃に変えて、彼の身体に弾丸を数発打ち込んでも、また翌日、彼と会うと、穴の開いた彼の身体は何事も無かったように再生して塞がっている、ということである。
また、彼は私が凶器を持って立っているのを目撃したら、私に襲われる前にその場からテレポーテーションし、彼のヒマラヤの住居まで一瞬で戻ることもできる。
さらに私は、このしつこい性格からヒマラヤまで行き、執念で彼を壁で囲まれた所に追い込み襲いかかろうとしても、彼は私など相手にもせずにそのまま壁を通り抜けてどこかへ行ってしまう。
(あくまで例えなので、彼に対して私的な怨恨があるとは思わないように。)
このように、ハイラーキーの超人達は私達人間とは違って、「自身の想念の力を使って、原子分子を完全に制御することができる」のである。
なので、私は「超常的」という言葉を使って説明したのだ。
このような神の化身について詳しく知りたい方は、愛の大師パラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」を読まれると良いだろう。
そこには、このような超常的な話がいくつも出てくるからである。
グレート・リセットの背後で
彼らは地球上の全ての生命を導き守護する、霊的な意味での保護者的な存在だ。
今、グレートリセットの直中にある人類は、緊急で「彼らハイラーキーの存在」を知り、意識を向ける必要がある。
何故なら、彼らは私達の前に姿を現し、新時代を人類と共に築いていく予定ではあるが、私達が抱えているカルマの関係から、すぐに姿を現したくても宇宙の法則に縛られている為に、動きたくても動くことができないでいるからだ。
だからといって、彼らは今のグレート・リセットをただ傍観している訳ではない。
彼らはまた「タクティカ・アドヴァーサ」といって、敵の力を逆に利用し、優位に事を進めていくということもする。
例えば、武術家であれば暴漢が襲ってきた場合、「相手の力を利用して、逆に技をかける」というようなことである。
光の勢力の場合は、現在、闇の勢力が仕掛けたグレート・リセットの破壊行為を逆に利用し、新時代への創造へと変質させていくという方法だ。
これは資本主義も含めた現代の古くなった「文明全体を刷新する為の破壊行為の容認」といえよう。
そして、私達人類の知らないところで、彼らは様々な宇宙のエネルギーをコントロールし、この邪悪な計画に対して速やかに解決できるよう、裏では既にお膳立てがなされているはずだ。
後は、人類がこの邪悪な計画に気付き一丸となって立ち上がれば、いままで人類を食い物にしてきた闇の勢力を駆逐できるに違いない。
その為には、人類が一日も早くグレート・リセットについて気付くことと、私達の背後に存在する光の勢力、ハイラーキーの存在に気付くことである。
ハイラーキーは、人類側からの呼び掛けがあれば、出現の予定を早めて出て来ることができる。
その意味で「ハイラーキーの存在を知ること」の重要性を説いているのである。
そして、彼らが人類の前に現れた暁には、アトランティス文明を越える太陽からの光と、惑星の磁場と磁力を使った「高度な光のテクノロジー」を人類に提供してくれるという。
但し、その条件は「人類が戦争の放棄を受け入れ平和の道を歩むこと」とされている。
開き直った人は、これを使え!
重ね重ね言うが、私は大変しつこい性格である。
なので、ここ数回の記事の中でこのマイトレーヤの手形を紹介し続けてきた。
何故、ここまでマイトレーヤの手形をしつこく奨めているのか。
はっきり言って、「皆さん、お金がないでしょ?」
ワクチンを打って障害を抱え、人生に支障が出てしまった。
けれど、気功師やヒーラー、またはその他のセラピストに治療の依頼をすれば、1回の治療代で「万」を請求されるのは当たり前の世の中である。
(治療家の彼らにも生活があるので、治療代を請求するのは致し方ないことである。但し、ライトワーカーは別で、「愛」を語るのなら治療代を請求するべきではない。)
「1回の治療代だけ」で「万」。
しかも、1回の治療だけで完治する事はまず無いのだから、万ではなく「何十万」ということになる。
それが自分一人だけならともかく、他の家族も倒れていた場合は、その治療代は倍になるのは言うまでもない。
コロナの自粛等で、今の日本国民は基本的に皆貧乏だ。
だからといって、このまま哀れなワクチンの犠牲者で終わる訳にはいかない。
そこでお金が全く掛からず、高度なヒーリングエネルギーを安全な形で提供してくれるのが、この世界教師マイトレーヤの手形だ。
これはダウンロードして印刷するだけで、簡単に使用することができる。
しかも宗教ではないので、勧誘されたりお布施を求められるようなことは全くない。
この手形を活用する場合は、ただ見たり、自身の手をこの手形に重ねたりすることによって、マイトレーヤと繋がり「癒やしと助け」を得ることができるのだ。
但し、その人物のカルマの許す範囲内で、ということを付記しておく。
私も若い頃から貧乏で、ただひたすら金欠に喘いできた経験がある。
その苦しみは、お金の恵まれた人には想像することもできないだろう。
例えば、財布を開けた時に850円入っていたとする。
普通、人はお金に困っていなければ「たった850円しかないじゃないか。」と思うだろう。
しかし、貧乏に喘いだ私は違う。
「まだ、850円も残っているじゃないか。」
このような惨めな生活から、私は20代後半になって無理が祟って身体を壊し、お金もないので医者にかかることもできなかった。
それで壊れた身体も自助努力で治さなくてはならなくなり、自然治癒力を高めることに専念し、今に至るまで何とか命を留めてきたのである。
その結果、「使える物は何でも使う」というのが、私の哲学なのだ。
そのような経緯からこのnoteでは、有難いことにお金が全く掛からないマイトレーヤの手形をヒーリングツールとして活用すれば治療ができるので、私はしつこい程、この手形を奨めてきた次第である。
私の経験上、何事も諦めずに人生しつこい程立ち向かっていると、そのしつこさに神(宇宙)は応えてくれるものなので、とにかくこの手形を使う時には、「マイトレーヤが根負けする位、しつこく治療に専念すると良い」と思う。
使い方は以下の通りである。