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いつだって、笑っていたい

いつも心に花束を。
暖かな陽射しのもとで、手足を投げ出して。
そよ風に吹かれながら、いつもニコニコ微笑んでいたい。
そう、心から思う。

それは理想。
現実には、そうもいかない。
うまく行かないことに、カリカリしたり。
未熟な自分に腹が立ったり、呆れたり。
失敗を悔やんで、泣いたり喚いたり。
「なんて醜いんだろう」と思うけど、それが人間らしさでもある。

いつも理想通りの私では、いられない。
バーチャルではニコニコしていられても、内心は腸が煮えくり返っていたりもするし。
心の大雨に真芯から冷え切って、動けなくなるときもある。
現実は、私達を歓喜させることもあれば、とてつもない悲しみの淵に追いやることもある。
だから疲れる。
しかし、だから楽しいとも思う。

今年になってから、いろいろなことがあった。
コロナと外出自粛。
経済への影響、景気の低迷、芸能人の相次ぐ訃報。
悲しみに明け暮れる、そんなことが続いた。

我が家では、今年になってから義母が2度の転倒・骨折事故に見舞われた。
誰のせいでもない。
ただ、もう義母の足はその痩せ衰えた体を支えることもままならなかったという、悲しい事実がつきまとう。

「なんで未然に防げなかったの?」という思いもある。
それは私達家族をますます疲弊させた。
誰が悪いわけでもない。
私は、家にいる時間は義母の目の届くところにいようと努めたし、義母が立ち歩くときには、常に斜め後ろについて見守り介助をした。

それでも、防げないものは防げないのだ。
どんなに落胆しただろう。
どんなに心で涙しただろう。
しかし、無力を嘆いても、後悔に苛まれても、折れた骨は元に戻らない。

手術を経て、傷は癒えた。
でも元通りになることはない。
自力歩行は、もう困難だろう。
在宅復帰が難しくなり、義母は施設に入居した。

コロナ禍で、面会謝絶の施設。
もう、当面会うことすら叶わない。
こんな悲しいことがあるだろうか。

骨折する前、自宅にいる間は1階が義母の生活空間だった。
寝室、ダイニング、洗面所とトイレ。
距離にしてたったの10数メートルの空間が、とてつもなく遠い。
一歩一歩が、重く苦しい。
心折れそうになるのを、励まし、体を使って支え、時には助け。
朝も昼も夜も、関係なく。

歩行器でトイレへ行って、用を足したらもうヘトヘトになってしまう義母。
その後、洗面所へ行って手を洗うのが、なによりもしんどかった。
手を洗うのに、なかなか両手が差し出せず、震える義母の手を私が包みこんで、よく2人で手を洗った。
たったそれだけのことだけど、義母は泣いていた。
「ありがとう、ありがとう」
と、大げさに思えるほど感謝を口にした。

6月の頭に義母が入院して、それまで張り詰めていた緊張の糸が切れた。
夜に救急車で病院へ行き、入院手続きを行ったら、もう家族が介入できることはほとんどない。
日常が空っぽになり、それまでの疲労がどっと出た。
心も体も、すっかり根が生えたように動けなくなった。
空元気は、そう長く続かない。
疲れた。
心底、疲れた。
無力感と脱力感が、一気に私をダメにした。

これは言い訳にすぎないけど、立ち上がるまでに時間がかかった。
幼い子供が母親を頼るように、義母は私を頼りにしていた。
その思いに、少なからず私のほうが支えられていたのだ。
私も義母も、同時に拠り所を無くしてしまったのだ。

なんだろう。
介護から逃れられて、心底ホッとしたはずなのに。
「夜も心から休める」と、安堵したはずなのに。
私はとても寂しかった。
そんな自分に、びっくりした。
けど、事実は事実として受け止めるしかないのだ。

今は、私のできることをしようと思う。
いつまでもクヨクヨせず、前を向こうと思う。
私は私でいよう。
いつも通り、日常を過ごせばいい。
そんな簡単な感覚を、やっと取り戻すことができた。

四葉かなえは、ただいま戻りました。
穏やかな心を取り戻して、なんとか笑えるようになったから。
いつの日か、家族5人で揃って食卓を囲むその日を願ってはいるけれど、今は今しかできないことを。

涙も、悲しみも、忘れたわけではないけれど。
日々の暮らしを、悲しみで染める必要はないと気づいたから。
だから、今は笑顔で。
いつだって、笑っていたい。

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