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映画『アフターサン』を観て思うこと
イギリス映画『aftersun』、もしかして少し退屈な映画なのかな、と最初は思っていた。
結局は退屈するのではなく、映画の最中も色々なことを考えさせられ、観終わった後、今でもずっと考えている。
とても感慨深い映画だった。観てよかったと思う映画だ。
『たくさんの描写があり、多くを語らず』
だから私は今も「本当はどうだったのだろう」と考えている。
まるで村上春樹の小説のようだ。
観終わってしばらくしても考え込んでいる自分を客観的に見て、そう思った。答えを見つけたい、でも知らなくても構わない。
それでもストーリーは十分完成されていると思うから。
イギリス人の夫から見た感覚
ストーリーは、イギリス人の30歳のお父さんと、11歳のソフィが二人で休暇を楽しむ様子を描写したもの。最初から多くは語られないが、じきに二人は普段は一緒に住んでいないこと、ソフィはお母さんと暮らしていること、二人ともこの休暇を楽しみにしていたこと、そんなことが自然とわかってくる。
「普段一緒に住んでいない父子で、トルコのビーチでバカンスを過ごすなんて、どうなのかな?普通はもっと子供の楽しめるところに行くんじゃない?」と私は夫に聞いた。
映画の中でソフィが少し退屈そうにしていたり、休暇も意外と長いので「今日は何する?」と言いながら時間を持て余しているような気がしたから。
夫が言う。
「確かにね。でもこの頃はイギリスから休暇に行くっていうと、こんなビーチリゾートに行くのがお決まりだったんだよ。このお父さんが30歳?で子供が11歳。この子供と自分はこの時代同い年くらいだ。流れてくる曲も当時流行ってた曲ですごく懐かしいよ」
この映画の主人公11歳のソフィは、現在のシーンではおそらくあの頃の父親と同じ歳くらいになっている。
ソフィが11歳だった頃。
普段は離れて暮らしている父親と二人でトルコで休暇。
もちろんインターネットはまだ普及しておらず、ゲームセンターでオートバイの乗り物に乗るゲームをしたりVHSのビデオテープがあったり。国は違っても私の子供時代にとても近いものがある。そうか、同世代だからなんとなく親近感があったのか。
ソフィは無邪気にしているのに対して、父カラムは時折沈んだ様子を見せたり、物思いにふける様子がある。ソフィが寝てしまってから、ベランダでゆっくりとした動きで腕を回していたり、その独特の描写にこちらはドキドキしてしまう。
「お父さんは明らかに問題を抱えているよね。包帯を巻いている腕も、もしかしたら折れたのではなくて自傷したあとを隠すためなのかもしれない」
夫はそう言って、お父さんカラムが包帯を時間をかけていじっているシーンを観ていた。
ソフィの視点で描くキラキラした夏休みは、私達に無垢だった少女時代を思い出させてくれる。世代が同じだから、「子供の時ってこんな感じだったっけ」と懐かしい気持ちにもさせてくれる。
けれど同時にこのころ父親がどんな気持ちで何を悩み、子供と休暇を過ごしていたのか。そのことがとても気になる。
父親が悩みながら娘と休暇を過ごしていたこと、それはソフィにとっては思いもよらないことだった。知るよしもなかった。この映画には、そんな普通の子供の視点もよく描かれている。
子供にとっては、お父さんと過ごす楽しい夏休み。時々はちょっと退屈。思春期に差し掛かって、ちょっと反抗もしたくなる。
けれどお父さんは本当は、苦悩や行き場のない思いを抱えていた。
それは大人になった今なら、よく分かること。
ソフィが父の年齢になって思うこと
当時のカラムの年齢にソフィがなって、今思うことは何だろう。
同性のパートナーとベッドで寝ていて、赤ちゃんの泣き声がすると「私が見てくる」と言っているところを見ると、ソフィも母親になったらしい。
あの夏、父と過ごしたバカンスのあと、何らかの理由で父カラムは死んでしまったのだろう。映画の中の描写から、おそらくうつ病を患っていて、それが原因だったかもしれない。
父が死んだのがバカンスのすぐ後なのか、しばらく後なのかは分からない。けれど空港で最後明るく別れる時、ソフィはふざけながら笑顔で手を振って歩いて行ったのに対し、カラムはその姿をビデオカメラにおさめ、その後何かを決心したような表情で真っ暗な闇の中へと歩いて行った。その場にはなぜか誰もいない。
そのことから、おそらくソフィはあの夏のバカンス以来、父に会うことはできなかったのではないかと思われる。
クラブでダンスをするシーンで、ソフィがカラムを突き飛ばすような仕草をするシーンがある。「もっと話したいことがあったのに、どうして死んでしまったの」と言っているような表情ともとれなくない。亡き父を責めたい気持ち。それがあのシーンで表現されていたのだろうか。
父の死はきっとソフィのその後の人生に大きな影響を与え、母親になった今もなお、そのことを傷として時々涙するのだろう。いや、母親になった今だからこそ、父が見せなかった心の中の苦しさを、よけいに想像できるようになってしまったのかもしれない。
けれどその悲しみはなぜか、あの夏の思い出をさらにキラキラと輝かせる。お父さんは「なんでも自分に話してほしい。どんなことでも」とあんなに真面目に話してくれていた。
そんな素敵な思い出は、永遠にソフィの中に残るだろう。
夏がくるたびに、彼女は思うのではないか。
父がいたあの時間。かけがえのない、宝物のような最後の夏。