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これ【で】じゃなく、これ【が】いい。

こんにちは、イシカワケイタです。

私は小学生のころ、サッカーをやっていました。
特に、サッカーボールとスパイクには、とても愛着を持っていた。

基本的には、
自分で使う道具は大切にする方ですが、
その中でも、ボールとスパイクは特別だった記憶があります。

でも、その二つの道具は、なかなか買ってもらえない。

ん?
だから特別だったのかな・・・

いや、そういう感じでもないような気がします。

やっぱり、
自分自身が上手くなりたい、上手くなるんだ、って思いでやっていると
たくさんボールを蹴りたいし、ドリブル練習したい、そして、お気に入りのスパイクを履きたい。

そんな思いが強く、それがその道具を特別な存在にしていたのかな。

と、言いつつも、

子どもだから、
新しいものも、
すぐ欲しくなってしまう気持ちも出てきたりしてしまうのですが、
愛着のあるものだから、
ずっと使いたい気持ち入り混じっていたこともあった。


親のおすすめよりも、自分で決めたもの、決めたこと

おそらく、
私の親は、私が本当に欲しいもの、、気に入ったものを
買ってくれていた。と思う。。。

親が、
これが良いよとか、こっちの方がカッコイイとか、
性能がとか、そういう視点でおススメされたものではなく、
私自身が心から本当に欲しいものを、自分で決めたうえで、
買ってくれていたように思います。

よく言われていた言葉で覚えているのが、

『これ【で】良い ではなく、これ【が】良いじゃないと買わない』

こんな言葉を本当に本当にたくさん言われた。

この、これ【が】ってところが、

特別な愛着や、とにかく大切にしたくなっていく要素のひとつだと強く思う。

私に子どもが生まれ、長女はフラを、息子はサッカーをやっている。

本人たちの意思で、やり、今でも続いている。
きっと、他の遊びやスポーツ、いろんなことにも興味があると思いますが、
2人にとって、それぞれのフラ・サッカーはきっと、
少し特別な存在になっているように感じます。

誰かにすすめられて始めることだって、もちろんあると思いますが、
そこから、自分の意思をもって、自分で決めて続けたりしていくことで、
どんどん特別なものに昇華されていくはずで、それが、情熱になっていく。

学校で使う文房具、サッカーで履くシャツやパンツ、普段使うカバンなど、
親が買ったり決めたりするのではなく、
本人が心から、どうしても欲しいもの、そのうえで選んで決めたものを用意するだけでも、心の活力は育っていくように感じます。

子どもの意志を尊重できる大人でいたいです。

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