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慰霊祭

佐賀県初の抑留関係者慰霊祭に参列させていただきました。
シベリア抑留関係者佐賀県慰霊祭
一般財団法人 全国強制抑留者協会
佐賀県慰霊祭実行委員会
(佐賀県遺族会 平和会館)

抑留者ご遺族の坂口康子さんも追悼のことばを述べられました。

https://edico.capoo.jp/news/『蟻のなみだ』の出版について/

石丸謙二郎さんが当地を訪れた動画作品上映や、当事者のお話しもありました。

当事者のお話しで印象に残ったのは
薬も医師もないので、持病のある人から亡くなる
そして若い人が早く亡くなる
8月に連行されたので夏の軍服
まだ少年でで軍人ではなかったが、収容された
遺体を凍土に埋められず、少し離れたところに置くと、オオカミが食い散らしてなくなっている
現在は地形も変わり遺骨集めしにくい
握りこぶし半分の黒パンが1日一つで、毎日マイナス数十度の中重労働
収容所の兵士などが配給をくすねるので日本人には少なく配給される
毒草でもなんでも拾い食いする
寒くて厚着、栄養失調で、崩れた材木を避けられず毎日死人が
寒くてまばたきもできない
くちびる凍る
足が痛くなくなってきたと思ったら真っ白に凍傷
当初数ヶ月テントで寝たところもある
情報がない 全くない
こっくりさんをしていつ帰れるか占った
手作りの木製品などを作成 しかし帰国前に取り上げられたり、看守に奪われたり
木の枝を燃やした炭で紙に文字を書いて、日本へ帰る人に所属の戦友などの名前を書いて後で消息を知らせたかったが、ナホトカで没収された
戦争や平和のことなどはもう90歳過ぎて話したくなかったが、話す気持ちになった
みんな知りたくないくらいさまざまな残酷な死に方をしているので、信用してもらえない
特攻隊だったので、戦死は覚悟していたが、戦後の収容の残酷な死に方、飢え死に凍死病死等々はいやだった
望んで志願した人は少ない。命令で志願した人が多い

小城市近くまで用事へ

その後、しょうりゅうのつどいへ
打ち合わせ等々

その後、キックボクシングサークルの小城fighting Clubさんに参加してマススパーリングやミット打ち、少し激しいマススパーやら新規の方へコツを教えたりも。
基本ゆるい感じの気楽なサークルですが、上手い人や先生も混じるので練習なりますね。


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