「アニメレビュー勉強会」原稿『銀河鉄道の夜』と釜石線

藤津亮太さん主催の「アニメレビュー勉強会」に提出したアニメ映画『銀河鉄道の夜』のレビュー原稿です。


 想定媒体:「旅と鉄道」

『銀河鉄道の夜』と釜石線

『銀河鉄道の夜』のモデルになった鉄道が、原作者宮沢賢治の地元花巻を通っていた岩手開発鉄道、現在のJR東日本釜石線であることは有名である。現在釜石線には「銀河ドリームライン」の愛称がつき、各駅にはエスペラントの愛称がついている。
 これからその路線を辿ってみよう。起点は東北本線の花巻駅だが、首都圏から乗るなら、東北新幹線の接続駅である新花巻から乗るのが便利。それに新花巻駅は宮沢賢治記念館の最寄り駅なのだ。乗り継ぎの間に寄ってみるのもいいが、徒歩なら30分くらいかかる坂の上なので、足に自信のない方はタクシーをどうぞ。
 さて、釜石に向かおう。途中通過する眼鏡橋、宮守川橋梁はこの路線を象徴するピューポイントで、宮沢賢治はここを通過する列車を見て『銀河鉄道の夜』を構想したとも言われている。
 本作には車窓に「三角標」というものが登場する。夜空の星々はこの「三角標」で表現され、ぴかぴか光ってさまざまな形に並んでいるとあるが、鉄道好きの方なら、線路際に建っている「距離標」を彷彿とさせるかもしれない。名前通り路線の起点からの距離を表す標識で1キロごとに建っているものは「キロポスト」ともいう。「三角標」と違って光りもせず、はるかに目立たないものだが、車窓に見えたときは「三角標」を思い浮かべるのもいいかもしれない。
 本作に登場する機関車を「蒸気機関車でない」と書いている鉄道ライターもいる(鉄道トリビア 157 『銀河鉄道の夜』に登場する列車は蒸気機関車の牽引ではないhttp://news.mynavi.jp/series/trivia/157/index.html)。
 原作の「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」「アルコールか電気だろう。」というやりとりを根拠に「じつは蒸気機関車の牽引ではなかった。電気機関車またはディーゼル機関車だったようだ」と書いているのだが、しかしこれはいささか奇をてらった勇み足、というものだろう。
 じつは原作の初期稿には「ここの汽車はスティームや電気で動いていない。ただうごくようにきまっているからうごいているのだ」と声が聞こえる、というくだりがある。超自然的な力で動いている汽車、なのだ。電気なら電気機関車、アルコールならディーゼル(内燃機関)としてしまうなら、むしろそちらの方が短絡的だろう。
 つまりは、それぞれの心に思い浮かぶもので構わないのだ。それは本作でキャラクターが猫であるのと同じなのである。
 民話の里、遠野を経由して終着駅は三陸海岸を望む釜石。言うまでもなくここは東日本大震災の大津波で甚大な被害を受けた町だ。ここから先、沿岸の路線は現在も復旧していない。
 宮沢賢治の生まれた年には明治の三陸大津波があり、亡くなった年には昭和の三陸大津波があったことは有名だ。賢治自身も冷害や飢饉に心を痛め、作中にもしばしば火山や自然災害を登場させている。
 本作では途中、氷山に衝突して沈んだ客船の犠牲者が、猫ではなく人間の姿で銀河鉄道に乗り込んでくる。そして事故の模様をジョバンニたちに語るのだ。
 船から脱出しようとして、救命ボートに乗れず海に沈んでいく人たち、銀河鉄道の車内に水が入ってくる描写に、あの津波を彷彿とさせたひともいるだろう。
 乗り物というものは、そこに乗り込んでいる赤の他人だった人々を、運命共同体にさせてしまう。もし事故が起こればみな道連れになってしまうから。
 船だけではない。大正時代は鉄道の事故は今よりもはるかに頻繁で、数十人の死者が出る事故が毎年のように起こっていた。
 そして本作のジョバンニはカムパネルラに「どこまでもどこまでも一緒に進んでいく」と語りかける。つまりは運命共同体。
 あの大惨事は、われわれは常に誰かと運命共同体である、ということを思い知らせたのではなかったか。それに思いをはせ、旅の終わりにしたい。

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