地方消滅の罠: 「増田レポート」と人口減少社会の正体
「2040年までに全国の市町村の半数が消滅する」との衝撃的な内容を明らかにした「増田レポート」を「選択と集中」という論理の皮を被った「棄民」の思想に基づくものとして批判的に捉えた書。
「多様なものの共生」を軸に「選択と集中」理論に反駁する。
以下は個人的感想みたいなもの。
正直なところ地方創生議論はかなり難しい。
数世代前なら地方から大都市へと大きく人口流動してきたため、地方に故郷がある人も多かっただろうが、大都市に故郷を持つ人も時代と共に多くなっただろうから、ノスタルジー的な観点からだけをもって地方の良さとは言えなくなってきていると思う。
極端に言えば、何らかの理由がない限り、何不自由無い(ように見える)大都市を故郷に持つ人に対して、地方、中でも農村や山林地域に関して想像を掻き立ててもらおうにも、ユートピア的なものか、はたまた、ただ人付き合いが面倒なだけで不便な社会のようなものしか思い浮かばないのではないか、と思うし、また後者のような一面も、地方の現実の一つとして全否定されるものでもないことがさらに輪をかけて地方の魅力というものを見えにくくする。
ただ一方で大都市の利便性は地方の犠牲に成り立っているという側面は否定されるものではない。
大都市がインフラ維持等に関する地方側のフリーライドを問題とするとき、地方の側についても水利や電力供給などの大都市側のフリーライドを問題視することも完全には否定できないだろう。
共生・多様性も重要な一方で、国家財政の問題も存在を否定しても仕方がない。
結局のところ非難合戦ではなく、資本主義である以上、地方のミッションは魅力ある地方を作ること。
それはいわゆる濃い人間関係や自然の豊かさであるかもしれないし、もっと根源的な、例えばインフレによる食糧自給の困難さへの抵抗力になるかもしれない。
人口の大小はほとんど瞬間風速のようなもので、江戸時代から明治時代にかけての都市人口ランキングを見てみれば、現在の順位とは全く異なっているのがお分かり頂けるだろう。
このように200年といったタームであれば都市の栄枯盛衰は全く変わってしまうことを示している。
ただ一つ言えるのは地方はまだ終わった存在とも言えなければ、現在大都市の繁栄も永遠が約束されたものでない以上、ゲームチェンジの可能性も依然あるということ。
地方は可能性を諦めてはならないし、時を掴めるように細心の注意を払っておく必要があるだろう。