憧れのゲストハウスで、人見知りを爆散させる
ずっとずっと行ってみたかったゲストハウスがある。
自宅から車で90分の距離にある、「マスヤゲストハウス」さん。
当然日帰りが可能な距離だから、なんだか贅沢な気がして、貧しい僕は普段はあまりこの土地を宿泊地候補にできない。
けれど、今回は一緒に酒蔵巡りをしてくれた友人が「お泊まりもアリだよ」なんて、思春期の頃の自分が聞いたら倒れてしまいそうなセリフを吐いてくれたので、泊まることに決めた。
酒蔵巡りで、かなり気持ちの良い状態に仕上がっている。
このコンディションで憧れの宿を目指すなんて、幸せすぎる。
帰ることができるのに、帰らない。
なんて贅沢なことだろう。
なんか、ちょっと家出みたいだ。
門を潜って、つい歓声を上げてしまう。
室内へ入って、また歓声を上げてしまう。
キッチンや洗面所を覗いても、宿泊する部屋を見ても。
騒がしい客で申し訳ないけれど、それくらい素敵な空間だった。
夜ご飯は、友人が調べてくれた町の中華屋さんへ。宿のスタッフさんが「晩御飯はどこかへ行かれますか?」と訊いてくださり、店名を告げるとわざわざ丁寧に電話して予約まで取ってくださった。
しっかり食べて、酔いを深めて、宿に戻った後は妻と友人と3人でまったりと語り合う。
個人事業主同士の会話だし、友人のチャーミングでサバサバした気持ちの良い性格や、優しく寄り添ってくれる情の深さにも助けられて、かなり深いところまでも何の気負いもなく話せてしまう。
「近くでも、たくさんコーヒー屋さんができてきて、モヤモヤしたりしないの?」
友人が、個人事業主同士でしか踏み込めない話を、こちらを気遣って振ってくれる。
・・実は、僕は妻と2人で切り盛りしている、メインとなるカフェが冬季休業する間、一種の出稼ぎとしてスキー場で別名義でコーヒースタンドを7年間(7シーズン)営業してきた。
そのコーヒースタンドが、悲しく残念な理由で、なんと今季から営業できなくなり、閉鎖・撤退となることが先月決まった。
これは、本当に大きな喪失・挫折・落胆の出来事で、別にしっかりと記事を書きたいと思う。
スキー場の経営陣やスタッフさん達は本当に優しく厚意を寄せてくださっていて、今季も同じ場所で働けることをお互いにとても楽しみにしていた。
そんな期待や、これまでのご恩に報いることができないこと、そして何より冬を待ってくれているお客様方に、本当に申し訳ない結果となってしまった。
素敵なゲストハウスでの思い出の夜に、こんな暗い話にまで寄り添って吐き出し先を作ってくれる妻と友人に、心から感謝している。
大変人気のゲストハウスということで、平日にも関わらず他にも何人ものお客様が宿泊されていて、リビングスペースでお互いに談笑したりしている。
今回は、僕のせいであまりにも内側向きの話のテーマになってしまったので、他のお客様との交流はせずに、ずっと3人仲間内だけで別室で話し込んでしまった。大いに反省だ。
でも、自分も妻も友人も、積極的に他人とコミュニケーションを取るような人間ではないから、許して欲しいと思う。
ゲストハウスの醍醐味を蔑ろにしてしまっているような後ろめたい気持ちもあるけれど、どうか許してください。
僕と妻は、基本的にどんなお店へ出かけても、自分の素性を名乗ることはしない。
『出会い』
『縁』
『繋がり』
そういった世の中で美しく尊いとされているものが、どうも苦手で、なかなか修正することができない。
なぜ、このゲストハウスに憧れていたのか。
リノベーションのデザインや、利用者の評判や、立地条件みたいなことだけじゃない。
このゲストハウスを訪れたことがきっかけで、ここで生まれた交流や繋がりが元になって、この土地へ移住してきた人や、周辺でお店を開いた人が多いと聞き知っていたからだ。
地域のハブ役になっていて、その土地の魅力を底上げしてしまうような、そんなとんでもない宿なんだ。
けれど、僕も妻も、そうしたハブと繋がることは元々難しいような内向的な性格で、
ましてやそんなハブ役のお店にはどうしたってなれやしないし、なりたいとも微塵も思えない。
山奥でひっそりと、人との交わりを放棄しているような生き方をしてしまっている。
このゲストハウスに憧れていたとは言いながらも、こんな生き方は、自分には絶対にできない。。
・・・
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外は土砂降りの雨。
スタッフさんが手渡してくれた湯たんぽが、心の底から温かくて、色んなことを考えながら眠りについた。
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翌朝、06:30から、近くの温泉へと歩く。
激しかった雨は上がっていて、雨のおかげで季節外れに暖かな朝だった。
レトロなタイル貼りの浴槽に、熱い熱い源泉が惜しみなく掛け流されていた。
ぽかぽかに身体はあたたまり、雨上がりの空気もとてつもなく優しく、なんとも幸せな朝で、帰り道は原因不明に泣きそうになった。
宿で朝ご飯の準備(近所の老舗パン屋さんで沢山買ってきた)をしていると、ゲストハウスオーナーの女性が挨拶に来てくださった。
宿のデザインや設え、雰囲気、そして温泉、町の魅力、色々なことに感動して飽和状態となっているところに、あまりにも柔和で穏やかで気配りの行き届いたオーナーさんのお人柄に、打ちのめされたような状態になってしまった。
出会いや縁や繋がりや、そういったことはまっぴら御免。
あまり喋りたくなぞありませんよとイキがっていた昨晩までの自分は、瞬時に霧散してしまって、この人と話せるのだったら、今度また1人でも泊まりに来て、いつまでもリビングスペースに待ち構えていたい。そんな気持ちにまでなっていた。
そして不思議なことに、そうして一度砦が崩壊してしまうと、居合わせた他の宿泊客の皆様とも、なんだか交流したくてしょうがないような、交流しなかったことが至極勿体無いことのように思えて、後ろ髪を抜けるほどに引っ張られまくった。
「今日はこの後、どちらに行かれるんですか?」
「素敵なお宿でしたねぇ。よくお見えになるんですか?」
次の機会に、臆せずに口を開けるように、帰りの車中では台詞を思い浮かべながら、雨上がりのぽかぽか陽気に緩みまくって、美しい陽射しに目を細めているのか、知れずに微笑んでしまっているのか、この上ない幸せな気持ちでハンドルを握っていた。