見出し画像

森博嗣『すべてがFになる』読書会資料

 はじめまして。東北大推理研のいちとせです。
 突然ですが、みなさんはせんだい探偵小説お茶会をご存じでしょうか?この会は月に1回程度、海外古典の有名作から最近の話題作まで、幅広い作品を課題書に設定して読書会を行う集まりです。オンラインでも参加できますので、ご興味ある方はぜひに。
 前置きはこのくらいにして、せんだい探偵小説お茶会にて11月4日(土)に開催された『すべてがFになる』読書会の際に使用した資料を再掲します。引用が多くなりすぎた気がしているので、長めの引用は適宜省いています。それでもかなり長い文章なのですが、お時間のあるときにでもご覧いただければ幸いです。
 もちろんネタバレ全開です。作品を読了後にお読み下さい。また、引用した頁は講談社文庫版に基づいています。誤植などがあった場合はご指摘下さい。直ちに修正いたします。
 ちなみに目次からネタバレしてます。














著者紹介

森博嗣(もりひろし)
 1957年12月7日生まれ。元名古屋大学工学部助教授。
 当初は、現在のS&Mシリーズ第2作に当たる『冷たい密室と博士たち』をシリーズ1作目として執筆しており、講談社に投稿して編集者から高評価を受けていた。シリーズ4作目として『すべてがFになる』を執筆したところ、シリーズの順番を入れ替えて「F」をデビュー作としてメフィスト賞を受賞することが決定。1996年に本作で第1回メフィスト賞受賞の栄誉に輝いた。
 執筆スピードが異常に速く、現在でもおよそ2ヶ月に1冊のペースで新刊を発売している。ちなみに、森博嗣自身はエッセイなどでそろそろ引退したいと繰り返し公言しているが、現状の仕事量から推察するにその気配は全く見受けられない。もちろんファンとしては喜ばしいことである。

森博嗣の浮遊工作室
自身の作品リストや出版予定表、趣味に関する情報などがまとまっている個人サイト。

メディアミックス作品紹介

マンガ 
 浅田寅ヲ版と霜月かいり版の2種類あり、異なる時期に2回コミカライズされている。森博嗣いわく、四季の容姿のビジュアル化としては霜月版のものが一番しっくりくるらしい。反対に犀川はかっこよすぎるとのこと。

ゲーム
 2002年にプレイステーション1にてゲーム化されている。ノベルゲームになっており、ゲーム版オリジナルキャラクターが視点人物として主人公を務める。筆者自身もすべてをやり尽くしてはいないが、多くのマルチエンディングが用意されているらしい。

ドラマ
 2014年にフジテレビ系列火曜9時枠にて放送。全10話。ドラマ2話で小説1冊を原作として扱った。原作になったのは放送順に『冷たい密室と博士たち』『封印再度』『すべてがFになる』『数奇にして模型』『有限と微笑のパン』の5冊。
 メインキャストは武井咲(西之園萌絵役)、綾野剛(犀川創平役)、早見あかり(真賀田四季役)。主題歌はゲスの極み乙女の「デジタルモグラ」。

アニメ
 2015年にフジテレビ・ノイタミナ枠にてアニメ化された。全11話。四季4部作の一部も原作となっているため、四季の幼少期にまつわるエピソードが小説よりも深く描かれており、彼女に焦点が当たった作品とも言えるだろう。OPはKANA-BOONの「talking」、EDはシナリオアートの「ナナヒツジ」。

トロイの木馬

貴女は誰ですか?

『すべてがFになる』13頁

 本作のトリックはこのキーワードに集約されると言っても良いだろう。直接的な伏線は少ないが、暗喩的な描写はかなり多い。

  • 犀川研のコンピュータに侵入したコンピュータウイルスの名前が「トロイの木馬」(41頁~)

  • 島田文子の好きなキャラが「シャア・アズナブル」である。初代ガンダムにおいて、彼は「トロイの木馬」のような役割を果たしている。(262頁)

  • 透明な瓶の中に小さなヨットが入っている。ボトルシップだった。(中略)「ばらばらの部品を入れて、中で組み立てたのでしょう。つまり、真賀田女史は、ロボットに自分の死体を処理させた」(299頁)

  • トロイの木馬の物語を知っているだろうか、と犀川は思う。自分自身は、小学生のときに学校で借りてきた本で読んだ。高さが十メートルもあろうかという巨大な木馬から、鎧を着た兵隊が出てくる場面の挿し絵を覚えていた。(314頁)

  • 「レッドマジックがトロイの木馬だったの」(445頁)

  • 「枝が小さいうちに瓶の中に入れて、そこで木が成長して太くなって、それから、枝を切って、瓶の中で木を削って、なんか特殊な道具を使ってね......、それで鍵の形に彫ったんだ」(505頁)

16進数

数字の中で、7だけが孤独なのよ

『すべてがFになる』12頁

 真賀田研究所独自のシステムであるレッドマジックは15年の時をカウントアップするための装置だったわけだが、実は作中のいたる所に16進数を連想させる要素が散りばめられていた。

  • 西之園萌絵が両親を亡くしたのは16歳のとき

  • 「思考が飛躍する特徴があるわね。それが、貴女の一番の才能。そう......、西之園恭輔博士には十六年まえに四回お会いしました。(中略)貴女は赤いドレスを着て、頭にリボンをつけていました。十六年まえの三月の......、十六日。場所はシャンペーンです」(12頁)

  • 私だけが、7なのよ......。それに、BDもそうね(16頁)

  • 時限装置は、最初から、FFFF時間後、つまり、65535時間後にセットされていた。真賀田博士の砂時計は、あの日の65535時間まえにスタートしたんだ(467頁)

  • 私の本がここには十六冊入っていますね。(491頁)

  • 全部で十六ページの論文だった。(500頁)

色彩

Fはフィフティーンだよ

『すべてがFになる』465頁

 作中の重要なアイテムにはそれぞれ色があてがわれていた。レッドマジック、黄色いドア、萌絵が四季との初対面で着ていた赤いドレス、萌絵が飛行機事故当日に着ていた紫のワンピースなどなど。  
 本作において、真賀田四季といえば白というイメージがあるが、白の16進数カラーコードは#ffffffである。彼女はすべてがFになった住環境で、すべてがFになるまで生活していたわけである。
 ところで、森博嗣作品の1つの大きな締めくくりとなる四季4部作の英題は、それぞれGreen Spring, Red Summer, White Autumn, Black Winterとなっている。すなわち、四季を代表する色として緑、赤、白、黒が当てはめられているのである。
 そして、ここまでで登場した紫、青(≒緑)、赤、黄、白、黒は冠位十二階に登場するカラーリングである。さて、これは偶然だろうか…

16進数カラーコードは、ディスプレイに表示する色の量を示す値です。2ケタの英数字で、0から255までの色の値を表します。

赤、緑、青のすべてが最小の0の場合、16進数カラーコードは#000000となり、黒を表します。赤、緑、青のすべてが最大の255の場合、16進数カラーコードは#ffffffとなり、白を表します。

16進数カラーコード完全ガイド URL:https://www.colordic.org/#google_vignette

THE PERFECT INSIDER

思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ

『すべてがFになる』289頁

完全になろうとする不完全さだ......

『すべてがFになる』328頁

いえ、本当の貴方を守るために、他の貴方が作られたのね。貴方の構造は......、私によく似ています

『すべてがFになる』498頁

 森作品のタイトルにはほぼ必ず英題が付されており、作品のメインテーマを示していることが多い。また、作品によっては、ジョークになっていることもある。例えば、S&Mシリーズ5作目のタイトルは『封印再度』で、その英題は『WHO INSIDE』(フーインサイド)である。ちなみにS&Mシリーズの中には、ダジャレになっているタイトルがもう1つあるが、その意味は各自で確認していただきたい。
 さて、本作における英題の意味であるが、真っ先に思いつくのは、作中での完璧なまでの密室状況である。INSIDEではなく、INSIDERとしているところが巧妙だと思う。
 また、西之園萌絵の内部に封じこめられていた記憶が、真賀田四季との出会いによって解放されたという意味もあると考えられる。萌絵は以降のシリーズ作品において、本作での経験をもとに、事件にますます意欲的に取り組むヒロインとして成長していくことになる。犀川創平についても、その内向的な性格や、自己を過剰に防衛しようとするあまり多重人格を形成したと思われる様子が描写されており、本作のタイトルは彼にも当てはまっているように感じる。
 そして、本作と対をなす英題がS&Mシリーズ最終作『有限と微笑のパン』に付けられており、『THE PERFECT OUTSIDER』というものである。

シリーズ外へと拡散する伏線

どこにいるのかは問題ではありません。会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ

『すべてがFになる』279頁

「先生......、現実って何でしょう?」萌絵は小さな顔を少し傾けて言った。
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」犀川はすぐ答えた。「普段はそんなものは存在しない」

『すべてがFになる』357頁

テーブルの上に置かれた記念品は、四角いプラスチックの黄色いブロック.....、
それは、立派なおもちゃの兵隊になることを夢見た小さな孤独だった。

『すべてがFになる』508頁

 デビュー作である本作の時点から、既に他のシリーズにつながる様々な伏線がいたる所に見られた。以降のシリーズ作品を読み進める場合は、これらの箇所を頭の片隅にでも置きながら読んでいただきたい。

  • 入口のドアの内側には、アクロバット機の写真が何枚も張ってある。(36頁)

  • 「(前略)神様だって、どうして、あんなに遠くにいるの?本当に私たちを救って下さるのなら、何故、目の前にいらっしゃらないの?おかしいでしょう?」(279頁)

  • 死体から切断された両手両足はどこにいってしまったのか?

  • 最後の頁で犀川の手に触れた黄色いブロックはどこから来たのか?そしてその使い道は?

  • 事件の動機は納得のいくものだっただろうか?

小ネタ

1975年の名古屋大学入試数学

1から10までの10個の整数から相異なる5個をとり、その積をa、残りの5個の積をbとする。a≠bを証明せよ。 

http://server-test.net/math/php.php?name=05_nagoya&v1=1&v2=1975&v3=1&v4=2&y=1975&n=2

 16頁で四季が萌絵に出題した1~10までの積についての問題は、実際に名古屋大学の入試で出題された問題である。森博嗣の年齢から計算すると、彼自身は入試の際に1976年の問題を解いているはずなので、過去問として解いた問題を作中に登場させたということになるのだろうか。
 ちなみに、S&Mシリーズ2作目『冷たい密室と博士たち』冒頭で、犀川は発想の飛躍が重要なポイントになる問題を入試問題の候補として作問しており、他の大学教員から「差が付きすぎてよくない」との評を受けて不服そうにしていた。

儀同世津子の謎めいた発言

 儀同は、萌絵との初対面で、自己紹介の際に万葉集を知らないかと尋ねている(38頁)が、正しくは新古今和歌集のはずである。彼女の早とちり癖は他の作品でも時折見られる。さて、誰に似たのか......

 わすれじの 行末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな
 (訳) 「いつまでも忘れまい」というあなたの言葉が、遠い未来まで変わらないことはないのでしょう。だから、いっそのこと(その言葉を聞いた)今日限りに命が尽きてしまえばよいのに。
 (歌人)儀同三司母

新古今和歌集 ※百人一首・第54番としても収録

西之園都馬

 西之園家の飼い犬。名前の由来は、森博嗣が尊敬する漫画家、萩尾望都の作品『トーマの心臓』からだと思われる。後の作品には都馬にフォーカスしたものもあり、その思い入れの強さが覗える。

関連作品紹介

『羊たちの沈黙』(トマス・ハリス)

『すべてがFになる』の冒頭の場面は、明らかにレクター教授にヒントを得ています。
 また、ミステリィとしても非常によく出来ていて、トリックも面白い。FBIとバッファロゥ・ビルという連続殺人鬼の攻防が物語の核になっていますけれど、途中で見事な密室トリックがあります。この点に注目して取り上げられることがないような気もしますが、これは久々の凄いトリックでした。

『森博嗣のミステリィ工作室』86頁

『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)

 それにしても、よくこんな何もない話をここまで深く書けたなと思います。この本は世界中でベストセラーになったといいますが、逆にいうと、これだけのものを、そんなに大勢の人が受け入れたというのが凄いことです。これは小説の最前線、ギリギリのところに位置する作品でしょう。これ以上さきへ行くと、もう別のものになってしまいます。一種のアクロバットのような離れ業で、この切れ味は凄まじいと感じます。
 この作品以上の切れ味を僕は小説ではまだ見たことがありません。もし孤島に一冊持っていくなら、この本です。

『森博嗣のミステリィ工作室』127頁

「ここは自由だわ」真賀田四季の声が聞こえる。
彼女がどこにいるのか、わからない。
「かもめのジョナサンをご存じ?」
犀川は軽く頷く。

『すべてがFになる』447頁

『ドグラ・マグラ』(夢野久作)

この作品は日本のミステリィのナンバー1です。つまり、満点の作品です。最初に読んだのは高校生のときですが、それから5~6年に1回は読み返しています。
(中略)結局、犯人の正体は、はっきり書かれていません。もうこの時代に、そういう先進的な作品があって、それを大勢が評価した、という事実にもっと注目すべきだと思います。

『森博嗣のミステリィ工作室』146頁

「『ドグラ・マグラ』って小説ご存じですか?」
(中略)
「ええ、最高のミステリィです。夢野久作という人が書いたずいぶん昔の作品ですけど......」
萌絵は説明した。
「その中に、狐憑きの話が出てくるんです。死んだ人間が通夜の晩に、庭を走り回ったりして大暴れするのは、実は、添い寝をしている人が無意識に死体を人形みたいに動かしている。つまり、自分で動かしているのに、死体だけが動いているのを見た、と思ってしまうのです」
(中略)
自分で死体を動かしておいて、死体が勝手に暴れたという記憶だけが残るというわけです。それが......、その、ちょうど、子供がお人形を動かして遊ぶときと同じで、子供には自分の手で動かしているという意識はないでしょう?お人形が生きているように観察している......。ね、意味分かりますか?」

『すべてがFになる』74~75頁

百鬼夜行シリーズ(京極夏彦)

こんなことをいったら怒られるかもしれませんが、僕は自分と非常によく似ている方だと思っています。
(中略)小説のメカニズムというか、方法論がとても似てると想像します。トリックそのものは大したことないのだけれど、もっと面白いもので包み込んでしまって一気に走り出す。そんな構造でしょうか。
 最も酷似しているのは、『魍魎の匣』ですね。あれは『笑わない数学者』に似ていると思います。『姑獲鳥の夏』は、『すべてがFになる』に似ている。
(中略)最初に得たインスピレーションを信じて、モヤモヤとした霧の中を突っ走っていくうちに道が見えてくるというか、文章なんかはあとから直せば良いというワープロ世代の発想法でしょうか。

『森博嗣のミステリィ工作室』184頁

参考資料

森博嗣『すべてがFになる』1万字ガチ考察——7、色、涙 https://note.com/sora_sky_note/n/n7d9fd5ca1433

 色に関する考察は、この文章をかなりの部分で参考にしている。致命的なネタバレではないものの、Wシリーズ以降の作品についての言及もあるので、情報を遮断しておきたい方はご注意を。

『森博嗣のミステリィ工作室』(森博嗣、講談社文庫)
 S&Mシリーズ完結直後の時期に書かれたエッセイ集。自作解題や影響を受けた100冊、同人誌時代の漫画など活動初期を総括するような本になっている。なお、大きなシリーズが完結する度に同様のエッセイ集を発売しており、読者への手厚いアフターフォローのようになっている。

『森博嗣本』(別冊宝島編集部編、宝島社文庫)
 作者自身の言葉を除くと、かなり核心に迫っている考察本。ただし、2006年時点での出版なので、最近のシリーズ作品についての解題はない。作中では明らかにならなかった要素をできるだけ詳らかにしようと試みている。

『ユリイカ2014年11月号 特集森博嗣』
 2014年時点での主要作品解題や、インタビュー、エッセイ、批評などが収録されている。批評については、ミステリィ的な視点からの評価や森博嗣サーガを俯瞰するような論考まで、バリエーションに富んでいる。エッセイについては、森博嗣が尊敬してやまない萩尾望都や、各作品のコミカライズを担当した浅田寅ヲ、スズキユカなどが執筆している。

おわりに

 引用だらけの長い文章をここまで読んでくださりありがとうございました。この資料が、『すべてがFになる』、ひいては森作品全体の理解を深めるきっかけになれば非常に嬉しく思います。
 それでは次回、『冷たい密室と博士たち』解題でお会いしましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?