神社は神道の施設であって、神道という宗教は1つだと思われています。たとえば仏教なら本山というお寺があって、数々のお寺のなかでいちばんエラいというか、その宗教を統括する本部です。 じゃあ、神道の本山は?というと、これがないんですよね。いわゆる神社庁という組織があって、都道府県ごとに神社本庁があり、東京にはその都道府県の神社本庁を統括する神社本庁というものがあります。 これは別に本山という訳ではありません。神社本庁というのは神社の互助組織のようなもので、神社が必ず神社本庁とい
時代劇で有名な 池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』には、鬼平こと盗賊改メ長官の長谷川平蔵が、自宅の庭に小さな祠を造る描写があります。凶賊に倒れた配下の密偵の供養のためでした。 鬼平犯科帳の舞台は江戸時代中期ですが、この時代、お稲荷さんは商売の神,芸能の神として大流行しました。「流行り神」という言い方もこの稲荷信仰の流行から来ています。稲荷神社が多く作られたのもこの時代で、「稲荷伊勢屋に犬の糞」という戯れ歌までありました。稲荷神社と伊勢屋という名前の商店、道端に落ちてる犬の糞を同
八幡神はヤワタノカミともいい、もとは日本独自の神さまなのです ヤマトタケルの孫であり、武勇に優れていたことから平安後期に台頭してきた武士団に信仰されました。 神仏習合によって日本仏教では八幡大菩薩ともいわれます。菩薩はブッダをお守りする神のことなので、武勇に優れた八幡神が菩薩とされたのでしょう。 ヤワタノカミは誉田別命(ほんだわけのみこと)という別名もあります。 八幡信仰は鎌倉〜室町時代に流行しました。八幡神を祀った神社が八幡神社という訳です。この時代には八幡神社が
有名な話ですけど、竹内まりやさんのご実家は、出雲大社の参道沿いに明治10年から5代にわたって続く、伝統ある旅館の「竹野屋」さんです。竹内まりやさんといえば私の世代では「みんなの歌」の「アップルパップルプリンセス」とか加藤和彦が作詞した「不思議なピーチパイ」みたいな、訳がわからないけど能天気な歌詞とメロディで、彼女の声がまたあの訳がわからないけど能天気な歌にあってるんですよね。 竹野屋さんは平成に入って一時期、経営不振で潰れそうになったそうですが、竹内まりやさんと旦那さんの山
境内というと神社やお寺全体を指すことが多いですし、私もその意味で使っていますが、実は法律でいう境内とは宗教法人が所有している礼拝等の施設がある土地全体をいうのです。 ですから法的にはキリスト教会だろうと新興宗教だろうと、教会のような施設のある敷地全体が境内なのです。 しかし私が知る限り、キリスト協の皆さんは自分たちの教会の土地のことは「教会の土地」と呼んでいるようです。写真は小樽市のカトリック富岡教会ですが、この教会の信徒の皆さんも、この教会の境内地を「教会の土地」と呼んでお
出雲大社は神道であると同時に、出雲大社には出雲大社教というもう1つの宗教の本部があります。出雲大社は神社庁に参加している宗教法人で神社と一体です。このような神社と神道が一体となっている神道を神社神道といいます。では出雲大社教とは何なのかというと、これは神社とは独立した宗教法人で、神社庁とは無関係なのです。こういう神道を教部神道といいます。 つまり出雲大社は神道であるが二つの宗教法人が同居しているという、すぐには理解できないしくみになっているのです。 驚いたことに出雲大社の
神社について調べはじめた20代のころ、「神社本庁」という役所のような名前の組織があることを知りました。神社は神道の施設ですから、特定の宗教に対してだけ管轄する省庁があるのは変だな?、と何となく思ったものです。 よく調べると神社本庁というのは、各都道府県の神社でつくる神社庁というのがあって、その神社庁を統括している宗教法人なのでした。 なのになぜ役所のように「庁」がつくのかというと、第二次大戦に日本が負けるまで、神社は神祇院という内務省の一部局が統括していたからで、だから役
神社の信者というか、神社に集う人たちの組織があります。氏子会、奉賛会、崇敬会があります。これらの組織の違いはなんでしょう? 氏子会は、その神社のある地域に住んでいる人たちによる組織で、お金や労力を出し合って神社の境内を清掃したり、お祭りの運営をしたりします。氏子会の会員は先祖から孫子へと代々相続されていきます。また会員が他の地域へ引っ越したりすると、実質的にそれまでの神社に通えなくなり、他の神社に行くようになるので、氏子会をやめたりする場合があります。 奉賛会は氏子を持た
写真は秋田と山形にまたがる羽黒山神社にある国宝「羽黒山五重塔」です。うっそうとした杉の巨木に囲まれ、いかにも神社の森らしい荘厳な印象をうけますね。 しかし、日本全国の鎮守の森をみると、杉林なのは実はあまりありません。 明治神宮が造られる時、当時の内務大臣であった大隈重信が「伊勢神宮にはスギやヒノキが生えているからスギやヒノキを植えればよい」とい言ったのを植物学者たちが却下して、100年後を見据えてのその土地の樹木を植えるように計画したのは、最近有名になってきた話ですが、なぜ神
以前もこのnote+の記事に書いたように、社寺の境内はそこそこ広さもあって、緑も豊かな場合も多くて、不特定多数の人々が使うことが前提となった空間だ。お祭りとか体操とかスポーツとかのイベントにも使われる。つまり都市の施設としてみると公園緑地と同じ機能がある。 公園緑地は都市のインフラとして、役所が予算を組んで作られる。草刈りや枝打ち、古くなったベンチや遊具の撤去、日々の清掃などの維持管理も役所の予算から専門の業者に支払われて行われている。これは明治時代に日本が公園緑地制度を西
神社といえば鳥居と思っている方も多いのではないでしょうか。しかし鳥居というものは実はお金がかかるものです。 以前、神社をつくる仕事をした時に、「鳥居も一緒に作って欲しい」といわれて鳥居の値段を調べました。小さめの鳥居で大人が一人、腰をかがめて通れるくらいの大きさなモノなのですが、それがいちばん安いプラスチック製ので100万円くらいしたのを覚えています(プラスチック製の鳥居があって、量産されているというのも驚きでしたが)。 これが鳥居本体のお値段で、据え付けるのはまた別です
広場といってもそこらへんの空き地のことではなくて、ヨーロッパやアラブ諸国などの都市の真ん中にある広場のことです。日本語では空き地も子供の遊び場もぜんぶひっくるめて「広場」という言葉しかありませんが、外国では広場のありかたによって言葉が違います。街の真ん中にあってどちらかというと円形の広場は「プラザ」、格子状の都市の真ん中や要所にある広場は「スクエア」「パーク」、子供の遊び場は「プレイグラウンド」などと使い分けます。欧米やイスラム諸国、中国などでも、こういった都市の真ん中の広場
これは以前『日本主義』という雑誌に書いたことなんですが、公園や広場というのは都市公園法およびその施工令という法律で、まちの中に作るように定められています。その方がみんなにとって使いやすいという配慮からなんですが。 この公園や広場をつくる場所というのは、西洋の町の中心にある広場(プラザ)や公園(パーク)の発想を、明治時代にそのまま輸入したものです。そのプラザはもともとはキリスト教会の前に作られた教会前広場がルーツです。つまり宗教的な発想からつくられた空間なんですよね。 同じ